9.ミルククッキーと故郷
コポコポとティーポットからカップへと紅茶を注ぐと、ふわりと豊かな香りが広がる。
そろそろ夏が近付いてきてホットティーでは熱い気もするが、紅茶初心者のベティにアイスティーを淹れるなんていう発想はない。
流石に水を出すのは違う、と思っているのでとりあえずホットティーの準備をしているのだ。
毎日恒例の午後のお茶の時間。
紅茶の準備を進めるベティを他所に、既にソファで寛いでいたミハエラがキールへと話を振る。
「なんか最近、王都の植物園とか公園とかで女装男が出るって噂を良く聞くんですけど」
「おや、そうなのかい?」
「おやって……。キール様じゃないんですか?」
「さて、どうだろうね?」
ミハエラの言う噂に、何だかとっても身に覚えがある。
先日植物園でキールには無理するものじゃない、と言われたけれど休日は出会いを求めてなるべく人の多い所に出掛けるようにしているのだ。
相変わらず避けられまくっていて、成果は出ていないが。
ミハエラが言う女装男とは、きっとベティのことだろう。
すごく居たたまれない。
「………………」
「おや、今日はお茶菓子もあるのだね」
黙ったままお茶を出していると、キールが柔らかな微笑みを向けて一緒に用意していたお茶菓子に話を向ける。
話題を変えてくれたのだろう。
引き攣りそうになりつつ、口元に笑みを浮かべる。
「こちらは、丁度実家から送られてきたミルククッキーです。お口に合えば良いのですが……」
「ありがとう。頂くよ」
「ん、美味しいじゃん」
早速1枚口にしたミハエラが意外そうに声を上げる。
青灰色の目が開かれている辺り、かなり驚いたようだ。なかなか失礼だ。
キールも一口食べて、にっこりと笑みを零している。
ベティもソファに腰を下ろし、早速クッキーを口にする。
芳醇なバターの香りと共に、少し癖のあるミルクの甘みが広がった。
このクッキーも母を中心に最近開発された、特産品の一種だ。
キールたちの反応も悪くないし、きっと人気になるだろう。
「このクッキーは、最近ジュッツベルク辺境伯領の特産品として売り出している、シルク・ゴートのミルクを使ったクッキーです」
「え、シルク・ゴートって確か、魔獣じゃ……?」
「ああ、山羊型の魔獣だな。シルク・ゴートは比較的大人しいから、ジュッツベルク領では家畜化しているのだ」
「家畜……」
「そういえばジュッツベルク辺境伯領は、シルク・ゴートの毛を加工したジュール織りが最近有名だったね……」
唖然とした様子でキールとミハエラが、手に取っていたクッキーをまじまじ見つめている。
そんなに驚かれるなんて、意外だった。
ジュッツベルク辺境伯領は魔獣が多く、土地も森や岩場などが多い。おかげで他の土地のように普通の畜産や農業で豊かになることは難しい土地だったのだ。
しかし、シェイラが嫁入りしてから沢山試行錯誤し、土地に合った産業として大人しい魔獣の家畜化が生み出された。
そしてその魔獣の素材を使った加工品を売り出し、最近は色々と特産品としても人気が出てきている。
先程キールが言ったジュール織りもその一つだ。
シルク・ゴートの毛を使った織物で、絹みたいな手触りが特徴なのだ。上流階級に結構人気がある。
「シルク・ゴートも、折角家畜化したのであれば毛以外にも使えないか、と試行錯誤した結果生み出されたのがこのクッキーなのです。少々、独特な癖がありますが美味しいでしょう?」
「あ~、うん。悔しいけど美味しい」
「そうだね、シルク・ゴートのミルクでこんな美味しいものが作れるとは驚きだったよ。こら、ヴェリテ。勝手に取るんじゃないよ」
「すみませーん」
何故か悔しがるミハエラは、そう言いつつもパクパクとクッキーを食べていた。
キールの分のクッキーも半分くらい奪い取っている。
「……ヴェリテ殿は、甘い物がお好きなのか?」
「ん~。ほら、魔術師って頭使うし」
「そう、か……」
