五等分の妹嫁 その9
――さて、ようやく昼休みに突入したわけだが。
「あー。やーっと終わったー」
まず、がたがたと無駄に椅子を鳴らした前に座る葵が立ち上がる。
ついでに机を手にしてくるりと半回転、俺の机と合体させ――同じく横から鷹、そして幼馴染最後の一人である風見も机をドッキングさせた。
「おなか減ったぞー! 成長期なめんなー!」
「そうだそうだ~! 早弁の文化を国は認めろ~!」
「早弁が文化……」
「100%違ぇだろ」
風見の妄言を全員で突っ込みつつ、もう一人分の机と椅子を拝借してセット。
驚きの早業で準備完了である。出来上がったのは五人用のテーブル席――流れるような設営の手順はそのままズバリ、慣れているからだった。
「さーて、今日のご飯はなっにかなー♪」
「ごっはん、ごっはんー♪」
嬉しそうにカバンを漁る葵達には悪いが、俺は飯どころではない。
何故ならば、この一時間こそ本日最大の山場なのだ。
一学年下の雪音は別授業だし、幼馴染と登下校は必ずしも一緒ではない。放課後がどうなるかはまだ解らないが、全員で飯を食うことが恒例となっている昼休みこそ見えている地雷、乗り越えるべき関門といえよう。
「む。葵ちゃん、不満な感じ」
待ちきれなかったのか弁当箱を覗き込んだ葵が、眉間に皺を寄せた。
雪音がまだ来ていないので食べることはしなかったが、おかずが気に食わなかったのだろう。気分が山の天気よりも変わりやすいワガママ娘は、その日の嗜好で食べたいものが極端に変わるのだ。
「ねーねーでっかいのー」
「あん?」
自分で購買に行けばマシな方で、ついでと称して人をお使いに出したり飯を横取りしたりとやりたい放題なのだが――。
「購買でついでに――って、あり?」
今日は勝手が違ったらしい。
いつもの癖で人をパシらせようとした葵は、鷹の準備する巨大な箱に目を丸くした。
「今日は弁当なん?」
「おう。道場が合同稽古でよ。昼飯配るっつーから、俺の分も貰ってきた。購買も悪かねぇが、毎日じゃ飽きるしよ」
「合同稽古……懐かしいな。平日とは珍しい」
「色々あって昨日と今日になったんだよ。ま、今日はほとんどジジイ共だろうけどな」
「おじいちゃん達で大丈夫なの~?」
「平気だろ。ジジイはジジイでも、昔の師範代とかだかんな」
「あー。そりゃ兵器だわ」
誤字ではない。マジで漫画のような強キャラ爺様達である。
「って、そういうことじゃな~い! あたしのお昼ご飯どーすんのさ!」
「弁当食えよ」
「プラスアルファが欲しーの!」
「知るか」
「準備の足りない葵ちゃんが悪いと思う~」
「く……みーまで……相変わらずご飯の話だと強気だょ……!」
同感である。
風見は良く言えば穏やか、悪く言えば何も考えていないのだが、食だけは人一倍うるさかった。三ツ星シェフの雪音よりもこだわりが強い辺り、その執着具合が垣間見える。
「仕方ない……ゆっきに頼むょ……」
「俺の妹をパシるな」
「過保護だょ!」
「お前が横暴なだけだ。大体、三階の一年生を一階の購買に行かすなっての。メチャメチャ遠回りだろうが」
「だって行くの面倒だし。あたしが群がる愚民どもを蹴散らすと兄貴も困るっしょ?」
「困るな。お前との絶縁を本気で考えなきゃいけないし」
「そういう理由!?」
「ンじゃ風見に頼めよ。どーせデザートかなんか買い行くだろ?」
「絶対に食われるジャン」
「人聞きが悪いな~……葵ちゃん……お駄賃に一口だけだよ~」
「一口で半分以上こそぎ取るでしょーが!」
飯も食わずにぎゃーぎゃー騒いでいると、時計を見た鷹が呟く。
「ってか雪音ちゃん遅くねぇか?」
「確かに。どーなってんのさ、兄貴」
「おなかすいた~!」
「いやまだ五分くらいだろ。もう少し待てって」
「つっても雪音ちゃんが遅れるなんてそうそうねぇだろ」
ちらりと鷹の目がこちらへ向いた。
この場で唯一事情を知る男が、なんで話をややこしい方向に持っていくのかと思いきや――。
「一護。雪音ちゃん、大丈夫なんだろうな?」
――俺に問いかけるためだったらしい。
言葉は普通でも鷹の眼光は剣呑さを帯びていた――“ちゃんと四女を連れてきたんだろうな?”との裏を、悟らずにいられないほどに。
「……ああ。大丈夫だ」
苦笑しながら答える。
ちゃんと腹は決めてきた、だから協力しろと伝えるために。
「……そうかい。ならいいんだけどよ」
「なになに? ゆっき体調悪かったりすんの?」
「いや、別にそんなことは――」
「こんにちは~……」
絶妙のタイミング。
鷹の態度に葵が食いつきかけた瞬間、雪音が姿を現した。
「も~、ゆっき! 遅いょ!」
「あ、あはは……ごめんね、葵ちゃん。授業が長引いちゃって……」
早速のアタックに苦笑しながら、雪音が俺の隣に座る。
昼休み限定の定位置だ。下級生だが毎日同じ席で食べていればクラスメイトも慣れる。ちらほら視線は向いているが、いつも以上とは感じなかった。
「待たせちゃってごめんなさい」
「授業なら仕方ねーだろ。それよかとっとと食おうぜ」
「そうだね~♪ お昼ご飯だもんね~♪」
「……むぅ。ま、仕方ない! 許してあげるょ!」
「何でいちいち偉そうなんだ……」
葵をジト目で見つつ、とりあえず疑われていないようで安堵。
用意していた弁当を各々開けて、いつものお昼ご飯がスタートした。
「さて、いただきます……と」
ちなみにお弁当も五女の御手製である。
自家製ポテトサラダに栄養たっぷり野菜炒めと竜田揚げ、ご飯はキノコの炊き込みご飯。本人は思ったほど上手く作れないと嘆いていたが、どれも充分に主役を張れる一品だった。
「えへへ。美味しいね、お兄ちゃん♪」
「ん。美味いな」
「……珍しいね~」
「確かに。ゆっき、今日の弁当は自信作なん?」
「ふぇ? どうして?」
「だって兄貴と同じタイミングで食べ始めたジャン。いつもは感想もらうからって一口目待ってるのに」
(あ!?)
