五等分の妹嫁 その7
しかし、現実は残酷なわけで。
「……一睡もできなかった」
予想通りの結果を恨めしく思いつつ、徹夜明けの瞼をこする。
寝る場所を賭けた仁義なき戦いは、結局、俺の負けとなった。
次女を引き剥がす手段を考え付くよりも早くに他の四人がオーバーヒートから回復し、見事にゲームオーバー。
最終的には色々な覚悟を決めて布団に加わったわけだが……これがもうあったかいやら柔らかいやらいい匂いやら、五感全てを揺さぶる桃源郷と化している始末。
(ただでさえ最近は可愛すぎるというに……)
普段は押し殺しているそんな気持ちが浮き上がってくるくらい、衝撃的な夜だったわけだが――それはともかく。
「あはは。お兄ちゃん、すごいクマですね?」
「誰のせいだ誰の……」
食卓を囲む彼女達は、逆に生気が満ちていた。
お肌はツヤツヤ、表情はニコニコ、朝陽に照らされる髪の毛一本一本までもが、エネルギーに溢れている。
……俺、なんか吸われてないよね?
「えー。私達のせいじゃないよー?」
「俺が言った通りに狭かっただろうが。寝返りも出来ないし」
「でも私達は大丈夫でしたよ?」
「……ぐっすりでした」
「お兄ちゃん分が満ちているとやっぱり違いますねー」
「ですよね。よく眠れました。えへへ♪」
「……さいですか」
謎の成分に突っ込む気力もないわ。
「で、四女。今日は頼むぞ。本当に」
「はいはーい」
気を取り直して問いかけると、元気よく四女が手を挙げた。
見慣れた赤樹学園の制服は間違いなく似合っている。
似合っているのだが――見慣れているが故に、いつもの雪音との違和感をより強く感じてしまった。それは着こなしだったり、仕草だったり、姿勢だったり、ちょっとしたことではあるのだが、違和感には違いない。
「…………大丈夫かなー」
「ここまで来たら心配するだけ無駄ですよ。お兄ちゃん」
「それはそうなんだけどなー……」
「四女ちゃんならだいじょーぶだよ」
「俺もそう願う」
「お兄ちゃんが信じてくれない……およよ……」
「そういうとこだぞ」
雪音が絶対しないリアクションだからな、嘘泣き。
「……はい、コーヒーですよお兄ちゃん。眠そうでしたから濃い目にしました」
「ああ、ありがとう」
「あ、お兄ちゃん。髪の毛、触っていいですか? 跳ねてる部分直しますよ?」
「ん? ああ悪いな。頼む」
「はい♪」
「く、みんなここぞとばかり! 私もお世話したいのに……!」
「お前は演技の練習しなさい」
本当に大丈夫なんだろうか……心配だなぁ。
◆◇◆◇◆
俺達の通う赤樹学園は家から十五分程度の場所にある。
距離にすれば一キロ程度なので自転車を使うほどではないし、住宅街として舗装された道は歩きやすいため、幼馴染は全員が徒歩通学を選んでいた。
そんなわけで、時間がかち合えば一緒に登校することもあるのだが――。
「……俺らだけだな」
幸いなことに今日は時間がズレたらしい。
通学路に人影はまばらで、幼馴染どころか生徒の姿も見当たらなかった。遺憾ながら、赤樹学園では伊達兄妹はそこそこ有名人なので、二重にラッキーである。
「もう……気にしすぎですよ、お兄ちゃん。私、頑張りますから。お兄ちゃんはどーんと構えていてください」
「どーんと、ねぇ……」
「はい。どーんとです」
「うん、そりゃ無理だ」
きっぱり伝えると、四女がズッコケそうになっていた。
「えぇぇ……ここは頷いてくださいよー。それから微笑んで私の頭を撫でつつ、エールを送る場面ですよー?」
「しょうがないだろ。お前が緊張してるんなら、俺も気を配った方がいいし」
「ふぇ?」
「ん?」
「え、ええっと……緊張って……誰がですか?」
「してるだろ? 朝からずーっと。お兄ちゃんに隠し事は十年早いぞ」
「……………………バレちゃいました?」
「むしろバレないと思ってたのか……どれだけ俺はポンコツなんだ」
「だ、だってお兄ちゃん、いつも通りでしたから……隠せてると思ってたんですよぉ……」
「表情が硬い。鞄を持つ手にめっちゃ力が入ってる。小さめだけど深呼吸が多い。昨日と比べて軽口も少ない――」
つらつら理由を述べていると、四女が俯いてぷるぷるし始めた。
はてなと耳を澄ますと、小さな囁きが聞こえてくる。
