5.毎年の恒例行事1
その日、監査棟へ出勤するといつもと全く違う空気だった。
監査棟の前庭に監査部の人々だけでなく、騎士や魔術師が集まっているのだ。
そして普段はキールの出勤を執務室でだらっと待っているミハエラも、監査棟の扉の前で待っていた。
いつもの胡散臭い笑みではなく、なんだか愉しそうにニコニコとしているミハエラは、なかなかに不穏だった。
「ヴェリテ殿、これは一体?」
「あれ? アンタに言ってなかったっけ。今日は毎年の恒例行事、魔術師団の研究塔の監査だよ」
「研究塔の監査……」
研究塔とは、魔術師団が保有する施設であり、王宮の外れに建っている塔のことだ。
研究を生業とする魔術師たちが、日夜様々な研究を行い、新しい魔術や魔術道具を生み出しているのだ。
ミハエラの言葉にふとキールを見てみると、いつもより動きやすそうな服装だった。
とはいっても、相変わらずのドレスではある。チャコールグレーの汚れが目立たなそうなしっかりとした生地で、スカートの丈は足首までのものだ。
それにしても、監査に騎士や魔術師が駆り出されるなんて聞いたことがない。
何事かと首を傾げていると、キールが困った様に笑って教えてくれる。
「研究塔の魔術師たちは放っておくと色々と危ないからね。監査局だけでなく、騎士団と魔術師団との合同での監査になるんだ」
「危ない……?」
「そ。色々隠してたりするの。ま、行ってみれば分かるよ」
「そうか……」
どうやらこの監査にはベティも同行するものらしい。
監査のやり方などは分からないし、危険と言っていたからには、きっと求められているのは護衛としての働きだろう。
腰に下げている愛剣を撫で、そっと気を引き締める。
そして騎士と魔術師の代表とその場で軽く打ち合わせをしたキールが先導して訪れた研究塔。
石造りの古くてどっしりした巨大な塔は、とても歴史を感じさせるものだ。
研究の余波で時々爆発やら凍結やらが発生するそこは、周囲への被害を防ぐためにとても頑丈な作りだという。
その塔の表玄関に当たる、大きく頑丈な木製の扉を一団の代表であるキールが開けると――。
「……今年はこんな方法で来るかぁ」
「毎年、懲りないヤツらだなぁ」
キールは深くため息を吐き、ミハエラは愉快そうにニヤニヤと笑う。
その視線の先。
外開きの扉を開けたそこには、入り口を塞ぐように大岩が置かれていたのだ。
その大岩は、入り口ギリギリ一杯の大きさで、隙間から中を伺うのも難しい状況だ。研究塔の床から生えるように、どっしりと鎮座していた。
「ん~……。これ、普通の岩だね。魔術で生成されたものなら魔術で干渉して崩すとか出来たけど、天然モノの岩ってなるとムリだね」
「天然の岩をこんなところにどうやって?」
「多分、召喚かなんかで設置したんじゃない? 去年は土魔法で壁作られたけど、簡単に崩せたから考えたもんだねぇ」
岩を観察していたミハエラがケラケラと笑う。
なんだか、いつもよりテンション高めだ。
「いっやぁ、ここまでやるなんて、アイツら何隠してるんだか。楽しみだなぁ!」
「ヴェリテ、あまり問題は起こすんじゃないよ」
「嫌だな、キール様。僕はあくまでも仕事しかしませんよ。問題起こすのは、アイツらでしょう?」
「…………そうだね」
深くため息を吐いたキールが困った様に小さく首を傾げる。
近くに来た魔術師の代表は頭を抱えていた。
「とはいえ入れなくては何も出来ないね。どうしようか……」
「ただの岩であれば、私が何とかいたしましょう」
「は、アンタが?」
「ドア枠が邪魔で剣で斬るのも難しいのではないかい?」
「大丈夫です。父上の修行では、こういうことも良くございました」
キールたちが困っているのならば、とベティは申し出る。
そして皆に大岩の前から退いて貰い、腰を落として息を吸う。
軽く目を伏せ、意識を大岩へと集中する。
狙うは、ただ一点のみ。
固く握った拳を数度、鋭く突き出す。
ゴッ、ガゴッ……。
そんな鈍い音と共に砂塵が巻き上がる。
「うっわぁ……。素手でって、ゴリラかよ」
「これは…………」
「なんと……!」
ミハエラがドン引きした様子でベティを見ている。いつもの糸目も少し開かれていた。
周囲にいた騎士や魔術師たちも、ざわざわとしている。
砂塵が晴れたそこには、大岩が砕けた破片が散らばった、研究塔の入り口が口を開けていたのだ。
