おまけ4_熊令嬢の婚礼
「はぁぁぁぁぁ……」
「あら、ベティちゃん。マリッジブルーかしら?」
「母上。私はもう、結婚はしております」
「ふふふ。でも、お式はまだでしょう?」
どんよりと重たい空気を漂わせるベティを見て、シェイラはころころと笑う。
その手元では、純白のベールに素晴らしい刺繍が着々と施されていた。
目立つのはベールの縁に添うように金糸で刺された枝葉のデザインだけだが、それ以外にもベールとは光沢の違う白い糸で様々な紋様がいくつも刺繍されている。シェイラをはじめとした、ジュッツベルク一族の女たちが手掛ける大作だ。
ちなみに主役であるはずのベティは、白い糸で一針縫っただけで、針を取り上げられた。
血塗れのベールでは趣味が悪すぎる、ということらしい。
この国では、結婚式で身に着けるベールは花嫁とその一族の女性たちで刺繍を施すのが伝統なのだ。もうほぼ完成ともいえるベールを見て、ベティはまた重い息を吐く。
「ベティちゃん。そんなに結婚式が心配?」
「いえ、心配というわけではないのですが……」
眉間に深い皺を寄せ、ベティは言い淀む。
ベティとキールは結婚を決めてから恐ろしいスピードで諸々の手続きを進めた。だからすぐさま結婚はしたのだが、流石に結婚式まではそんな短時間で準備が出来なかった。
そしてジュッツベルク領の冬は厳しい。
秋はそんな冬に備えた準備が忙しいし、冬になると結婚式なんてやっている場合じゃない。だから、二人の結婚式は春になってから行われる予定なのだ。
長く厳しい冬の間にベールには沢山の刺繍が施され、ほかの準備も着々と進められた。
そしてやっと緑が芽生え始め、結婚式ももう間近だ。
しかしそれは、ベティにとってずっと目を逸らし続けていた事態に向き合わなくてはならない時が近付いているということだったのだ。
「はぁぁぁぁぁ……」
「もう、ベティちゃん。そんなに鬱々としないでちょうだい」
「しかし……」
「何がそんなに憂鬱なの?」
「その……」
「もう。はっきりしてちょうだい!」
シェイラの声は柔らかいが、氷のような冷たさを孕んでいた。
思わずビシリ、と背筋を伸ばしたベティは、ここ最近の気鬱の原因を口にする。
「その、結婚式では、ドレスを着なくてはいけないじゃないですか」
「ええ、そうね。流石にベティちゃんでも、結婚式まで騎士服でとは言わないわよね?」
「勿論です!」
微笑んでいるが、鋭いシェイラの視線にコクコクと首を縦に振る。
いくら自分よりキールの方がドレスが似合うとはいえ、ベティが騎士服でキールがドレス、という結婚式にしたい訳はない。
しかし。
「ただ、その、やはり…………」
「やっぱり?」
「格好良くて、美しい婚礼衣装を着たキールさんの隣に、似合わないドレスを着て並ぶのかと思うと………………」
ドレス姿でも美しかったキールは、男性用の礼装でも美しく、そして格好良い。普段着でも目を奪われるのだ。間違いない。
そんな隣に、男女とか、熊令嬢とか言われる自分がドレスを着て立つのだ。
想像するだけでも、悲しくなる。
眉間に皺を寄せ、深いため息を吐くベティに、シェイラは柔らかく笑う。
「安心して、ベティちゃん」
「母上……」
「貴女のドレスはキールさんが手配してくれているのでしょう? あの方を信じれば大丈夫」
「でも…………」
「大丈夫。あの方はベティちゃんの良い所をちゃんと分かっているわ」
優しくシェイラに頭を撫でられたベティは、漏れそうになるため息を飲み込んだのだった。
§ § § § §
そして結局ベティはドレスを見せてもらうこともないまま、結婚式当日を迎えた。
爆発しそうな心臓を抱えつつ、朝から全身磨かれ、気が付いた時にはベティはドレスを身に纏っていた。