「どうしよう……お兄ちゃんがめちゃくちゃ私の事、見てくれてる……すっごく嬉しいのとすっごく恥ずかしいのが一緒に来てるよぅ……」
「……」
うん、聞かなかったことにしよう。言われてみれば結構恥ずかしいし。
「……ってわけで、可愛い妹が緊張してるんだから力なんて抜けるわけないだろ。どうしようもないのかもしれないけど、出来ることはしたいしな」
「…………お、お兄ちゃんって損な性格ですよねー。私になんとかしろ! って言う方が楽なのに」
「そうか? むしろ俺から御願いしている形だし、このくらい普通だろ」
「絶対普通じゃないですよ……そういうところも大好きですけど♪」
「唐突に恥ずかしいことを言うな」
「無理です。本音ですから♪」
「……さいですか」
調子が戻ってきたようで何よりだ。行方不明だった『♪』も舞ってるし。
「そういえばお兄ちゃん。気になってたんですけど、今日のお昼ってどうします?」
「お昼?」
「いつもみたいに、お兄ちゃんのクラスまで行った方がいいですよね?」
「あー……うー……うん。そうだな。その方がいいか」
断腸の思いで決断する。
危険生物に悟られないよう、なるべく普段と同じ行動を取るべきだろう。俺と鷹が一緒ならフォローも出来るだろうし。
「いつも通りにな。いいか?」
「はーい、了解です♪」
ウインクついでに、敬礼の真似事をして見せる四女。
おどけた様子も不思議と似合っていたが、俺は苦笑を漏らす。
「そのオーバーリアクションも気をつけろよ? 四女としては可愛いし、いいけど。いつもの雪音はやらないからな?」
「解ってますよぉ。お兄ちゃんと二人きりなんだから、いいじゃないですか」
「今はまだな。でももう校門見えてるし――」
――などと話していたのが悪かったと思いたくはないが。
「お、兄貴とゆっきじゃーん」
「え?」
「へ?」
聞こえてきた声は、紛れもなく現実だった。
名前と同じ深い藍色の髪。
感情をくるくると映す大きな瞳、しなやかな体、気まぐれが過ぎる性格――どこか猫を想像させる幼馴染最大のトラブルメーカー:神楽葵が、何故か横合いの道から飛び出してきたのである。
「おっはよーん」
「お、おう」
「あ……っと。お、おはようございます」
流石に無視は出来なかった。四女と一緒に驚愕しながら、なんとか返答する。
「……お前、どっから出て来てんだよ」
「いつも一緒の道じゃつまんないジャン。てきとーに登校しながら探検をねー」
「この辺りで探検するトコなんて残ってないだろ」
「あっはっは、浅いなぁ兄貴は。世の中は知らないことで満ちてるょ!」
なんか大層なことを言っているが、多分、昨夜に探検番組でも見たのだろう。
「で、今日は二人なん? みーとでっかいのは?」
「さぁ? 先に行ってんじゃないのか?」
そのまま歩き出すと当たり前のように葵も動き出した。
引き続き探検(?)に行ってくれるかもと思ったが、流石に登校するらしい。
「みーはともかく、でっかいのが先に行くわけなくない?」
「そう思うんなら起こしにいってやれよ。喜ぶぞ」
「絶対喜ばないし。てか、あたしも面倒だし。ゆっきが行ったら喜ぶかもしんないけど」
(ぐ)
話題の振り方を間違えたー!
もう学園はすぐそこだし、葵との会話は俺だけで乗り切ろうと思っていたら、あっさり矛先が雪音に向いてしまう。
「あ、あはは……私はお兄ちゃんの御世話があるからちょっと……」
(おお!?)
だが四女は見事な言葉を返した。そこにいたのは間違いなく俺の知る雪音であり、完璧といっていい演技である。
――が、しかし。
「……なんで兄貴は百面相してるん?」
「してねぇよ!?」
「いやしてるし。つまんない嘘つかないでょ」
俺が大根のせいでセンサーに引っかかっていた。
ジト目でこちらを眺める姿は、経験上、あまり良くない兆候である。
「なんかあった?」
「なんかってなんだよ」
「なんかだょ」
「意味わからん。な、雪音」
「う、うん。葵ちゃん、どうかしたの……?」
「……むー。なんっか引っかかるんだけどなぁ……」
連係プレーで否定すると、葵が唸った。
疑っているのは間違いないが、それを言葉に出来ず苛立っているようだ。
(やばいな。気を付けよう)
冷や汗をかきながら、改めて気を引き締める。
一日は長いのだ。こんな初っ端から躓いては、先が思いやられる――。




