五等分の妹嫁 その11
さて。そんなこんなで放課後である。
「……よし。こんなもんか」
午後の授業も平穏に終わり、最後の任務も無事に完了。
まぁ単なる掃除当番だったわけだが、これで後は帰るのみだ。
「お兄ちゃん。お疲れ様」
「兄貴おそーい」
「一護。帰ろうぜ」
「ああ」
廊下で待っていた雪音、葵、鷹と合流する。
幼馴染では風見が先に帰っていたが、別に彼女が薄情というわけではない。ほぼ一緒に帰る雪音はともかく、葵と鷹は待っている方が珍しく、今日の方が特例だった。
「しかし一日だけでえらく疲れた……」
「兄貴、なんか今日は不運だったもんねー」
「あはは……そうなんですか?」
「ま、よく当てられちゃいたな。なんかやらかしたか?」
「何もしてない。天中殺とかそういうのだろ」
「へー。天中殺ってそういうのなんだ?」
「いや知らんけど」
「感心して損した!」
相も変わらず連れ立つと騒がしい。
特に理由もないのに騒がしくなるのは、幼馴染七不思議のひとつだった。
「今日はどっか寄るー?」
「お前、そういうのは先に言っとけ」
「そうですよ、葵ちゃん。お夕飯の支度があるのに……」
「えー。外で食べればいいジャン。外で」
「金ないし。つか、風見抜きで食いに行ったら拗ねるぞ」
「うぐ……」
ぽんこつ娘を引き合いに葵を黙らせる。
“惨劇のイタリアン”、“ホワイト・ロシアン事件”、“バイキング・ヴァイキング”――拗ねた風見が引き起こした凶行は枚挙に暇がないが、その被害者は大抵が葵だ。まぁ風見抜きでの遊びを提案するのも葵なので、完全に自業自得なのだが。
「だって暇なんだもん! でっかいの! でっかいのはどう思う!」
「俺ぁどっちにしてもパス」
「なんでさ!」
「昼に言っただろーが。道場に出なきゃなんねぇんだよ」
「あ。合同稽古ですね」
「えぇ……アレもう終わってるんじゃないのー?」
「全体はな。ただ物好きな連中が残ってんだよ」
「物好き?」
「俺と戦りてぇって連中」
「変態だ」
「金もらっても嫌だぞ」
「あ、あはは……」
「うっせ。ただの戦闘狂だ。別に珍しくねぇよ」
絶対に珍しいと思う。
なんならネッシー並みの都市伝説と断言するのもやぶさかではない。
「だいたい一護や雪音ちゃんはともかく、葵はよく俺に飛び掛かってくんだろーが。棚上げしてんじゃねぇよ」
「でっかいのがアホなこと言うからだょ。あれは躾とかそんなんだしー?」
「えっらそうに……元気が余ってて暇なら来いよ。思いっきり体動かせるぜ?」
「えー。兄貴達はー?」
「パス。死ぬ」
「あはは……私も遠慮しておきますね……」
「チ、つまんねぇな。おい一護。お前、いい加減にしねぇと本気で鈍るぜ?」
「明日の俺が頑張ると信じてる」
「ダメな兄貴が顔を出してるょ……んー……どーしよっかなー……」
意外なことに葵は結構乗り気だった。俺達がつれない以上に、本気で暇なのだろう。
「本当に思いっきりやれるん?」
「ああ。今日はガキ共もいねぇしな。なんなら真面目に相手してやるぜ?」
「む。その喧嘩買った! あたしの方こそ相手してやんょ!」
無駄にキメ顔でポーズ付けまでしつつ、葵は挑発に乗った。
とはいえ、彼女の場合はまったくの根拠なしというわけでもない。運動神経の塊、かつ奇想天外な発想力を持つ葵の戦闘力はかなりのものだ。華のJKなのに戦闘力とかの指標が当てはまるあたり、色々残念ではあるが。
「格好ってあったっけ?」
「別になんでもいいぜ。本気で戦るなら貸し出し用の胴着もあるしよ」
「りょーかい。そんじゃ貸してー」
「あいよ」
それで放課後の予定は決まったらしい。