キールが手配したという純白のドレス。
それを纏い、柔らかな春の陽射しが降り注ぐ支度用の部屋に一人残されたベティは、姿見を前に言葉を失っていた。
侍女たち渾身のメイクが施され、収まりの悪い灰色の髪の毛も綺麗に結い上げられたベティが身に纏うのは。
上半身はベティが着慣れた騎士服のような、カッチリとしたデザインだった。金糸と繊細なレースで細かな装飾が施された詰襟のフロックコートのようなそれは、裾がスカートのように広がっている。
そしてパニエなどは重ねず、すっきりとしたAラインを描くその下は、細身の白いパンツスタイルだった。
普通の、花嫁のドレスとは全く違う。
それでも、騎士らしい凛々しさを引き立てるそのドレスは、ベティに良く似合っていた。
「気に入ってくれたかい、ベティ?」
「……キールさん」
いつの間にか、キールが支度部屋に来ていたようだ。ベティの隣へやって来ると、そっとベールを頭に着ける。
小さな白い花飾りと一緒に着けたベールは、金糸の刺繍で施された縁取り以外は純白に見えるシンプルなものだから、騎士服のようなドレスとも合っている。
きっと、キールとシェイラが相談して、決めていたのだろう。
優しい母の言葉も思い出し、鏡の中の自分たちを見つめる。
純白の礼装を纏った美しく、王子様らしいキールの傍ら。
そこに立つ自分は、普通とは違うが、決してみっともないなんてことはない。
胸を張って、笑うことが出来る。
「こんなドレス、想像したこともありませんでした」
「ふふ。ベティはどのような姿でも素敵だけれど、やっぱり民を守る騎士として在るときが、一番美しいと思うから」
「キールさん……」
驚いて見上げると、とろりと甘やかに蕩けた榛色の瞳が真っ直ぐとベティを見つめていた。
白い手袋に包まれた手がそっとベティの頬を撫でる。
「とても綺麗だよ」
「っ……! そ、その。キールさんも、素敵です!」
「ふふ、ありがとう」
甘やかな笑みと共に、軽い口付けを贈られた。
ほんの一瞬触れた柔らかい唇に、ベティの頬は真っ赤に染まる。それを見て、キールの笑みがさらに深くなった。
――が、その時。
外で賑やかな歓声が沸き起こった。
明るい音楽が響き、楽しげな笑い声も聞こえて来る。
「っ、もうすぐ、時間ですね!」
「……そうだね。残念だけど」
「残念って……!?」
「ふふ、冗談だよ。……だけど、とても賑やかで、素敵な空気だね」
目を白黒させるベティに、キールは柔らかい笑みを浮かべる。そして窓の外へ視線を向けた。
明るく、活気のある街の様子が伝わって来る。
結婚式自体は街の人達が参加できるものではないけれど、今日一日、街はお祭りなのだ。ベティ達の結婚を祝い、そして末永い幸せを祈ってくれている。
温かく、大好きな街だ。
ここを、これからキールと共に守っていける。
それを思うと、どうしても溢れる想いがある。
「キールさん」
「どうしたんだい、ベティ?」
優しく笑う、美しいその人を。
まっすぐ見つめて、宣言する。
「キールさん。……私は、一生涯貴方を守ります!」
「え…………。そっち、なのかい?」
「はい。私はどうあったとしても、騎士ですから」
「……そっか、そう、だね。………………うん、分かっていたよ」
疲れた様子でため息を一つ吐き、キールはどこか諦めたような笑みを浮かべた。
そしてベティの手を取り、その手に口づけを落とす。
「これからも、末永くよろしくね。ベティ」
「はい!」
ギュッとキールの手を握り返す。
そしてみんなが待つ、賑やかな街へと向かうのだった。
これにて完結となります。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。




