3.王都での日常
キール付きの近衛騎士となって数日。
初日に言われた通り近衛騎士としてやることはほぼ何もなく、ベティは暇を持て余していた。
一応、騎士という立場だからと扉の傍で立って警備をしているが、この執務室に出入りするのは監査局の人だけだ。
それも固定のメンバーだけであり、あっという間に顔や名前、足音の癖なんかを覚えてしまった。
執務室に近付く人が居てもいつもの人たちだとすぐ分かるため、警戒する必要がほぼなかった。
ちなみにベティはキール付きの近衛騎士ではあるが、任務は日中のみだった。
おかげで朝、キールの私室まで迎えに行き、夕方に私室まで送る道中が主な仕事になっている。
とはいえ、その移動もあくまで王宮内。他にも沢山の騎士が警備を行っているし、危険なことが起こる気配もなかった。
そんな暇で仕方ないベティとは正反対に、キールとミハエラは常に忙しそうだ。
今日も執務机の上に山となった書類を黙々と捌いていた。
「くっそ、数多いな。ねぇ、ただ突っ立ってるだけなら、手伝ってよ」
「私が? その、書類仕事は苦手なのだが……」
「そんな難しいことなんてお願いしないから。ほら、こっち来て!」
ペシペシも机を叩くミハエラに、少し困ってキールを見る。
今日も相変わらず、光を放つ美しい金色の髪の毛は綺麗な縦巻きロールに整えられているし、逞しい体は黒いレースがなんだか色っぽいドレスに包まれている。
見た目は異質で未だに慣れないけれど、仕事は出来てとても頼れる方だ。
暇すぎて手伝えることがあれば手伝いたいけれど、監査部所属でない者が書類を見ていいものか、というベティの疑問をすぐに分かってくれたようだ。
キールは苦笑を零し、小さく頷く。
どうやらベティが手伝っても良いらしい。
ほっと息を吐いてミハエラの元へ向かう。
「ヴェリテ殿。私は何をすれば?」
「この山、各部署から上がって来た報告書なんだけど、入り混じっててやりにくいからまずは仕分けして。とりあえず、財務と中央、地方の3個に分けてくれればいいから。部署の見分けは、右上の起案者の所属見て」
「……了解した」
この山、とミハエラが指すのは1冊が1~2センチほどもある分厚い書類がいくつも積み重なったものだった。
この分厚い書類を読め、と言われたら頭痛になりそうだが、幸いにミハエラの指示は簡単で分かりやすいものだ。ベティでも十分対応できる。
監査局はキールとミハエラが所属している統括部と、財務監査部、中央監査部、地方監査部がある。
財務関係の監査を行う財務監査部、王宮内の各部署の監査を行う中央監査部、国内の各領地の監査を行う地方監査部だ。
そしてこの統括部は、各部署から上がって来た報告書の精査や国王への報告、監査の年間計画を立案するのが主な仕事だという。
そのため、監査局の中でも書類仕事が圧倒的に多い部署なのだ。
執務室の一角にあるソファの方で仕分けをしながら、ちらりと書類の中も見てみたが、脳みそが理解を拒否した。
監査結果報告書、事前調査結果報告書といったタイトルまでは大丈夫だが、中身は小難しくて無理だった。
無意識のうちに眉間に深い皺を寄せつつ、仕分けを終わらせて資料をミハエラの机へ戻す。
「ありがと」
「他に何か手伝えることは?」
「ん~、もういいや」
「先程、まずはと言っていたのでは?」
「や、だってさ。アンタ、書類の中見て速攻理解諦めてたでしょ?」
ぎしり、と椅子に背中をもたれかけたミハエラが皮肉気に笑う。
事実だが、まさかバレていたとは……。
ミハエラに反論出来ないベティは、縋るようにキールへと視線を向ける。
「キール様は何か……」
「う~ん……。そうだ、そろそろお茶にしようか」
「あっはっは! キール様、めっちゃ話逸らしてる」
キールはキラキラと素晴らしい笑みを浮かべている。
