第十八話 意外な同居人
「普段なら俺たちがもういない時間だから、顔を出したんだろうな」
「寒い時にしか来ないんだと思ってました」
「野良ネコたちにとって、ここは外敵の心配がない安全地帯だからね」
先輩の説明に「なるほど」と納得する。
「あ、猫ちゃんたちにあげるご飯、なにも用意してないですよ」
いくらたくましく生きている野良ネコたちでも、さすがにコンビニで買ったパンはダメだろうなと、少しだけガッカリしてしまった。
「いくら厩舎の常連だからって、野良ネコたちに餌づけをしたらダメだろ?」
「それはそうなんですけど。あ、この子たち、耳をカットされてるサクラ猫ちゃんたちですね。ってことは、どこかでエサやりしている人たちがいるのかな」
「サクラ猫?」
「耳のところ、サクラの花びらみたいに切られてるでしょ」
そう言いながら丹波の耳を指でさす。自分の耳を指すよりも、ずっとわかりやすいからだ。
「あの耳の子たちは、地域のボランティアさんが『まち猫活動』でお世話をしている子たちなんですよ。市役所で配布されているチラシ、見たことないですか?」
「ああ、言われてみれば。一代限りの命なので、地域で見守ってやってくださいってやつか」
「ですです。エサやりやトイレの掃除とかは、ボランティアさんがやってるんですけどね。うちの近くにもいますよ、サクラ猫ちゃん」
交通量の多い道路が近くにあるので、姿を見かけるたびに心配ではあった。だがそこは街中で暮らす野良ネコ。ご近所のお話し好きにおばあちゃんの話では、道路のあっちとこっちできちんと住みわけができているようで、ボランティアさんも道路を隔てた二つのグループで、猫たちのお世話をしているらしい。
「だったら、ますます餌づけの必要はないんじゃないかな。どこかで食っているってことだから」
「それはそうですね」
よく観察してみれば、みんな、野良のわりにはやせていないし、毛並みもきれいで非常に健康そうだ。このあたりの野良ネコたちは、ボランティアさん達の世話が行き届いているのだろう。
「それでもここにやってくるってことは、やっぱりここが安全だってわかってるんですね」
「屋根があって夜はほぼ馬だけだし、間違いなく安心なんだろうな」
猫たちは私と先輩の顔を見あげ、ニャーと鳴いた。意外と人にも慣れている。これも、ボランティアさん達の活動のおかげなのだろうか。
「おお、今日も来たな。猫ども」
その声に猫たちが反応した。ニャーニャーと鳴きながら声の主のところへと走っていく。
「……餌づけ、しないほうが良いんですよね?」
「そうなんだけどな……」
声の主は土屋さんだ。そして何故か土屋さんは、プラスチックのどんぶりと、レジ袋に入ったエサらしきものを両手に持っている。
「土屋さん、厩舎で猫を飼ってるなんて初耳なんですが」
「飼ってるわけないだろ。こいつらは地域猫だ」
「それはわかってますが、いつからエサやりを? ここ、ネズミでも出るようになりましたか?」
馬や牛のいる厩舎で野良猫が歓迎されるのは、そこにやってくるネズミを退治してくれる、いわば番犬ならぬ番猫というやつだからだ。
「二か月ほど前だったか、うちの厩舎に猫たちが出入りしているって話を、ボランティアさん達が聞きつけてな」
土屋さんは猫たちに急かされ、持ってきたプラスチック容器にカリカリを入れていく。
「今後も猫たちが出入りするようなら、まち猫活動に協力してくれないかという話になったんだ」
「でももうそれ、厩務員の仕事じゃないような」
猫たちに囲まれている土屋さんを見ながら、先輩が笑った。
「まあ確かにな。だが、どうせ当直で誰か一人は必ずここにいるし、馬の様子を見るついでもあるんだ。エサはあちら持ちだし、協力するぐらいならかまわんだろうってことになってな。上からの許可をとったんだよ」
「そうだったんですか。当直時に、猫の世話手当が追加されると良いんですが」
「ちがいない」
土屋さんは猫たちに話しかけている。どうやら名前も勝手につけているようだ。触らせてもらえないまでも、それなりに土屋さんを信頼しているようで、しゃがんで彼らを見守っている土屋さんの前で、猫たちは夢中になってカリカリを食べている。たまに顔を上げて振り返るのは、おそらく常連ではない私と先輩を気にしているのだろう。
