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いちゃいちゃ☆えんげーじ

 朝起きたら、妹がいなくなっていた。


 私室にもリビングにも、トイレにも風呂場にも台所にも。家中くまなく探しても見つけられない。まさかのミステリー編、“伊達雪音の失踪”開幕です――。


「……ってアホか」


 自らの妄想をバッサリと切り捨てて、一護は頭をかいた。


 朗らかな青年である。黒髪黒目という一般的な容姿ではあるものの、凛々しさと愛嬌が絶妙にマッチした顔立ちは充分に端整であり、モデルと言われれば大抵の人は信じてしまうだろう。


 寝起きで若干とろんとした目を無理やりあけて、彼はテーブルに置かれていたメモを手に取った。


“お兄ちゃんへ。お買い物に行って来ます。朝ごはんのサラダパスタが冷蔵庫に入ってるけど……12時にはお昼ごはんにするつもりなので、待っててくれると嬉しいな”


「買い物か。まぁ、そうだろうなぁ」


 読み終えた一護は、可愛い妹のおねだりに苦笑した。


 現時刻は十時半を過ぎている――夜更かししたわけでもないのに、ついつい爆睡してしまった。


 雪音の性格からして一護が起きるのを待っていたのだろうが、時間は有限。結局、タイムアップとなって買い物に出かけたのだろう。


「さて、どうすっかな」


 十時間以上の睡眠を経て、腹は当然減っている。

 減ってはいるが、一緒に昼飯を食べたいという雪音のおねだりを無下にするのは気が咎めた。


 そもそも遅く起きた一護が悪いわけだし、一人で味気なく食べるより可愛い妹と食べた方が美味いに決まっている。


「……よし、出かけるか」


 悩んだのはほんの一瞬、すぐにどちらを選ぶかは決まった。

 メモを机に戻し、着替えのために一護は部屋へ舞い戻る。


 この時間ならきっと、まだ間に合うだろう。


◆◇◆◇◆


 そうして簡単に着替えをすませた一護は、可及的速やかに目的地へ到着した。


 伊達家から徒歩十分――“スーパーベジータ”へ。


 断っておくが、別に戦闘民族の王子は関係ない。ひょっとしたら創業者がかの名作の大ファンで、そういう名前をつけたのかもしれないが、少なくとも利用者にとっては何の変哲もないスーパーである。


「さて、と」


 とはいえ相変わらず凄い名前だなと思いつつ、一護は店内へ入った。


 生鮮食料店特有のひんやりとした空気が心地よい。

 すきっ腹へダイレクトに響く、瑞々しい野菜の匂いと宝石のような精肉の鮮やかさ――もうトマトでも買ってそのまま噛り付こうかと考えた一護だったが、本来の目的を思い出して耐えた。


(お)


 目的がもう見えていたから、耐えられたともいうが。


(いたいた)


 一護の視界が捉えたのは、一言で表現するなら麗しい少女であった。美しい茶色の髪と奇跡的なまでに整った造詣、女性達の羨望を一身に集める白い肌とスレンダーなプロポーション。その身を包むシックなワンピースと薄手のカーディガンも、誂えたかのようによく似合っていた。


「…………」


 しかし――そんなアイドル級の美少女が何をやっているかといえば、お肉の吟味である。


 スーパーのカゴは二つ装備して台車へ。

 両手の異なる商品を見比べる姿は歴戦の鑑定士のようで、貫禄充分だった。


「よ」

「ふぇ?」


 所帯じみた妹――雪音の様子に苦笑しながら声をかけると、返ってきたのはきょとんとした表情。そのまま一秒が経過し、やがて二秒になる頃――目の前にいるのが誰か悟った雪音は、蕩けるような笑顔を浮かべた。