少しだけ静かになった葵を横目に、小さく安堵の息を吐く。
(何とかなったか……)
彼女を鷹が引き付けてくれたおかげで、事が露見する可能性は極端に下がった。
流石のわんぱく娘も月都家の稽古後にちょっかいを出してくることはないだろう。もう一人の風見も天見の手伝いをすると言っていたし、もう外出はしないはずだ。
(面倒にならなくてよかった……本当に……)
今日は気疲れもあるし、そう思うくらいは許されるだろう。
「…………(☆▽☆)(キラーン」
だからこの時の俺はトラブルメーカーの罠に、まったく気づいていなかった。
◆◇◆◇◆
「ただいまー」
「ただいまです」
そうして俺と雪音は懐かし(約八時間ぶり)の我が家へ帰還した。
いつも通りに鍵を開けて玄関の扉をくぐる。
横の四女と共に中へいるだろう四人へ、帰還を呼びかけるも――。
「……?」
「どうしたのかな?」
反応がなかった。
そんなに低くない可能性として玄関で待っていることまで考えていたので、少しばかり拍子抜けである。
「……ま、いいか。さっさと休むぞ」
「うん――」
「おっじゃま~!」
「うおおおおおおお!?」
「ひゃあ!?」
靴を脱いだ瞬間、背後から聞こえてきた声に、兄妹は共に飛び上がった。
四女を背中にかばうよう振り向くと、そこには――。
「って葵!?」
「はろはろ~」
大方の予想通り、青髪の幼馴染がいた。
「あ、葵ちゃん……鷹さんのところに行ったんじゃ?」
「後で行くょ。別に嘘ついたわけじゃないし」
満面の笑みは会心の悪戯をかました子供のソレであり、同時に凄まじいほど嫌な予感が全身を駆け巡る。
「というわけで……その前に、抜き打ちチェーック!」
「え!?」
「おま!?」
咄嗟に手を出すも無駄だった。
無駄に洗練された体捌きに俺の手は掻い潜られ、伊達家への侵入を許してしまう。
「うーん……異常ナシ!」
「あ、当たり前だ!」
そのままリビングに飛び込んだ葵の宣言は、しかし僥倖だった。
この時間であれば夕飯の支度をしていても不思議ではない。構造上、台所はリビングから丸見えなわけで、そうなったら一発で終わりだった。
「うーん。ってことは……兄貴の部屋か!」
「だから何がしたいんだお前は!」
葵の想定は間違っていない。
伊達家で落ち着いて過ごせるのは、キッチン・リビング・そして私室――前二つが空振りだった以上、恐らく彼女達はそこにいるだろう。
「だからチェックだょ、チェック!」
「なんのだ!」
故に通せない。
これまでになく気合を入れて遮る俺を見て、侵入者はニヤリと笑った。
「隠し事に決まってんじゃん!」
「そんなもんないわ!」
「うっそだー!」
葵の体が揺れる。
しなやかな上半身を存分に使ったフェイント――反応しそうになる体をギリギリで抑え込んだ瞬間、逆に葵が踏み込んできた。反射で繰り出した手は当然だが精彩を欠き、すり抜けることを許してしまう。
「あ、葵ちゃん!」
「はっは~! 甘いょ、ゆっき!」
それは四女もまた同じだった。
運動性能の落ちた彼女に止められるはずもなく、あっさりセーフティーラインを突破した葵はパルクールじみた動きで二階へと駆け上る。
「くう……!」
まずいまずいまずいまずい!
当然追いかけるが、間に合わないのは明らかだ。
俺が階段を登りきるよりも早くに葵は兄妹部屋へ到達し、四人を発見してしまうだろう。
(くっそ、ここまでか……!)
完全なる諦念を感じながら部屋へ辿り着いた俺は、しかし。
「う~……ここでもない、か……」
「へ?」
中で悔しそうに歯噛みする葵を見て、一瞬呆けてしまった。
(どういうことだ……?)