今日は普通にキールと共に書類仕事だったはずだ。魔術師とか特に関係ない気がする。
素直に認めないが、恐らく甘い物が大好きなのだろう。
キールも苦笑している。
相変わらず、素直でない男だ。
つい生温かい視線を送っていると、粗方クッキーを食べ終えて一息ついたミハエラが口を開く。
「てか、ジュッツベルク領って独特の発展しすぎ」
「独特?」
「うん。普通、魔獣を家畜化とか考えないから」
「そうか?」
「そうだって。他じゃ聞かないよ。ねぇ、キール様」
「ふふ、そうだね。でも、あの地の者たちは何事に対しても、全力を尽くしているんだよ。その在り方は、ベティも含めて、とても美しいと思うよ」
「えっ……!?」
甘い微笑みと共に告げられた言葉に、思わずフリーズする。
なんだか、耳が熱い。
「うわ、出たよキール様の謎の美的感覚」
「謎ってことはないだろう?」
「ええ~。いや、よく分かんないですって」
「そうかな。ヴェリテもきっと、ジュッツベルク領へ行ってみれば分かるよ」
柔らかな笑みを零し、キールは紅茶を口にした。
実家のことを褒められるのはうれしい。
しかしなんかよく分からないけど、心拍数が上がっている気がする。
混乱で頭が上手く働いていないなか、とりあえず気になったことを問い掛ける。
「キール様は、ジュッツベルク領にいらしたことがあるのですか?」
「うん。数年前に地方監査のために訪問させて貰っているよ。いくつかの村と領都だけだけどね」
「そうでしたか、知りませんでした……」
「領都での監査時以外は、身分を隠していたからね。でも、領民たちからはベティの話は良く聞いたよ」
「へぇ、どんな? 熊みたいな令嬢、とか?」
ニヤニヤと笑うミハエラが身を乗り出す。
隣に座っていたら肘鉄でも食らわせるものだが、残念ながらテーブルの3辺にそれぞれ1人ずつ座っており、ミハエラとベティはテーブルを挟んでいる。
仕方なく思いっきり睨むが、効いている様子は全くない。
そんなやり取りをしているうちに、心拍数の方は落ち着いていた。
「こら、ヴェリテ。失礼だよ」
「はぁい、ごめんなさ~い」
「全く……。領民たちは、誰よりも率先して民を守る方、魔獣に襲われていた子どもを庇って顔に傷を負っても自分より子どもを優先する優しい方、とベティを褒めていたよ」
ミハエラについては諦めた様子でため息を吐いたキールは、耳に心地良い声で領民たちの言葉を伝えてくれる。
その言葉はとても嬉しい。
しかし、それと同時にわざわざ褒められるようなことでもない。
そう考えるベティは小さく首を横に振る。
「そのようなこと……。当たり前のことをしたまでです」
「ふふ、そう言えるのがベティの凄いところだよ」
柔らかく微笑んでいたキールは、そこで目を伏せる。
纏う空気が急に、暗いものになっていた。
そして物憂げに小さく落とされた呟きは、重く響く。
「それに比べて、王宮はなんて醜いことか……」
今はもうキールの兄である第一王子が次期王として内定している。さらに第一王子には息子も生まれていており、政情は安定している。
しかし、10年ほど前まではそうではなかった。
第一王子は体が弱いのだ。幼い頃は何度も生死の境を彷徨ったことがあるらしい。
一方のキールは心身ともに健康で文武両道。さらに少年の頃までは女装をしていなかったという。
そんな状況だったこともあり、キールを次期王に擁立しようとする一派が暗躍していたのだ。
その頃王宮内で色々なことが起き、多くの犠牲があったことは有名だ。
なんと言っていいのか分からず、ベティは黙り込むしかなかった。
流石のミハエラも茶化したりせず、静かに目を伏せている。
「すまないね、お茶の時間に暗い話をしてしまったね」
「いえ……」
「急なぶっこみは止めてくださいよ」
「ふふ、すまない。…………さて、仕事に戻ろうか」
いつもよりは控えめなミハエラのツッコミに、キールは少し翳りのある笑みを浮かべていた。