「……お兄ちゃん♪」

「おう。お兄ちゃんだぞ」


 冗談めかして応えると、一層雪音の笑顔が輝く。

 飼い主を見つけた子犬のような仕草は、ないはずの尻尾を容易に想像させた。


「でも、どうしたの? こんなところで?」

「そりゃお前を追いかけてきたんだよ」

「ほぇ?」

「家にいたら何か食っちまいそうだったし、一人でブランチってのは味気ないだろ?」

「え、えっと……?」

「解らんならいい」


 というか解らないほうがいい。昼飯を一緒に早く食べたいから追いかけてきたとか、我ながら食欲旺盛すぎるだろ。


「どんな感じだ? 買い物」


 一応訊いてはみたが、終盤なのは予測がついた。買い物カゴは二つともほぼ満杯で、雪音シェフ厳選の食材が詰め込まれている。


 ……一護からすれば買いすぎな気がしないでもないのだが、伊達家の家計を預かるしっかり者には深謀遠慮があるのだろう。


「うん。あとはお肉だけなんだけど……」

「だけど?」

「……お兄ちゃん、おなか空いてる?」

「めっちゃ」


 なんなら腹の虫でリサイタル出来るくらい。


「……うん。それじゃあ、こっちにするっ♪」


 一護の返答に頷いた雪音は、左手のパックを選択した。


 ちらりと覗いてみると、種類は一緒だがサイズで迷っていたらしい。右手は二百グラムだが、左手は五百グラムだった。


「それじゃお兄ちゃん、レジ行こ?」

「ああ……しかし種類が一緒なら、多い方を選べばいいんじゃないのか? 余っても冷蔵庫に入れとけば良いし」


 歩きながら問いかける。当然の疑問に、横を歩く雪音はわずか苦笑した。


「うん、そうなんだけどね。ほら、献立とかあるし……栄養バランスとか色々考えちゃうと、あんまり同じ食材のお料理ってのも良くないかなって」

「そうか? 風見とかカレーだけで一週間過ごしてたぞ」

「風見ちゃんは特別だよ……お兄ちゃん」

「それもそうか」


 人間ポリバケツ(かざみ)をダシに話し込んでいたら、あっという間にレジへ着く。スーパー自体はそれなりに混んでいたが、マダム達が避けているのか、無人レジには行列がなかった。


 無論、そんなベストプライスを見逃すわけもない。


 さっさと済ませて帰るべく、一護達はこれ幸いと無人レジへ進んだ。


「よいしょ……っと。ほら、雪音。行くぞ」

「うん♪」


 さて、コンビネーションの見せ所である。

 バーコードの読み取りは一護、読み取った商品の詰め込みは雪音――極々自然に兄妹は二手に分かれ、完全なる分業体制を確立させた。


「……と、これで終わりか」


 完璧なる阿吽の呼吸。

 よどみなく一定のリズムで動いていたら、気づけばエコバックが満杯になっていた。


 どう考えてもカゴ二つ分の容積を賄える大きさではないのだが、そこは雪音にゃんの家事スキルということでお願いします。


「よっこいせっと」

「あ、お兄ちゃん。いいよ、私が持つから」

「てい」

「はうっ!?」


 デコピンを喰らった雪音がなんか面白い声を出した。

 念のために断っておくと、決して家庭内暴力ではない。兄貴の仕事(荷物持ち)を取られそうになったので、反撃しただけだ。


「こんな重いもの持たせられるかっての」

「だ、大丈夫だよ。私、力持ちだもんっ」


 ほらほら、と二の腕を見せてくる我が妹。残念だが力こぶどころか一ミクロンも筋肉が見当たらない、クイーンオブ細腕である。見えるのはただ、極上の宝石のような透き通った肌のみだ。


「そういうセリフは俺に腕相撲勝ってからな」

「……うぅ。でも、お兄ちゃんに迷惑かけちゃうから……」

「全然迷惑じゃねぇよ、こんくらい……というか、前から重いものを買いに行く時は声をかけるように言ってるだろ。今日なんて米買ってるじゃん。とても持たせられんって」

「だ、だってお兄ちゃん気持ち良さそうに寝てたから……邪魔しちゃ悪いなって……」

「それはすまん」


 起きられなかったんだ。暁さんマジぱねぇっす。


「でも、それとこれとは別だ。重いものを買う時は俺を呼ぶこと。いいな?」

「……いいの?」

「もちろん。さ、そんじゃさっさと帰るぞ。腹減ってんだから」

「は~い。それじゃ、よろしくお願いします」

「うむ」


 どことなく不満そうな雪音だったが、一護が折れないのが解ったのだろう。ぺこりと礼儀正しく一礼すると、横に大人しくついてきた。


 ……周りのマダム達が微笑ましい顔で見守っているのは気のせいだと思いたい。


「あ、ちょっと待っててお兄ちゃん。私、自転車で来たから取ってくるね」

「お? 本当か?」

「うん。だからお米も買おうって思ったの」

「なるほど」


 流石のしっかり者に感心していると、雪音が自転車――いわゆるママチャリを曳いて来る。ハンドルの前にはカゴ、サドルの後ろにはキャリアも装備した一級品だ。MTBのように格好がいいわけではないが、主婦属性を持った妹似とっては頼れる相棒だろう。


「よし、じゃあ行くか」

「うん♪」


 その相棒に、今日は便乗させてもらう。(正確には運転が一護なので便乗ではないが)