言葉にはされていないけど、戦力外通告だ。
爆笑するミハエラに一つ睨みを飛ばし、とりあえずお茶を用意する。
これまた騎士の仕事ではないけれど、数少ないベティの仕事だった。
日課となっている午後の休憩時間。執務室に備え付けてある茶器とお湯を使って紅茶を淹れる。
初日は気が付いた時にはキールが紅茶を淹れていたが、翌日からはベティが代わってやるようにしているのだ。
「ありがとう、ベティ」
「う~ん、45点」
「ヴェリテ殿、文句を言うのはご自身でちゃんとお茶を淹れられるようになってからにして頂きたい」
今までは日々鍛錬に明け暮れていて、紅茶の淹れ方なんかよく分かっていない。まだまだ美味しい紅茶にはほど遠い。
ちなみにミハエラが紅茶を淹れた場合、茶葉の量が適当すぎるので色のついたお湯か、激渋の液体が出来上がる。
ベティでもあれは紅茶とは認められない。
3人でソファの方に移動しての休憩だ。
紅茶を片手に、ふと思い出したようにキールが榛色の瞳をベティへ向ける。
「そういえばベティ、鍛錬などの時間は取れているかい? 君には毎日ここに居て貰っているから、困っていることがあれば、言って欲しいな」
「鍛錬は、朝のうちに済ませておりますので問題はありません」
「朝って、ここに来る前ってこと?」
嫌そうに顔を顰めるミハエラに首を傾げつつ、頷く。
キールの始業は王族の務めもあるからか、あまり早くない。
元々、ジュッツベルク領に居た頃から朝食前に一通り鍛錬を行うのが日課だったから、時間的にもあまり問題はない。
そう説明をすると、他の魔術師同様夜型らしいミハエラは考えられない、という顔をしていた。
「ただ、やはり王都では魔獣退治などないので、実戦が出来ないのが少々悩みですね」
「ああ、そうか。ジュッツベルク領だと、魔獣退治がよくあるんだね」
「魔獣退治が日課とか、ホント、ジュッツベルクって魔境だよなぁ」
「こら、ヴェリテ」
「いえ、事実ですから」
「ほらぁ!」
ケラケラと笑うミハエラを再度軽く叱り、キールは一口紅茶を口にする。
柔らかな笑みが麗しい。
「王都周辺の森なども国で管理しているから、勝手に入るわけにはいかないからね。少し、良い方法がないか探しておこう」
「ありがとうございます」
キールは部下のこともちゃんと考えてくれる、とても良い方だ。
女装してるけど。
そうして休憩を取った後。
また暇になったベティを見かねたキールが、監査棟内であれば少し離れていても問題ないだろう、と監査棟内の資料室に資料を戻す仕事をくれた。
うず高く積み上げられた資料を全て一気に持ち上げると、ミハエラから引いたような目を向けられたが、それを無視して資料室へ向かう。
ベティとしては大した重さではないが、持ち上げると目線の高さも超える程の量だ。
視界の悪さに、無意識のうちに表情が険しいものになっていた。
そしてベティが資料室に辿り着いた時、丁度扉が開かれる。中から出てきた人が居たようだ。
「お疲れ様です」
ここに居るということは恐らく監査局員だろう。
挨拶のために、持った資料の山の影から顔を覗かせる。
しかし、ベティは自分の表情が大分険しくなっていたことに気付いていなかったのだ。
「お疲れさ、ひぇっ…………」
「え、ちょっ………………」
少し気弱そうな文官服を着た男性が、目が合った途端に悲鳴を上げて倒れてしまった。
完全に気を失ってしまった男性を見つめて、ベティは立ち尽くす。
顔を見ただけで失神されるなんて、女子として非常に納得できない。
しかし実は、失神されるのも初めてではなかったりする。
「………………王都の方々は、繊細過ぎる」
まともに目を合わせることができる人すら少なすぎて、婚活の先行きが非常に不安だ。
深々とため息を吐いたベティは、ガックリと項垂れるのだった。




