第五話:夢の中で、銀河を制圧する
眠りとは、最も安全な侵略手段だ。
誰にも気付かれず、誰にも止められない。
動物病院という異国から帰還したその夜、俺は段ボール要塞の奥深くで眠りに落ちた。注射の余韻は、思考を溶かすぬるい海のようで、意識はゆっくりと沈んでいく。
世界が、ほどける。
気付くと俺は、無重力の空間に立っていた。
正確には、立っている「つもり」だった。足元はなく、上下の概念も曖昧だ。ただ、星だけが無数に瞬いている。まるで夜空に穴が開き、そこから宇宙がこぼれ落ちてきたみたいだった。
俺は理解した。
ここは夢だ。
夢とは、現実が諦めた計画の保管庫である。
つまり、銀河征服に最適な舞台だ。
俺の身体は、なぜか巨大だった。
惑星一つ分くらいの肉球を、俺はゆっくりと動かす。指先が星雲に触れると、砂糖菓子みたいに砕け散る。ああ、脆い。宇宙は思ったよりも、簡単に壊れる。
目の前に、星の列が整列する。
どうやら彼らは、俺を理解したらしい。
俺は鳴いた。
「にゃ」
それは号令だった。
星々は軌道を変え、銀河は静かにひざまずく。光年単位の距離が、俺の意志ひとつで折り畳まれていく。支配とは、距離を無意味にすることだ。
だがその時、遠くから音がした。
カシャ。
聞き覚えのある、現実の音。
人間だ。
夢の外側で、俺を見ている。
俺は銀河の王座に座ったまま、意識の端で現実を覗いた。人間は俺の寝顔を見て、スマートフォンを構えている。
愚かだ。
今、宇宙は陥落しているというのに。
だが、その行為は悪くない。
記録とは、支配の証明でもある。
俺は再び夢へ意識を戻す。
銀河はまだ、完全には俺のものになっていなかった。
最後に残ったのは、巨大な恒星だった。
眩しすぎて、直視できない。あれは権力の象徴だ。熱を持ち、周囲を焼き尽くす。人間で言えば、冷蔵庫の上に置かれた未開封の缶詰みたいな存在。
俺はゆっくりと近付き、額を擦りつけた。
マーキングだ。
恒星は、静かに輝きを弱めた。
勝利だった。
その瞬間、夢が崩れる。
世界が再び、段ボールの内側に折り畳まれる。
目を開けると、現実の天井。
銀河は無い。
だが、満足感だけが残っている。
「よく寝てたね」
人間が微笑む。
俺は返事をしない。王は夢の内容を語らないものだ。
俺は伸びをし、段ボールから出た。
爪を研ぐ。
銀河を制圧した爪だ。
カーテン程度、敵ではない。
世界征服は、着実に進んでいる。
たとえ現実がそれに気付かなくても。
夢の中で征服したものは、
いつか必ず、現実でも手に入る。
少なくとも、俺はそう信じている。?




