第九話 ふれあい広場のお馬さん 2
午前中のふれあいタイムが終わり、小さなお客さん達はご機嫌で帰っていった。ホストをつとめた愛宕と三国は、そのまま馬場でまったりとしている。今日はいいお天気ということもあり、馬房には戻らずひなたぼっこをして、午後のお客さんをお迎えするんだそうだ。
二頭とお客さんの様子を見ていた成瀬隊長は事務所へ、私は丹波がいる厩舎へと戻ることにした。
「おかえりなさい。どうでした?」
丹波に頭つきを食らいながら、青山さんがたずねてくる。
「すごいですよ。愛宕も三国も賢くて驚きました」
「亀の甲より年の功ってやつでしょうね。あの二頭、若い頃はなかなかの暴れん坊だったって話ですけど」
「そうなんですか?」
「隊長が振り落とされたのは、たしか三国だったかな」
「え、そうなんですか?!」
牧野先輩の言葉に、信じられなくて声をあげてしまった。あの隊長が?! どの馬もまるで子犬のように甘えまくっているあの隊長が?!
「うん。たしかそのせいで肩を脱臼したとか。俺も実際に見たわけじゃないけどね」
「へえぇぇぇぇ、あんなに穏やかな三国が」
しかも、愛宕も同じように暴れん坊だったとか。さっきの様子を見たせいもあり、とても信じられなかった。
「そう言えば隊長、落馬にそなえて受け身をとれるようにしておけって。先輩に、ちゃんと教えてもらうようにって言われました。経験者としてのアドバイスでもあったんですね」
「打撲や脱臼ですめば御の字だからね。下手をすれば首の骨を折ったりするわけだし」
私達の会話をさえぎるように、いきなり丹波がいなないた。そして足踏みしながら私を見つめる。
「どうした丹波。なにが気になってるんだ?」
先輩が丹波の頭をなでながら声をかけた。だが丹波は私を見たまま、再びいななく。
「んー? 馬越さんがどうしたんだ?」
「なんですか。もう私の顔を忘れて不審者あつかいとか?」
「馬の記憶力はそんなものじゃないんだけどな」
落ち着かない丹波を、先輩と青山さんがなだめる。だがまったく言うことを聞かない。私は首をかしげながら、馬房の前に立った。すると丹波は首をのばして、ジャージの上着にかみついて引っ張り始める。
「あ、帽子につづいてジャージまで! これは君の食べものじゃないよ!」
「一体どうしたんだ? 馬越さん、なにか丹波の気を引きそうなものを持ってるのか?」
「え? 特になにも……あ、もらってきたコレかな」
ズボンのポケットから、角砂糖が入ったビニール袋を引っぱり出した。
「「それだ」」
それを見た先輩と青山さんの声がはもる。
「なんで気がついたのかな。これ、におってます? 口のところ、しっかりしばったんですけど」
袋を自分の鼻に近づけてみたが、かぎとれるのはビニールのにおいだけだ。どうして丹波は気がついたのだろう。
「馬の嗅覚は犬や猫とほどでなくても、人間より何倍もすぐれていますからね」
「それをやらないと、たいへんなことになりそうだな」
じたばたしている丹波の様子に、先輩は苦笑いを浮かべた。
「これ、お客さんの相手をした愛宕と三国へのご褒美なんですよ? 丹波、今日はなにもしてないじゃないですか」
「それを言うなら馬越さんもだろ? 人間だけ食べて馬がもらえないのは不公平だと思います」
先輩が真顔で言った。
「まあ、食べるまではあきらめなさそうですよね……」
丹波の視線はビニール袋に釘づけだ。このまま食べさせずに立ち去ったら、柵を蹴破って追いかけてくるかもしれない。そして私は意地悪をした人間として、踏みつぶされるかも。
「しかたないなあ……」
袋の口をほどき、中に入っていた黒砂糖をつかんで差し出す。丹波はすぐに口を押しつけてきた。
「うわあ、私の手まで食べそうな勢い。これじゃあ小さいお客さん達、怖がって泣き出すかも。あ、先輩と青山さんもどうぞ。これ、人間も食べられるやつだそうです。私も隊長も食べました」
そう言って二人に袋を差し出す。
「ありがたくちょうだいするよ」
「ごちです」
二人もひとかけずつ口に入れた。それを横目で見る丹波。それに気づいたのか、先輩は笑いながら丹波の頭をなでた。
「なんだよ、一つぐらい良いじゃないか。こんなにたくさんあるんだから」
