8.花咲く植物園
穏やかに晴れ渡る青空の下、鳥たちが賑やかに囀る。
王宮にほど近い場所にある王立植物園には、春らしい色とりどりの花と豊かな緑、そして出会いを求めた若者たちで溢れていた。
白やピンク、黄色など様々な色と形の薔薇、濃淡様々な紫色のライラック、白い小さな花が可愛らしいサンザシ。
そんな花々にも負けない、色鮮やかで美しいドレスを纏った女性たちと談笑する青年たち。
植物園はこの時期、若者たちの社交場になっているのだ。
しかしそんな植物園の片隅。
日陰に設置されているベンチではベティが一人、どんよりとした空気を渦巻かせていた。
「やはり、私はこういう場所には合わない……」
キシリ、と身に纏ったドレスを軋ませながらベティは背中を丸める。
今日は休日で、婚活中なベティは出会いを求めて若者が集まるという王立植物園へと来ていたのだ。
ブルーグレーという落ち着いた色合いだが、流行に合わせたドレスを身に纏ったベティはしかし、若者たちの輪には入れなかった。
ぼんやりと見つめる先では、ふわふわと可愛らしいドレスが良く似合う可憐な女性たちが美しい笑みを周囲に振り撒いている。
今のドレスの流行は、ふんわり丸いパフスリーブに、ふわふわと膨らませたスカートという可愛らしいシルエットなのだ。
長身で体格が良く、さらに目付きやら全体の雰囲気が鋭いベティには絶望的に似合わないものだった。
おまけに、幼少期から厳しい鍛錬を続けているベティは全身しっかりと筋肉が付いている。女性らしい柔らかさや丸みは皆無だ。
胸も、胸筋逞しい立派な胸板と称する方が相応しい。
そんなベティのドレス姿は、どうにも女装感が拭えないのだ。
植物園に集った若者たちはベティを遠巻きにして近寄って来ない。
意を決してベティから声を掛けに行っても、ヒッと小さく悲鳴を上げて逃げて行ってしまう。
そんなことを数度繰り返し、結局は隅のベンチに一人で座り込むしかなかった。
「もう帰るべきか……」
小さく呟くが、婿を探しに王都まで出て来たのだ。ここで簡単に諦めては目的をいつまでも果たすことが出来ない。
そう思うと、すごすごと帰るわけにもいかなかった。
しかし、視線を向けた先。
明るい陽射しの下でにこやかに談笑をする男女を見ると、足を踏み出す勇気が出ない。
色鮮やかなドレスも、可愛らしい笑みも、気の利いた話題も自分には無理なのだ。
あの場所に加わることは、ベティにとってはジュッツベルク領の森で魔獣を狩ることより数百倍難しかった。
「はぁ…………」
背中を丸めて深くため息を吐く。
キシキシとドレスが軋み、背中の釦は今にも飛びそうな気配がしている。
ドレスを庇ってそっと姿勢を正すベティの視界に、唐突に美しいサファイアブルーのドレスが入る。
「お隣、座っても良いかな?」
「っ!?」
最近とても良く聞く、耳に心地良い声だ。
驚いて顔を上げると、麗しい笑みを浮かべたキールが目の前に立っているのだった。
キールも今日は休日だ。
こんなところで会うなど思ってもみなかった。
慌てて立ち上がるベティに、少し困ったように笑う。
「キール様!」
「ベティ、そんな畏まらないで。とりあえず、座ろうか」
「はっ」
急に動いたことで背中辺りで布が裂けたような音がした気がするが、とりあえず促されるまま再度ベンチへと腰を下ろす。
ベティの隣に姿勢よく腰掛けたキールは、今日も美しい。
よく手入れされた金色の縦巻きロールは、いつも通り艶やかに光を放っている。
深い青色の布地が素敵なドレスは流行の型ではなく、スッキリしたシルエットでキールの雰囲気に良く似合っていた。
さらに身に纏った香水だろうか、凛と涼やかな良い香りもする。
女装した男性に間違いなく見えるのに、美しく見えるのだから不思議だ。
自身との違いに、地味にベティは凹む。
「休日に声を掛けるのはどうかと思ったけど、あまりにも気落ちしているみたいだったから。大丈夫かい?」
「……お気遣いいただき、ありがとうございます」
榛色の瞳が気遣うようにベティを覗き込むのに、ぎこちなく笑みを返す。
キールに心配を掛けるなど申し訳ない。
休日だし、何より理由はどこまでも私的なことだ。
そう考えて何も話をしようとしないベティに、キールは少し悩むように首を傾げていた。
「余計なお節介だと思うけれど。無理は良くないよ」
「キール様?」
「なんだか、焦っている様だから。ベティは王都に来たばかりで、慣れないことも多いだろう?」
「とはいえ、もう王都に来てから2週間以上経ちます。慣れぬのは、私が未熟なのです」
「真面目なのはベティの良い所だね。でも、それで自身を追い込んではいけないよ。今までと勝手が全く違う仕事を押し付けた私が言うことではないけれどね……」
苦笑を零すキールに、慌ててベティは首を横に振る。
確かに、やることがほとんどないキールの護衛とか、どうしたら良いか未だに悩んでいる。
しかし、先日の研究塔の監査のようにベティでも役に立てることがあることは分かった。
それに、訓練のことや、ベティでも出来る小さな仕事を与えてくれたりと、キールも色々と考えてくれていることも分かっているのだ。
うまく言葉には出来ないが、ベティはへどもどとそう説明する。
「そう……。ベティがそう言ってくれると、とても嬉しい」
「キール様」
小さく呟いたキールが、ほっとした様子で笑みを零す。
春の陽だまりのように柔らかく、そして美しい花が咲き零れるような笑みだ。
あまりにも美しいその笑みに、ベティは目を奪われる。
「………………」
「ベティ?」
無言のまま、じっと見つめていたからだろう。
困った様な笑みを浮かべたキールが、小さく首を傾げる。
揺れる金色の髪が眩しい。
「っ、失礼、いたしました。……その」
「どうしたんだい?」
向けられる柔らかい笑みに、不意に心拍数が上がる。
よく分からない体の調子に困惑する。
こんなこと、今まで起きたことがない事態だ。
グッと眉間に皺を寄せ、深く息を吐く。
心配した様子のキールがベティへと伸ばした手を、そっと避ける。
「ベティ?」
「いえ、何でもありません」
なんだか、今キールに触れられるのは良くない。
そう感じた直感のままに体が動いていたのだ。
誤魔化すように話題を切り替える。
「それより、キール様はお一人で?」
「ああ、心配は要らないよ。少し離れて、護衛の者は着いて来ている」
「そうでしたか。差し出がましいことを申しました」
「いや、心配を掛けてすまないね。休日だというのにベティはやっぱり真面目だね」
苦笑を零すキールに、もう心拍数が上がることはない。
さっきのはきっと、美しい人の綺麗な笑みを見てなんかおかしくなっていただけだ。
相手は王子だし、何より女装している人だ。
胸の高鳴りなんて、勘違いだ。
ベティはひたすら、自分をそう納得させるのだった。