言われてみればそうだ。
手料理を振る舞った時の雪音は必ず俺の反応を伺う。本人曰く一口目のリアクションで出来が解る――ということで、自分はそれまで食べずに待つのが習慣だった。
今日は五女の料理を四女と食べているので失念していたが、確かにいつもと違う行動である。
(しまった……)
少しばかり上手く行っていると油断した。
唐突なピンチに俺は思わず口を開こうとしたが――。
「あ、あはは。自信作っていうか……」
――それには及ばないとばかりに、四女が完璧に返す。
「今日はお兄ちゃん早起きさんだったから、作ってる時に味見してもらってたの」
「あー、にゃる」
「朝からいいモン食ってんなぁ、おい」
「羨ましい~」
「……言っとくけど、別に早起きしなくても美味いものは食わせて貰ってるからな(なでなで」
「えへへ♪」
ナイス言い訳と頭を撫でて感謝の意。
ちょっとビックリするくらいの機転だった。思っていた以上に四女の適応性が高い。
「そういうお前らの弁当も美味そうだな」
「うん、美味しいよ~♪(もぐもぐ」
風見の弁当はいわゆる“ドカ弁”である。
だが八重葉家の台所を預かる天見さん――風見の母親――は大量料理のエキスパート。デカい弁当箱を埋め尽くす食材は、充分すぎるクオリティを兼ね備えていた。
「鷹さんのお弁当は……」
「あー、例のアレ? 謎シチュー」
「謎とか言うんじゃねぇよ。人聞きの悪ぃ」
白米ごと汁をすすりながら、鷹が顔をしかめる。
月都家の合同稽古――あらゆる年代による武術家の集いに振る舞われるソレは、端的に言えば煮込み料理だった。だがあまりにも多種多様な食材を煮込んでいるせいで原材料が特定できず、雪音ですら再現不能な摩訶不思議メニューである。
「お前らだって食ったことあんだろーが。別にまずくなかっただろ?」
「そうなんだよねー。つーか普通に美味しい部類。食べると無性に暴れたくなるけど」
「あ。確か滋養強壮効果があるんですよね?」
「……合同稽古の午後ってオール組手だからな。アホじゃないかと未だに思う」
かつて通った地獄へ思いを馳せつつ、視線は最後に残った葵の元へ。
彼女の弁当はひどく単純だった。即ち――。
「……お肉?」
肉である。
牛・豚・鶏。ハンバーグ、唐揚げ、カツ、ステーキ、ウインナー、ハム――白米を除けばありとあらゆるお肉様が並ぶミートフェスティバル。完全に出オチじゃねぇか。
「体に悪いぞ」
「葵ちゃん。お野菜も食べないと……」
「ンな弁当、初めて見たわ」
「肉食系だね~(もぐもぐ」
「ええい、好き勝手なことを!」
「だって事実だしな……普通はそんな弁当にならんだろ。心当たりとかないのか?」
「知らないょ! 強いて言うなら、ダディにちょっとお肉食べたいなーって昨晩言っただけだし!」
「「「「…………」」」」
「なんでみんなして疑いの目を!?」
「いやなんでって言われても……」
家族ぐるみの付き合いをしているのだ。当然、葵の親も知っている。
仕事の都合であまり家にはいないらしいが、おじさんは非常にマトモな大人だった――葵が何かやらかさない限り、こんな肉だらけ弁当にはならないはずである。
「……まぁいいけどさ。俺に害はないし」
「妹分が困っているのに兄貴が冷たい件について」
「俺は自己責任を重んじる男だ」
「雪音ちゃんにゃ過保護だけどな」
「だね~。さっきも葵ちゃん止めてたし~(もぐもぐ」
「うるさい」
「さっきって……何かあったの? お兄ちゃん」
「大したことじゃないぞ。葵がお前をパシろうとしてたから止めただけだ」
「あ、あはは……さっき葵ちゃんの声が廊下まで響いてたから、何事かと思ったけど……それだったんだね」
「まぁあたしの声は戦場でもよく通るからNE。仕方ないょ」
「いつ戦場から帰って来たんだテメェは」
何故かドヤ顔で遠い目をする阿呆に、思わずため息。
だが同時に安堵もしていた。
幼馴染の会話は大体こんな感じで話があっちこっちよく飛ぶのだが、これだけめまぐるしく内容が変われば、違和感があっても少しならすぐに立ち消える。