「丹波、食い意地がはってると女の子に嫌われるぞ?」
「んー……それは独り占めしようと思っていた私にも、グサッとくる言葉ですねえ」
手をむしゃむしゃされながらぼやく。
「え、まさか独り占めしようと思ってたとか?」
「俺達にもくれないつもりだったとか?」
青山さんと先輩の視線がこっちに向いた。
「そりゃまあ、丹波号には食べさせてやってとは言われましたけどねー」
「なかなかひどいですね」
「丹波、よく気がついた。えらいえらい」
二人は丹波の首筋を軽くたたきながら、ほめるたたえる。そうしている間に、角砂糖は完食されてしまった。袋の中が空っぽなのを見て理解したのか、丹波は「ごちそうさま」と言いたげにいななく。
「あらら、人間様は結局ひとかけだけですか、そうですか……ガッカリだよ」
もしかしたら午後から、脇坂さんが再び持ってくるかもしれない。あとでちょっと聞いてみよう。
「ふむ。食い意地がはっているのは、馬越さんも同じだということか」
「え、ちょっとそれ、ひどくないですか? 私だって、ひとかけしか食べれてないんですが!」
「けど、独り占めしようと思ってたんだよね?」
「そりゃそうなんですけど」
そこは否定できない。
「なかなかうまい黒砂糖でしたから、独り占めしたくなる馬越さんの気持ちもわかりますけどねー」
「ですよねー」
とにかく角砂糖のほとんどは、めでたく丹波のお腹の中へと消えていった。全部を完食したにもかかわらず、丹波はまだ私が隠し持っているのではないかと、鼻を近づけてフンフンとにおいをかいでいる。
「もうないってば。お砂糖は一つ残らず、丹波君のお腹の中に消えました!」
空っぽになった袋を目の前でふって見せた。不満げにブルブルと鼻をならし、さらにいななく。
「まったく。本来あれは愛宕と三国のご褒美用なんだよ? 丹波君はなにもしてないでしょう。おすそ分けしてもらっただけでも感謝しなきゃ……て、そんなこと言って聞かせても理解できないか」
不満げな顔の前でため息をついた。
「角砂糖って、どのぐらいの頻度で食べされても良いものなんでしょうか」
「ここでも、そんなしょっちゅうは食べさせてないけどね」
「牧場でもめったに食べさせてないですね。それこそ誕生日とか何かのイベントの時ぐらいかな」
お馬さんの甘党をなめてたな。ご褒美としての角砂糖のことは、隊長や他に人も相談してみよう。
「ああ、そうだ。午後からのお客さんなんだけど」
先輩が話を仕事のことへと戻した。
「朝、隊長が言ってましたね。さっきと同じくらいの子達ですか?」
「いや。今度は市内の小学校の社会見学らしい。だから厩舎内の見学もあるそうだ」
小学生になると、ふれあいだけではなく社会見学も含まれるのかと、頭の中でメモをする。言われてみれば自分が小学生のころは、清涼飲料水メーカーや製菓会社の工場見学があった。最近は公安職の見学もあるのかと、少しだけうらやましく感じる。
「そうなんですか。みんな、お行儀よくしてますかね?」
「小学生だから大丈夫だろ。案内は土屋さんがしてくれるし」
ここで厩務員として働く土屋さんは、もとは競走馬の調教をしていた人だ。退職してからここにやってきたこともあり、とても知識豊富で厩舎見学の時のガイドとしても活躍している。
「いえ、人じゃなくて馬のほうですよ。丹波、馬房に入ったままで良いんですか? 別の場所にうつしたほうが?」
厩舎の横に馬たちを水浴びをさせる場所がある。子供達の目にはつくが、少なくともわざわざ近寄ってこなければ、馬と人が接触することがない場所だ。
「馬場も体験騎乗で使うし、馬の水浴びも見学させるらしいから、ここが一番安全だと思う。人にとっても馬にとっても」
「そこまで人馴れしてないわけじゃないので大丈夫ですよ。少なくとも怖がったり威嚇したりして暴れることはないと思います。よほどのことがない限りは」
「たまにとんでもなくヤンチャな子もいますからねえ」
「とりあえず俺達は丹波の世話をしながらここにいることになる。見張りも兼ねてね」
見張りというか丹波のボディーガードというか。そんな感じでの立ち合いになりそうだ。




