表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
こちら京都府警騎馬隊本部~私達が乗るのはお馬さんです  作者: 鏡野ゆう
第一部 人も馬も新入隊員

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

13/40

第十三話 人も馬も清潔に

丹波(たんば)君、久しぶりにたくさん運動して汗かいてるね。馬房(ばぼう)に戻る前にきれいにしようねー」


 長い時間を馬場で歩き続けたせいか、めずらしく丹波が汗をかいていた。お馬さん行進に参加した他の馬たちも同様で、四頭とも馬専用のシャワー室(という名のシャワー付き馬房)につれていき、ポールに手綱をつないで(はみ)をはずし、(くら)をおろした。


「先輩、私が準備している間に、顔だけでも洗ってきたらどうですか?」


 汗をかいているのは人間も同じで、丹波に付き合ってジョギングをした牧野(まきの)先輩も、額の汗を服の(そで)でぬぐっている。


「ん? ああ、すまない。俺、汗臭いだろ?」


 私が言ったことを誤解したのか、先輩は申し訳なさそうな顔をした。


「いえいえ、そういうわけじゃなくて。汗をそのままにしたら気持ち悪いでしょ? 私が同じ立場だったら、先輩に丹波を見ていてもらって、水場で顔だけでも洗ってきますよって話です」

「ああ、そういうこと。じゃあ、お言葉に甘えて、顔だけでも洗ってくる。一人で問題ない?」

「だいじょうぶです」

「じゃあ、よろしく」


 そう言ってその場を離れた。


「さて、じゃあ丹波君もシャワーだね。良かったねえ、今日は暖かい日で」


 蛇口につながれたホースを手に取る。丹波は私の肩越しにそれを興味深げにのぞいた。


「怖がらずにシャワーできるかな? ああでも、考えたら牧場でも洗ってもらってたんだから、初めてじゃないよね?」


 ホースを下に向け蛇口をひねる。水がチョロチョロと出始めると、丹波は少し驚いたように顔をあげた。


「んー……ハチマルを初めてお風呂に入れた時のことがよみがえってきた」


 ハチマルとは我が家にいる猫のことだ。初めてお風呂に入れた時、それはそれは大騒動で私と弟が大変な目にあった。まさかあんな感じになったりして? 以前にいた牧場の青山(あおやま)さんからは、お風呂ぎらいとは聞いていないけど、だいじょうぶだろうか。


「……いや、丹波君に蹴られたら、それこそ死ぬよね」

「ハチマルって?」


 どうするか悩んでいると先輩が戻ってきた。髪の毛がめちゃくちゃ濡れている。顔を洗ったというより、頭全部を洗ってきたようだ。


「うちにいる猫です。初めてお風呂に入れた時に大暴れして、私と弟を後ろ脚で蹴り倒して逃げ出したんですよ」

「そりゃすごい。たしかにそれを丹波にやられたら、笑いごとじゃないね」

「ですよねー。ところで先輩、どう見ても洗ったのは顔だけじゃなさげなんですが」

「頭皮も顔の一部って、なにかの番組で言ってた」


 先輩は真面目な顔でそう言ってみせた。


「いやまあ、それはそうなんですけど。そういうところだけは、男子がうらやましいですね。私だったら、髪が乾くまで大変ですよ」

「だって汗臭いのイヤだろ? 特に女性はそういうのに敏感だって言うし」

「私は弟がいるので、その手のにおいにはそれなりに免疫ありますよ。思春期の男子の臭さと言ったらもうね。特に運動靴とか。あれはちょっとした拷問(ごうもん)ですよ」


 先輩がおかしそうに笑いだす。


「いやいや、それこそ笑いごとじゃないですよ。きっと先輩のお母さんも、同じようなこと思ってたはずです。うちの母も言ってましたから」

「かもしれない。こんど帰省したら謝っておくよ。じゃあ、さっそく丹波の汗を洗い流してやろう。待ちくたびれてるみたいだし」


 先輩の言葉に手元を見ると、丹波は水が出ているホースの先に鼻を近づけていた。水が鼻に触れてはねると、ギョッとなって顔をあげる。だが懲りずに再び鼻を近づけていった。そしてチラッと私を見あげた。