「むぅ……肉が、肉が攻めてくるょ……」
「あ、あはは……葵ちゃん。お野菜ちょっと食べる?」
「食べる!」
「わたしも~!」
「風見まで相乗りすんな。雪音は細っこいんだから出来るだけ食わせたいんだよ」
「大丈夫だよ、お兄ちゃん。少しだけだし……はい、二人とも」
「いえーい! 流石ゆっきー! ヒューヒュー!」
「わ~い!」
「……これで年上っつーんだからなぁ」
女神の如く自分のお弁当を分ける雪音と、満面の笑みでそれを受け取るバカ二人。
苦笑しながら呟いた鷹の言う通りだった。少なくとも年上の所業ではない。飯をたかる上級生とか下手すればカツアゲである。
だから――まさかこんなことで、ピンチが来るとは思ってもいなかった。
「あれ~? 雪音ちゃん、味付け変えた~?(もぐもぐ」
野菜炒めを食べた風見の目つきが変わる。
普段はぽんこつだが、食事に関してだけは超一流の“暴食女帝”が僅かな違和感を嗅ぎ当てた。
「なんかいつもより薄いっていうか、深みが足りないっていうか、一捻りが足りないっていうか~……う~ん。とにかく、いつもの味じゃないよ~?(もぐもぐ」
「……確かにみーの言う通りかも。素材の味を活かし切れてない感じ?」
食べる専門なのに偉そうなのはさておき、言葉は事実である。
五女の弁当は充分すぎるほど美味しいが、それでもオリジナルに比べれば一歩劣った。それが雪音の料理を食べ慣れた連中には見逃せない違和感なのだろう。
「あ……えっと実はちょっとだけ失敗しちゃって……」
「失敗? 兄貴の弁当にも入ってたよね?」
「う、うん……もちろん、お兄ちゃんのところには美味しく出来た部分だけ入れたよ? 本当は抜こうと思ったんだけど――」
「まったく解らんくらいに美味いし、勿体ないから入れさせた」
咄嗟に助け舟を出す。
失敗した料理は俺に食わせない――雪音が常々言っていることだ。それを覆すためには、俺自身の言葉で強制したことにするしかない。
「……美味しいは美味しいけど、ゆっきが食べさせるのを許容する味じゃないけどにゃ?」
「文句言うなら食うなよ、肉娘」
「誰が肉娘かっ」
「お前以外にいねぇだろーが」
「むぅ……なーんか、違和感あるんだょ。朝からだけど」
完全にスイッチが入ってしまったようだ。鷹が挑発して話題を忘れさせようとしたが、葵はしつこく疑いの目を雪音へ向けている。
「違和感って……私に?」
「イエス。みー。今日のゆっきちょっと変じゃない?」
「そう~? いつもの雪音ちゃんだよ~?(もぐもぐ」
「……おい葵。よく解んねぇが、雪音ちゃんが偽者っつーことか?」
(ちょ!?)
なおも疑う葵へ、いきなり鷹がぶっこんだ。踏み込みすぎの一言に心臓が一段と騒がしくなるが、知ったことかと言わんばかりに親友は言葉を続ける。
「俺にゃ全然そう見えねぇけどな」
「偽者とは言ってないじゃん。見た目、完全にゆっきだし。つーか、ゆっきみたいな子が二人以上いたらあたしは世界を滅ぼすょ」
すみません。今日限定で五人いるから二回半、世界が滅んでしまうんですが。
「それも意味わかんねぇが……ンじゃ結局何がしてぇんだよ?」
「だーかーらー! なんか隠してるっぽいのが気に食わないの! わかれバカ!」
「わかるかバカ」
「バカって言うほうがバカなんだょ!」
すげぇ。二行でブーメランしたぞコイツ。
「あ、あはは……偽者じゃないよ……?」
「……解ってるょ。さっきも言ったジャン。そうじゃなくて、隠し事が気に入らないの。あたしは」
「隠し事ねぇ……なんかあったっけ?」
「んーん。解んない」
「むぅぅぅぅぅぅ」
すっとぼける伊達兄妹に葵が悔しそうに唸った。
だが実際のところ、大した洞察力である。
性格が多少違うとはいえ、外見はほぼ同じ――しかも朝と昼しか会話していないのに違和感を嗅ぎ当てるとは、流石だった。
(こりゃ要警戒だな……)
どう見ても納得していないし。意地になった葵はしつこいのである。
この後の面倒くささを思いやると、思わずため息が漏れた。




