五等分の妹嫁 その8
一方――伊達家に残された四人はと言えば。
「あ~う~……」
「…………」
「…………あ、あはは」
「もう……お行儀が悪いですよ。次女ちゃん」
「長女ちゃんも一緒だよ~う……」
見事に溶けていた。
カーペットを転がる次女とベッドに寝そべる五女は論外だが、クッションに寄りかかる三女もベッドに背中を預ける長女も、あからさまに覇気が足りていない。
「昨日、私達って何してましたっけ……」
「ええっと……お兄ちゃんに膝枕とか、頭撫でて貰ったりとか……」
「それは……うん。時間も忘れますね……」
「……私はお料理しましたよ。念のため」
「うぅ……お兄ちゃんいないとつまんない……」
理由は次女のセリフに凝縮されていたわけだが、まぁそんな感じなのだ。
現在の時刻は十一時前、つまり一護達が登校してからまだ三時間程度しか経っていない。家事で時間を潰すつもりが、四人で分担した結果、思ったより早く暇になってしまったのである。
「……四女ちゃん大丈夫かなぁ」
「大丈夫だと思いますよー……」
「しっかりしてますから。四女ちゃんは」
「……お兄ちゃんは心配そうでしたけどね」
誰からともなく苦笑が漏れた。
鷹の助言がなければ、学校に行かせる決断はしなかっただろう。迷った挙句に自分だけ登校して、葵とすったもんだする姿が容易に想像できた。
「お兄ちゃんに心配してもらって、学校一緒に行って……四女ちゃん、いいなぁ……」
素直な言葉が次女から漏れる。
出発直前まで残った四人も気にかけてくれていたので、不公平とまでは思わないが――それは多かれ少なかれ、全員が持つ感想だった。
「……ね、みんな!」
故に。
生粋の甘えん坊たる次女が我慢できなくなったのは、自然の摂理である。
「学校、行こ!」
「「「え?」」」
「みんな寂しいよね? お兄ちゃんに会いたいなら、一緒に行こうよ!」
「え、えーっと……確かに寂しいですけど……」
「それだとお兄ちゃん困っちゃうんじゃないですか?」
「……そうですね。多分、すっごく困ると思います」
「え~!? でもつまんないよ!?」
清々しいほどに一直線な想い。
そのまっすぐさを羨ましく思ったのは紛れもない事実だが、同時にそれは実行してはならない暴挙である。
さて、どう言いくるめようかと長女が考え始めた時――。
「……怒られるよ?」
ぽつりと五女が呟いた。
端的に、だが明確な事実を――逃げようのない未来を彼女は口にする。
「私は行かない。お兄ちゃんに怒られるのも、困らせるのも絶対に嫌ですから」
「あぅ……怒る……かな?」
「もしくは悲しむかな。それでも行くなら止めませんけど」
「……それは……嫌だね……」
容赦のない正論に、ぼふんと次女がベッドへ沈んだ。
一護を困らせる、悲しませるのは論外である。彼女達の根幹を成す思いは、次女の甘え気質であっても裏切れなかった。
「あうぅ~……お兄ちゃ~ん……」
やるせない嘆きが胸に響く。
会いたい気持ちを抑える辛さは全員が知っているし、今この瞬間も経験中だ。その痛みは簡単に無くせるものでないと、骨身に染みている。
故に――。
「あ、それじゃあゲームとかどうですか?」
このままではよろしくない。
そんな使命にかられた三女がそう口にしたのは、当然であった。
「ゲーム……?」
「はい。少しは気もまぎれると思いますし」
「……なるほど。いいかもしれませんね」
「それじゃあトランプとか? 葵ちゃんのボードゲームも少しは置いてあるけど……」
「いえ……お兄ちゃん分を埋めるためには、普通だと足りないと思うんです」
「……確かに」
気がまぎれるということはゲームに熱中しなければならない。
ゲーム自体に乗り気ではない次女を見れば、普通にゲームをしてもダメなのは明らかだった。
「だから私は――“お兄ちゃんに言って欲しいセリフ選手権”を提案します!」
「――――――」
時間が止まる。
まったくリアクションがないことに三女の脳裏を後悔が掠めた。がんばってテンションを上げたからこそ、余計に恥ずかしい。
「え、えっと……それぞれお兄ちゃんに言ってほしいなって思うセリフを……順番に言って……全員で意見交換をするっていう……その……内容なん……ですけど……」
「……なるほど」
驚いた表情で、だが真剣に三女の話を聞いた三人はそれぞれに頷いた。
詳しい説明もクソゲー臭しかしない。
仮にここで葵がいれば、引き攣った顔で“正気?”と言い放っただろうが――ここに揃うは自他共に認める屈指のブラコン、伊達雪音の分御魂である。
「やりましょう」
「うん」
「おもしろそー!」
まさかの満場一致だった。
先ほどまでの空気はどこへやら、全員が体を起こしてルールを固め始める。
「言って欲しいセリフなら何でもありなのかな?」