「ああ、ごめんごめん。お待たせだよ、丹波君」


 水量を調節してからお湯になっていることを確かめ、話しかけながらゆっくりと体にお湯をかける。


「うちのハチマルはこの時点でダメでしたね。ものすごい勢いでお風呂場の中を走り回って、私達を蹴り飛ばして逃走しました」

「馬でも落ち着かないタイプがいるけど、丹波はだいじょうぶみたいだな」


 ブラシで(くら)が乗っていた部分をこすっていく。ゴシゴシされるのが気持ちいいのか、ぐいぐいと体をよせてきた。


「ちょっと丹波君。今は汗を流す程度なんだから、そんなにゴシゴシしないんだってば」

「丹波は風呂好きだってこと、覚えておかないとね」

「うちのハチマルにも見習わせたい……」


 我が家の猫とは真逆な行動に押されながらも、なんとかブラシで背中をこする。丹波は小さくいなないて、頭を押しつけてきた。


「密着しすぎもやりにくいものが」

馬越(まごし)さんの力加減が、丹波的には一番いい具合なんだろう」

「そういうのありますよね。この人に肩もみしてもらうと超気持ちいいとか」


 にしても密着しすぎだ。濡れたままだ体を押しつけてくるものだから、こっちの作業着もびしょびしょになってくる。


「私も乾燥が必要になってきました、よ?」


 いきなり丹波の尻尾がピョンと上がった。このしぐさ、非常にまずいのでは?


「あ、イヤな予感が」

「あー、これはいけない」


 私と先輩が言ったとたん、丹波のお尻から茶色い(かたまり)が一つ二つと落ちた。


「あー……やっぱりー……」

「ま、頭の上に落ちてこなかっただけ、運が良かったと思うしかないな」

「気持ちいいからって、なにもそこまでリラックスすることないのに。丹波君、君は赤ちゃんか」


 清潔にするどころか、とんでもないものが出現してしまった。先輩は笑いしながら、横に置いてあったボロ取りに手を伸ばす。ここにこれがあるということは、この道具が必要なことがあるということだ。リラックスするとどこもかしこも緩むのは、人間も馬も同じらしい。


「馬越さんはそのまま洗ってて。丹波の落し物は、俺が捨ててくるから」

「すみません、お願いします」


 先輩が落ちたボロを拾い、コンテナに捨てに行く。丹波は先輩が離れたので、どこへ行くんだろうという顔つきをしている。


「先輩は丹波君が落としたブツを捨てに行ったんだよ」


 こういうところがハチマルと違うところだ。ハチマルはちゃんとトイレを覚えたが、馬はそうはいかない。覚えられないと言うよりは、覚える気がないといったところか。草や野菜しか食べないのが救いだけど。


「ま、気持ちよくてリラックスできてるのは良いことだけどねえ。あれはちょっとやりすぎだと思うよ?」


 そう話しかけながらお湯を止めると、毛に沿って水切りを走らせる。


「お湯はもう終わりだよ。ちゃんと水を切って乾かさないと。ま、この濡れた感じがまた、烏羽玉(うばたま)っぽくて良いんだけど」


 おとなしくされるがままになっている丹波。しばらくして先輩が戻ってきた。


「なにをニヤニヤしてるんだ?」

「え? 私ですか? それとも丹波?」

「どっちもだよ」

「どっちも?」


 思わず丹波の顔をのぞきこむ。私にはニヤニヤというより、うっとりしている表情に見える。


「丹波はともかく、私はニヤニヤしてませんよ」

「いーや、してた。また黒豆とかそういうの思い浮かべてたんだろ?」

「え、あー……」


 先輩はなにもかもお見通しのようだ。


「この濡れてツルツルしてる感じが、烏羽玉(うばたま)みたいだなーって」

「やっぱり」

「本当に綺麗ですよね、黒駒(くろこま)って。どんな馬も綺麗だなとは思ってましたけど、丹波は格別ですよ」

「それ、どんな親バカ的発言」


 私の手が止まっているのに気づいたのか、丹波が腹立たし気に催促をする。


「ああ、ごめんごめん。水切りの途中でした」

「もうすっかりお母さんだね、馬越さん」


 先輩はあきれたように笑った。


「私がお母さんなら、先輩はお父さんじゃないですか。丹波君は本当にかわいい息子ですよ」

「その息子のことを、黒豆だとか烏羽玉(うばたま)だとか」

「あれ? よく言いませんか? 赤ちゃんのほっぺとか、食べちゃいたいぐらいかわいいって」

「それは言うけど……」

「あれと同じことですよ」

「そうかなあ……そうは聞こえないけど……」


 ボロ取りを洗い片づけた先輩は、大きなタオルを持ってきた。そして私が水切りをした場所から、ていねいに拭いていく。


「考えたらこれ、今は私と先輩でやってますけど、本当は一人でやるんですよね」

「うちは、土屋(つちや)さんのような厩務員(きゅうむいん)が補助要員としていてくれるけど、基本は一人でやる作業ばかりだ」


 横では水野(みずの)さん達が、それぞれの馬を洗っていた。たまに土屋さんがあれこれ持ってきたり、なにか話しかけているようだが、基本的は自分でなにもかもをこなしている。


「丹波が王様気分に慣れてしまう前に、馬越さんには独り立ちしてもらわないといけないな」


 そう言われ、おとなしくしている丹波の顔をそっとのぞきこんだ。


「あー、確かにこれは王様気分になっているかも」

「だろ?」


 そんな王様気分のお馬さんを拭き終えると、乾いた場所へと移動させた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