「なんだか私たち、お邪魔みたいですね」
「だねえ……」
「そんなことないぞ。気にせず丹波に、もっとサービスをしてやってくれ」
「もう腕が疲れちゃいましたよ。馬の手でも神の手でも疲れるんです」
「根性ないなあ」
「根性とかの問題じゃない気が」
とは言ったものの、丹波はあいかわらずもっとナデナデしろと催促してくるし、他の馬たちは馬たちで「わしらにもナデナデしろ」とざわついている。
「そもそもですね。私一人でここの馬すべてのナデナデなんて、時間的に無理です。誰か馬の手をマスターしてください。なにがどうして馬の手のなのかわからないので、私には教えようがないですけど」
猫たちはカリカリを食べ終え、次は水を飲んでいる。
「さて、次は馬たちの晩飯だな。最終の夜食は俺が一人でするから、この時間は牧野、手伝ってくれるか」
「かまいませんよ」
「あ、私もお手伝いしますよ」
「馬越さんは馬の手を継続したほうが良いと思うよ?」
先輩についていこうとしたら、丹波が腹立たし気にいなないた。私を見つめながら、前足で地面をかく。
「えー……まだするのー……?」
「丹波のご機嫌がなおらなかったら、俺も馬越さんも明日からの練習に支障が出るだろ? もう少しよろしく」
「りょうかいでーす」
先輩と土屋さんがエサを入れるバケツを運ぶのをながめながら、丹波の相手を再開した。猫たちはお腹がふくれて満足したのか、その場で毛づくろいを始めている。まるでここが自分たちの家かのような、くつろぎ具合だ。その中の一匹がこっちにやってきた。猫たちを率いていた黒猫だ。
「丹波と同じで真っ黒だね」
足元でこっちを見上げるとニャーンと鳴いた。どうやら私にあいさつをしているようだ。
「こんばんは、初めまして。さっき土屋さんがクロって呼んでたのは君だよね? もしかして、このへんのボスさん?」
他の猫たちを率いていたし、少なくとも今ここにいる猫集団の中では、一番の年長者だと思われる。
「もうとっくに知ってるかもしれないけど、この子は丹波。私は新しく騎馬隊に入ってきた馬越っていいます。よろしくね、クロさん。丹波君、君はクロさんにあいさつはした?」
丹波がブルルッと鼻を鳴らして顔を上下にふる。これは「あいさつはした」ということなんだろうか。
「お互い、黒駒、黒猫同士で仲良くしてやってね、クロさん」
クロさんは私の言葉に返事をするように、ニャーンと鳴いた。エサと水を補給した猫たちは、それぞれのお気に入りの場所があるようで、毛づくろいを終えると、それぞれの場所に散っていく。中には馬のいる馬房に入っていく猫もいた。
「馬に蹴られないようにしないとね、みんな」
鞍が置いてある棚に飛び乗ったり、馬たちの隣に陣取ったりとさまざまだ。馬たちも慣れたもので、すっかり猫たちを同居人あつかいしている。
「クロさんはどこにいくのかな?」
見守っていると、なんと丹波の馬房の隅っこでコロンと寝っ転がった。色が黒い者同士、気が合うみたいだ。そこへ先輩と土屋さんが、エサを入れたバケツを持って戻ってきた。それぞれのバケツを、馬房の前の馬栓棒にぶらさげる。馬たちは待ってましたとばかりに、バケツに顔をつっこんだ。もちろん丹波もだ。
「しっかり食べて明日からも頼むね、丹波君」
私が話しかけると、丹波は短くいなないた。エサを食べているうちに、ナデナデのことを忘れてくれると良いのだが、さて、どうだろう。食べながらチラチラと私を見ているということは、ナデナデのことは忘れていませんよという意思表示だろうか?
「今日は何時に帰れるのかなあ、私」
メロンパンも先輩に食べられてしまったし、今日はちょっとした厄日的なものかもしれない。
「お馬さんLoveなんだろ? 心行くまでナデナデさせてもらって幸せじゃないか」
「それにも限度ってものがあるんですよ、限度ってものが」
そんなわけでエサを食べ終わった丹波に催促され、再びナデナデをするハメになった。