「でもそれだと範囲が広すぎますよね? 状況も含めて説明しないと……」
「……そうですね。シチュエーションを限定した方がいいと思います」
「シチュエーション? 一緒にお料理してる時~、とか?」
「あ、いいですね。“手際がいいよな、雪音は。俺にも教えてくれるか?”――とか」
「……“俺もたまには美味しいもの作ってやりたいんだよ”とか」
「“まだ途中だけど味見するか? ほら、あーん”……とか!」
盛り上がってまいりました。
ちょっと例を出した瞬間、荒れ狂う想像の海。
脳内お兄ちゃんがみんなのセリフと共に様々な表情の変化を見せ、凄まじい破壊力を叩き込んでくる。
「……これヤバイですね。全部ドストライクです」
「まぁ……うん……そうなるよね……」
「基本的な趣味嗜好って一緒ですからね、私達……」
「ねぇねぇ別のシチュエーションでも考えてみよう! 楽しくなってきちゃった!」
真っ赤になりつつ、しかし次女が楽しそうで何よりだった。
一護に迷惑をかける可能性も減ったし、万事丸く収まっての大団円――。
「それじゃ次女ちゃん。お題をどうぞ」
「うん!」
だと思っていたのだが。
「えっとね……一緒に寝てくれる時の誘い方!」
「「「――――――――」」」
瞬間、伊達家に激震走る。
次女が高らかに、屈託なく告げたシチュエーションは紛れもない劇薬だった。一護へ特別な想いを抱く彼女らにとって、死に至る衝撃を受ける可能性は十二分にある。
だがそれでも――否、劇薬だからこそ――抗いがたい魅力があるのだ。
「「「採用」」」」
戦が、始まった。
◆◇◆◇◆
(……んぅ? なんか面白いことを逃がした気がします)
休み時間に突入した四女は、不意にそんなことを思った。
本人は知る由もないが、それは他の四人がシチュエーションゲームを始めたのとほぼ同時刻である。テレパシーにも似た感覚は、フィクションでおなじみ共感覚とやらだろう。
(……まぁ気のせいですね。さて次は国語国語……と)
きっぱり切り替え、四女は午前最後の授業へ意識を向けた。
分割された状態で進学校の授業は非常に辛い。特にオリジナルが学年有数の優等生ともなれば、演じる難易度は桁違いだった。
これはお兄ちゃんに特別手当を貰わねば――などと不埒なことを考えていた彼女の元へ、ふっと影が差す。
「…………」
「え?」
そこには思ってもない姿があった。
流れるような白銀の髪に、感情の読み取れない紅蓮の瞳。人形じみた美しさと独特な雰囲気を纏う彼女の名は――
「……深榊さん?」
深榊美羽。
優等生ばかりが集まる赤樹学園の中、不動の学年トップを誇る才女だ。勉学で彼女に勝る生徒はいないと断言する教師がいるというだけで、その天才性が解るだろう。
だが一方で彼女の人となりはよく解っていなかった。
クラスメイトである雪音ですら、マトモに会話した記憶はほとんどない。眠たげな瞳で外を眺めているか、本を読んでいるか、あるいはそのまんま寝ているか――彼女のミステリアスさは群を抜いており、クラス内で不可侵の域にまで達していた。
「えっと……」
そんな彼女が唐突にやって来たのである。
ちょっとした珍事に気づいたクラスメイトもチラチラ見ていたが、当の美羽はどこ吹く風。何を言うわけでもなく、朱色の瞳でこちらをじっと視ていた。
「な、なにかありましたか?」
「……大丈夫?」
「え?」
「体調。大丈夫?」
「は、はい。特に問題ないですけど……?」
「……元々? ……ううん、薄い……三割以下……けど安定してるなら……?」
心配してもらっておいてなんだが、呟かれるとぶっちゃけ怖い。
興味津々といった態でこちらを眺め――否、観察していた美羽は、暫くして頷いた。
「……ん。許容範囲」
「あ、あの。深榊さん!」
そのまま立ち去ろうとした美羽を、咄嗟に引き留める。
「?」
「ええっと、どうしたんですか……?」
「……?」
「首を傾げないでください。えっと、その、薄いとかなんとかって……」
「……ん。許容範囲内。大丈夫b」
「い、いえ、ですから許容範囲って何が……」
「…………説明が難しい。自覚してないなら、知らない方がいい」
「ええええええ……」
取りつく島もなかった。
一護曰く社交性の塊である四女を以てしても突破口を見出せぬまま、美羽が立ち去る。その後ろ姿を追いかける気にもなれず、どっと疲れた雪音は机に突っ伏した。
(ううう……お兄ちゃんに回復してもらわないと……)
お昼休みに充電することを決定事項としつつ、美羽の言葉を思い出す。
薄い――三割以下。
今の雪音は五分の一、確かに単純換算で二割だが――ほとんど喋ったこともなく、同じ教室にいるだけの自分に対して、そんなピンポイントなことが解るはずもなかった。ただの偶然だろう。
(……まさかね)
深榊美羽。
まったくもって謎のクラスメイトである。