ベティは周囲の反応には構わず、キールへと向きなおる。
「お待たせいたしました。父上であれば一撃でしたでしょうが、少々時間が掛かり申し訳ございません」
「いやいや、一撃って、アンタの父親まじ人外だな」
「ベティ。手は大丈夫かい?」
「この通り、問題ございません」
さらにドン引きした様子のミハエラは無視だ。
ベティを気遣うキールに少しだけ赤くなった拳を見せ、問題ないことをアピールする。
しかしキールは形の良い眉を少し顰め、軽く息を吐く。
「とても助かったけれど、ベティ。無茶はいけないよ。赤くなっているじゃないか」
「このくらいは……」
「騎士とはいえ女の子なんだから。体は大切にしないといけないよ」
「……承知、しました」
騎士に対する言葉ではない。
そう思いつつも、榛色の瞳に真剣に見つめられ、ベティは頷くしかなかった。
次、キールの前で同じようなことをしたら、酷く怒られそうだ。気を付けなくてはいけない。
一応ベティの反応に納得したらしいキールは、後ろで待機していた監査の一団に声を掛ける。
「さて、それでは今年の研究塔の監査を始めよう」
「身内だからと手心を加えず、徹底的に調べろ。ヴェリテに余計なモノを見つけさせるな! 総員、かかれ!」
魔術師の代表が部下たちにそんな号令を下して研究塔へと突入していく。
監査局の人たちも騎士とペアとなり、続々と中へ入っていった。
そんな一団を見送ったベティは、相変わらずニヤニヤと笑っているミハエラへ疑いの眼差しを向けてしまう。
「一体ヴェリテ殿は何をしたのだ……?」
「さぁて、何のことだか? 僕は毎年、職務を忠実に熟しているだけなんだけどね」
「ヴェリテは見つけた物をネタに、魔術師団を煽るからね」
「……? ヴェリテ殿は魔術師だから、魔術師団所属ではないのか? それなのに、魔術師団を煽る?」
首を傾げて何気なく聞いたベティに、ミハエラは冷え切った青灰色の瞳を向ける。
先程までのご機嫌さが嘘のようだ。
「一応籍は魔術師団にもあるよ。でも僕の所属は監査局だ」
「そうなのか。…………その、失礼した」
「何が?」
「不躾なことを聞いた。すまない」
「別に」
ふい、と顔をそっぽ向けたミハエラはとても機嫌が悪そうだ。
魔術師は貴重な存在だ。
普通、魔術師が余所の部署に居ることなどない。いくらキールが王族とはいえ、やはり、かなり特殊なことだったのだ。
気軽に聞くことじゃなかった。
デリカシーがない自身に凹むベティに、キールは苦笑を零して軽く肩を叩く。
「ヴェリテも色々難しい子なんだ」
「難しい子って……。キール様、言い方ぁ」
「ふふ、事実だろう? さて、ヴェリテも機嫌は治ったかな。私たちもそろそろ行こうか」
そう声を掛けたキールが研究塔の中へと進みかけるが、不意に立ち止まり、ベティへ一揃いの手袋を差し出す。
黒い、革製の手袋だ。
「キール様?」
「先に渡せばよかったのだけど。ベティ、これを着けるように。ここには何があるか分からないからね」
にっこりと笑っているが、拒否できる感じではない。
少し躊躇いつつもキールから手袋を受け取り、促されるままに装着する。
薄く、指の動きを邪魔しないのに、決して破れそうにない。そんな素材の手袋だった。
絶対に高い。
そう思って顔を上げると、有無を言わせない笑顔なキールと目が合う。
「それは経費で用意したものだから。気にせず使って」
「ありがとう、ございます」
「どういたしまして」
「え、キール様。これってオリハルコン・リザードの皮……?」
横からまじまじと手袋を見ていたミハエラが、驚きの声を上げた。
オリハルコン・リザードは深い洞窟に稀に生息する魔獣で、名前の通りその外皮はとても硬い。うまく加工すれば、防刃・防魔法効果を持つ高級素材となるのだ。
この手袋があれば何があっても手を怪我する心配はないが、加工するのも難しい素材のため、かなりお値段がするはずだ。
確実に経費で落ちる値段ではないし、そもそも物が出回らないから入手も困難なのだ。
やっぱり受け取れない。
そう思ったが……。
キールはにっこり麗しい笑みを向けている。
有無を言わせない、とても強力な圧力を感じた。
「何か、問題あるかい?」
「いやぁ…………」
「有難く、頂戴いたします」
深々と礼をするベティの横で、ミハエラは顔を引き攣らせて職権乱用、と呟いていた。