 前カゴにエコバッグを置き、リアキャリアには雪音が横座りで腰掛けている体勢だ。どこからどう見ても二人乗りだが、ウチの妹の笑顔に免じて許して欲しい。


「~♪」

「よ……っと」


 いざ発進。

 40kgにも届かぬ雪音は驚くほど軽かった。電動変速などという小洒落た機能を使うまでもなく、すいすいとママチャリは進んでゆく。


「えへへ♪」


 背中には、ぎゅ~っと抱きついて離れない甘えん坊――すりすりふにふに伝わってくる感触と、あったかい体温、さらには鼻歌交じりのご機嫌ボイス。


(……まぁいいか)


 どうせ家はすぐ近くだし、雪音の機嫌がいいほど料理も美味いし。

 しばらく好きにさせてやろう――ぼんやりと自転車をこぎながら、一護はそんなことを考えたのだった。


◆◇◆◇◆


 とまぁ、そんなことがあってから数日後。

 珍しく一人での帰り道、一護は周囲の異変に気がついた。


「ん?」


 ひそひそと、小さな声で話をしている連中が大勢いるのである。


 それほど大きな変化ではないが、地域でも真面目な学生が集うとされる赤樹学園では、それなりに珍しい風景だった。


「おい、あの子だあの子。超かわいくね?」

「うわ。ホントだ、やべぇ!?」

「ぱないわー。マジぱないわー」

(……なるほど。転校生か何かかね?)


 ゴシップ並みの薄い内容に苦笑する。

 同時に浮かべた予測は自分でも安易だと思うものだったが、学園生で心当たりがない以上、自然な成り行きだ。


「足ほそっ、肌しろっ、頭ちっちゃ!?」

「神様って不公平だね……」


 しかも女子まで賞賛している辺り、本当に可愛い子なのだろうが――。


(まぁいいや。帰るか)


 それ以上の興味が引かれないのも事実。

 あっさり一護は立ち上がると、噂話をする連中を尻目に歩き出した。噂の子は、帰りがけに見れたらラッキーくらいである。


(さーて、甘えん坊はもう帰ってるかね?)


 時間から考えて、恐らく夕飯を作り始めている頃合だろう。


 今日のメニューはなんだろうか。

 昨日のテレビで美味そうなカツ料理を紹介していたから、その辺りで攻めてきそうだけど――。


「ん?」


 とまぁ、まったく別の思考にシフトしていた一護だったが。


「………………………………何やってんだあいつは」


 次の瞬間、校門で所在なさげに立っている妹を見て、思わずズッコケそうになった。


「…………」


 切なげな表情を浮かべながら、夕暮れ時に独り佇む――ともすれば絵画のようなその姿は、確かに噂になるほどの美しさだった。


 いや、無関係ぶっててすいませんホントに。


「……雪音」

「あ♪」


 ため息と共に近づくと、雪音はすぐに気づいた。寂しげな表情から一転、花咲いた微笑に、ため息がさらに深くなる。


「あれ伊達君だよね? 彼女……かな?」

「なんという美男美女……」

「確かに、確かにお似合いだけどさぁ!」

「くっそおおおおお! イケメン滅べええええええ!!」


 酷い言われようだ。背中に殺気まで感じるし、これでまた敵が増えるのは確定的である。


 ――だが、あの幼馴染達に囲まれていれば日常茶飯事。

 色々と高速で諦めた一護は、余計な思考を全部棚上げすることにした。


「どうした、急に。珍しいじゃんか」

「うん。ちょっとお買い物したいなー……って」

「買い物?」

「えっと、重い物を買う時は呼びなさいって言われちゃったから、来たんだけど……や、やっぱりまずかったよね?」


 眉根を寄せた一護の表情を勘違いしたのか、雪音の表情が曇る。


「いや。問題ないよ」

「あ……」


 まずいと言えば、校内の噂になったことはまずいけど――とは言わず、一護は笑いながら妹の頭を撫でた。


 一護のしかめっ面は数日前の会話を必死に思い出していたからであり、実際に思い出してみれば、発端は自分なのだから当然である。


「えへへ♪」


 それに人見知りの雪音にとって、ある種の晒し者になっていた時間はそれなりの苦行だったはずだ。このくらいのご褒美は与えてやっても罰は当たらないだろう。


「さて、そんじゃ行くか」

「はーい♪」


 しばらく後、そうやって歩き出した二人はどこからどう見ても相思相愛の熱愛カップルで、野次馬達は仲良く“リア充爆発しろ!”と思っていたそうだが――。


「おい伊達」


 野次馬の中に一人、勇者が。

 ――蛮勇なる者がいた。


「その子、誰だ?」

「ん?」


 見覚えがある。

 確か一護と同学年、すらりとした長身と巧みな話術を売りとして、高い人気を誇っている(と葵から聞いた)生徒だ。ただし性格は傲慢で、付き合っても決して長続きしていない――つまり赤樹学園には珍しい、“チャラ男”である。