四人が見つからなかったのは喜ばしい。
だがそれは彼女達がどこにいるか把握できている場合だ。今みたいに何もわからない状況では、喜びより疑念が勝るのも当然だろう。
「……(解るか?)」
「……(んーん。全然……)」
「……(だよなぁ。実は元に戻ってたり?)」
「……(それもないよぉ……)」
「ええい、目と目で会話は禁止だょ!」
「うるさい。ってか葵、いい加減にしろ。これ以上は流石に怒るぞ」
「なんかこー、すっごい秘密の匂いがするのに不完全燃焼なんだょ!」
「秘密なんてないからだよ! 勝手に勘違いして勝手に家探しすんな!」
少しだけ強く言ってみるが、暴走幼馴染は俺の反応なんて聞いちゃいない。
顎に手を当てて“考える人”みたいなポーズを取ったかと思えば、今度ははっとして廊下へと飛び出した。
なんなのこいつ、情緒不安定なの?(平常運転です
「解った! あの部屋っだ!!!」
だが――続いて葵が指差した部屋は、情緒不安定だろうと許してはならない場所である。
「ば、バカ! 葵、お前、あそこ親父の書斎だぞ!?」
俺の声はほとんど悲鳴だった。
だが当然だろう。
伊達家の大黒柱、伊達唯人は絶対者である。不在の間に書斎を荒らすなんて言語道断の真似を許してくれるはずもなく、考えることすら恐ろしかった。
「人生何事もチャレンジだょ!」
「そういう問題じゃねぇ!」
「大丈夫! 怒られるのはきっと兄貴だから!」
俺の制止を聞くことなく、葵がドアノブに手をかけた。
「お前ほんっっっっと汚ぇなぁ!!!!!」
もはや殴るしかない。
それだけはさせるかと、泥沼の喧嘩になることを覚悟して拳を振りかぶった俺へ、流石に葵が身構えた瞬間――。
「――ほう。いい度胸だな、葵」
声が、聞こえた。
暴走する葵をして尚、止まらざるを得ない――いるはずがないと思っていた声が。
「へ?」
「前にも言ったはずだぞ。オレの部屋に勝手に入るなと」
否。声だけではない。
葵ともども、ぎこちない動作で振り返った先には男の姿がある。
美丈夫と表現出来るほど整った容姿を持ちながら、抜き身の刃にも似た苛烈な雰囲気を纏った男――。
「お父さん……」
即ち伊達家の家長、伊達唯人。
絶対王者の帰還に葵の口元がひきつった。
誰に対しても傍若無人な彼女だが、なぜか唯人だけには弱いのだ。“シンプルに怖い”らしいが、その恐怖を示すように涙目である。珍しい。
「現行犯だな。お前の根性は知っていたつもりだが、まさかここまで筋金入りだとは思わなかったぞ。葵」
「あ、と」
「軽く見られたものだが、覚悟があるのなら仕方あるまい。オレの言葉を無視するということは、当然、相応にはしているだろうからな」
「あ、あう……あう……」
「さて。違うというのなら言い訳は聞くが?」
ちなみに雰囲気通り、唯人は容赦だとか手加減をしない。
当然、涙目程度で止まるはずもなかった。鋭利な双眸で葵を見下ろし、最後通牒をつきつける。
「……ご、誤解だょ?」
「止める一護を振り切り、ドアノブに手をかけた状態のどこが誤解だ。言ってみろ」
「あ、え……あーっと……ご、誤解ってゆーか、じょーだん! 冗談なの!」
「ほう?」
「あ、あはは! あはははは!」
(うわぁ……)
これ以上ないくらいに酷い言い訳だった。
何一つ響かず、本人すら騙せない。明らかな嘘と解る言い訳に当然、唯人は雷を落とすと思ったのだが――。
「……くだらんが、まぁいいだろう」
「へ?」
意外なことに彼はそれを受け入れた。
苦笑こそしているが、先ほどまで見えていた怒りがわずかに緩んでいる。
「なんだ? 冗談に目くじら立てるほど狭量ではないぞ?」
「いやいやいやいや親父、冗談嫌いじゃ――すみません。黙ってます」
うおお怖っ。視線だけで殺されるかと思った。
口を挟もうとした出来の悪い息子(俺)にため息をつきつつ、唯人はさらに歩を進める。体の軸が一切ブレない姿は一振りの鋼そのもの、曖昧な答えや逃げは決して許されない。
