第一話:カリカリは、国家予算である
朝というものは、いつだって革命に向いていない。
理由は単純で、腹が減っているからだ。
俺は窓辺で丸くなりながら、世界を睥睨していた。
正確に言えば、カーテンの隙間から差し込む光と、そこに舞う埃の王国をだ。埃は朝日に照らされると、まるで無数の小さな民衆のように騒ぎ立てる。秩序はない。統率もない。ああ、だからこそ、支配しがいがある。
俺の名は――
人間どもは「ミケ」と呼ぶ。
だがそれは仮の名だ。
王が洗礼名を名乗らないように、俺もまた真の名を隠している。
この家は、俺の王国である。
正確には、まだ「暫定政権」だ。
畳は大地、ソファは山脈、キッチンは未踏の資源地帯。
そして最大の問題は、食糧供給が不安定な点にある。
俺はゆっくりと立ち上がり、前脚を伸ばした。背骨が一つずつ目を覚ます感覚は、まるで老獪な軍師たちが会議室に集まってくる音に似ている。今日の作戦は単純だ。
鳴く。
だが、ただ鳴けばいいわけではない。
鳴き声とは言語であり、外交であり、時には恫喝だ。
キッチンの方を見ると、人間――飼い主の女が立っている。寝癖という内乱を頭に抱えたまま、ぼんやりと湯を沸かしている。あれは危険な状態だ。思考が停止している人間は、こちらの要求を聞き流す。
だから俺は、少しだけ声を低くした。
「……にゃあ」
これは挨拶だ。
敵意はないが、油断はするな、という意思表示。
人間は振り向かない。
ふむ。ならば段階を上げる。
「にゃああ」
悲哀を三割、威厳を二割、空腹を五割。
絶妙な配合だと思う。
「はいはい、今ね」
よし。交渉成立。
俺は足元にすり寄る。人間の足は無防備な塔だ。ここを押さえれば、国家中枢はすぐに揺らぐ。だが、今日はあえて転ばせない。恐怖政治は、長期政権に向かない。
カリカリの袋が開く音がする。
あの音は、文明の夜明けだ。
皿に落ちる粒の一つ一つが、金貨のように響く。俺はそれを食べながら、考える。
この量は、少ない。
だが人間は、自分が施しを与えていると思っている。ここが重要だ。支配とは、相手に「与えている」という幻想を抱かせることにある。
食後、俺は窓際に戻った。
外では鳥が鳴いている。あれは諜報部隊だ。空から世界を見下ろし、俺の計画を探っているに違いない。今はまだ、こちらが不利だ。
だが焦る必要はない。
世界征服とは、爪を研ぐことから始まる。
俺は爪とぎに前脚をかけ、バリバリと音を立てた。
それは武器の整備であり、同時に宣戦布告だった。
人間はそれを見て、呑気に笑う。
「もう、ソファでやらないで」
違う。
これは演習だ。
いつかこの家を完全に掌握し、この街を、そして世界を――
その日が来るまで、俺は今日も眠る。
眠りは撤退ではない。
次なる侵略のための、戦略的休息である。
俺は目を閉じた。
世界はまだ、俺が凄いことに気付いていないだけだ。




