第十一話:爪切りは、粛清である
それは、平穏な顔をしてやって来る。
昼下がり。
日向。
油断しきった空気。
人間はソファに座り、俺を呼んだ。
「ミケ〜」
この呼び方は危険だ。
甘い声の時ほど、裏に刃物が隠れている。
俺はすぐには動かない。
支配者は、呼ばれてすぐ来てはいけない。
二呼吸置いてから、ゆっくり近付く。
距離を詰めることは、服従ではない。状況確認だ。
人間の手元に、それはあった。
爪切り。
小さく、無機質で、銀色。
だが俺は知っている。
あれは処刑具だ。
人間は笑っている。
「ちょっとだけね」
この「ちょっと」は、信用ならない単位だ。
俺は膝の上に乗せられ、身体を固定される。
四肢が順番に押さえられる感覚。
ああ、これは裁判ではない。
判決は、すでに出ている。
パチン。
音が鳴る。
爪の先が、消える。
痛みはない。
だが問題は、尊厳だ。
爪とは、武器であり、歴史であり、個性だ。
それを一方的に削ぐ行為。
これを粛清と呼ばずして、何と呼ぶ。
俺は抵抗しない。
暴れるのは、下策だ。
こういう時は、記憶する。
どの指から切られたか。
どの順番か。
どこで人間の手が緩むか。
爪切りのリズムは、徐々に乱れていく。
人間も、緊張しているのだ。
「あとちょっとだよ」
またその言葉だ。
パチン。
パチン。
世界から、また少し武装が剥がされる。
だが、終わりは来る。
粛清は、永遠には続かない。
「はい、おしまい」
その言葉と同時に、拘束が解かれる。
俺はすぐには動かない。
ここが重要だ。
人間は「終わった」と思っている。
だが政治的には、ここからが本番である。
俺は一度だけ、人間の手を舐めた。
許しの演出だ。
人間は安心し、力を抜く。
次の瞬間、俺は跳び降り、距離を取った。
爪は短い。
だが、意思は削られていない。
俺は床で座り、切られた爪を見つめる。
武装解除とは、敗北ではない。
次の戦争までの、休戦協定だ。
人間は俺を見て言う。
「すっきりしたね」
違う。
整理されたのは、人間の不安だ。
爪が短くなっても、
支配は揺るがない。
世界征服とは、
武器を失っても、
王でい続けることだ。
俺は段ボール要塞へ戻り、丸くなる。
爪は、また伸びる。
歴史も、必ず繰り返す。