「オレが嫌うのは笑えない冗談だ。場を和ますためや笑いを求めてのモノまで煩わしくは思わん。それとも――」
葵の目前にたどり着いた唯人の威圧感が、さらに一等増した。
戦闘態勢の鷹ですら軽く超える圧力と共に、今までに倍する怒りが解き放たれる。
「――冗談というのは嘘か?」
「まっさか~! 嫌だな、唯人サン!」
対する葵は全力の愛想笑い。
当然だろう。冗談ということで受け入れてくれた以上、それを蒸し返すほど愚かなことはないのだから。
「あ! 兄貴、ゆっき! あたし今日は帰るょ! また明日ね~~~~~~!!!!!」
ついで、耐えきれなくなった葵が脱兎の勢いで消えた。
振り向きもしない。どれだけ怖かったのかよく解る、見事な逃げ足だった。
「……まったく。相変わらず仕方のない奴だ」
「お父さん……」
「親父……」
「フン。危なかったな、一護」
苦笑した唯人が扉を開ける。
葵がドブノブまで手をかけていた書斎の扉――果たして、その奥から。
「「「「お兄ちゃん!!!」」」」
「っと!」
行方知らずになっていた四人が飛び出してきた。
なんとか抱き留めたが、少しだけ震えている。廊下のやり取りが聞こえていたのだろう。いつ見つかるか気が気でなかったに違いない。
「ここにいたのか……」
「オレが押し込んだ」
「親父が?」
「ああ。オレがいるならどうにでもなるが、生憎と少し出なくてはいけなかったからな。見つからないように書斎へ隠れているよう言いつけた。オレが帰ってきた時のように、夕飯の支度なんぞしていたら、間違いなく見つかっていたぞ」
「……返す言葉もない」
「想定が甘いんだお前は。非常事態は常に最悪を考えて行動しろ。いいな?」
「……解った」
幼馴染であろうと、今日は家へあげるつもりはなかった。
だがそれはまったくの油断である。
実際、葵の突破を許したし、そのせいで四人には怖い思いをさせてしまったので、反省以外の選択肢はなかった。
「……お父さん。お兄ちゃんは――」
「解っている。そこまで説教するつもりはないが、必要なことだ。今回は非常事態だが、そうでなくともお前達を護るのは一護の仕事だからな」
「おい親父。雪音を護るのは俺がそうしたいからだ。仕事とかいうな」
「…………フン。ならば精進しろ」
俺の言葉はどうやらお気に召したらしい。
身を翻した唯人は、言葉と裏腹にほんのわずか笑っていた。
「オレはもう少ししたら出る。恐らく戻れんが、大丈夫か?」
「……ああ。あの様子なら今日はもう来ない」
「風見や鷹は?」
「天見さんを手伝ってるって言ってたから、風見は来ないと思う。鷹は……えーと、その……協力を頼んだ」
「……そうか。まぁ鷹なら良いだろう。知られないのがベストだったが……仕方あるまい」
ため息をついた唯人の目が愛娘へ向く。
抱きついたままなのを怒られると思ったか、それだけで全員がぱっと離れた。甘えん坊の次女ですら離れるあたり、日頃の教育は完璧である。
「雪音。今のお前達は奇跡の産物だ。二度は起こらん、泡沫の夢にも等しい。それぞれがどう感じているかは解らんが――」
小さく頷いた唯人はわずかに俺を見る。
それは刹那で消える小さな揺らぎだったが、言葉を続けるかを迷ったのだと遅ればせながらに気づいた。
「――解らんが、“今”を少しでも惜しいと思う気持ちがあるのなら、後悔はするな。例え記憶には残らずとも。魂に残るモノはある」
「――――――――」
「ではな。また出る時に声をかける」
唯人が書斎に消えて、思わず息をつく。
葵の乱入に唯人の帰還と、個人的に辛いイベントが目白押しだった。ただでさえ疲れているというのに、“倍率ドン!さらに倍!”とでも言いたげな勢いである。
「……リビングは目立つし、部屋で休むか」
「あ……うん」
どこか呆けた様子の五人と連れ立ちながら、俺は唯人の言葉を思い出していた。
“後悔はするな。例え記憶には残らずとも。魂に残るモノはある”。
――それは果たして、どういう意図なのだろうかと。