「紹介してくれよ」

「は? 何言ってんだお前?」


 図々しいにも程がある願いに、一護は失笑を返した。


 これが親友ないし、深い仲の友達ならまぁ理解はする。納得は出来ないまでも、理解だけは出来る。だが普段ほとんど話したこともないような奴、それも印象で言えば最悪レベルの男に可愛い妹を紹介するかといえば――。


(……面倒だし、癪に障るな)


 断固拒否。

 完全にノー。

 ありえるはずがない。


 それが、一護の結論だった。


「意味わからん。なんで紹介しなきゃいけないんだよ?」

「いいじゃん。俺とお前の仲だし」

「名前も知らない仲だな。そもそも誰だよお前」

「……おいおい、随分と冷たいじゃねぇか。いいだろ、名前を訊くくらい」

「…………(ぎゅ」


 こめかみを引きつらせるチャラ男に怯えたのか、雪音が一護の陰に隠れる。


「っ」


 袖を引く頼りない感覚に、一瞬で脳髄が沸騰した。

 怒りはあっさりと臨界を超え、ここ数年でも一番の激情が体を支配する。


「断るって言ってんのが聞こえないのか? それとも理解できないくらいバカなのか?」

「な――」

「まぁどっちでもいいけど、さっさと消えろ。お前に構ってる暇はないんだよ」

「……あんだと?」

「聞こえなかったのか? じゃあ言い直すぞ」


 男を真っ直ぐに貫く視線は鋭く、悪寒を抱かせるほどに強い。

 たじろぐ男を心底蔑みながら、一護は叩きつけるよう吐き捨てた。


「俺の女を紹介してもらえると思ってるような頭のめでたい奴は、身の程を知って出直して来い」

「――――」


 息を呑んだのは男か、観衆か、それとも背後の妹だったか。


「行くぞ、雪音」

「あ……うん」


 怒りは冷めていなかったが、これ以上は無駄と悟った一護は踵を返す。


 雪音を護るように、あるいは見せ付けるように――小さな手を握りながら、さっさと歩き出した。


「あー、ありゃ駄目だわ」

「かっこよすぎる……」

「惚れるよね。惚れまくるよね」

「スレ立てなきゃ……同級生がイケメン過ぎて辛い件について」

「……あの野郎、調子に乗りやがって……!」

「諦めなー、アンタじゃ太刀打ち出来ないよー?」


 なにやら背後から聞こえてくる言葉は無視。


 そのまま五分ほど無言で歩き通し、背後の喧騒も完全に聞こえなくなった頃――ようやく頭の冷えた一護は、胸中でため息をついた。


(あー……やっちまった)


 それも盛大に。かなり絶大に。わりと重大に。


 勘違いされても仕方のないレベルで啖呵を切ってしまった。

 早晩、幼馴染達の耳にも入り、死ぬほどからかわれるのは間違いない。あんな見せ付けるような真似をすれば、チャラ男はもちろん、他の男連中もいい気はしなかっただろう。


「……ただでさえ友達少ないのにな、俺」

「ふぇ?」

「いや、なんでもない」

「そう?」

「ああ……」


 とはいえ、後悔はしてなかった。

 あれ以外の選択肢はありえなかったし、もう一度があっても一護は同じ事をするだろう。


「♪」


 笑顔で繋いだ手を揺らす妹には、間違いなくそれ以上の価値がある。


「というか、随分とご機嫌だな? さっきまで縮こまってたとは思えないぞ?」

「えへへ♪ 今はお兄ちゃんと手、繋いで安心してるし。それに……」

「それに?」

「お、俺の女……だって♪」

「言うな!」


 真っ赤になって照れてるのは可愛いけど!

 それは黒歴史として葬るつもりなんだから!


「えへへ♪ 無理だよ。嬉し過ぎて、一生忘れられないもん♪」

「忘れろ」

「や」

「忘れてくれ」

「だ~め」

「忘れてください」

「永久保存版です♪」

「……ゆ~き~ね~!」

「きゃ~♪」


 楽しそうに悲鳴をあげながら。

 しかし手を離さないまま逃げようとする妹――なんていうか、まぁ。


(こういう風にじゃれついてるから、疑われないんだろうなぁ)


 しみじみそう思った、そんな日だった。

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