おまけ1:キールの独白と誤算
キール・ジュスト・カルティネロにとって、あれは運命の出会いだった。
それは、ジュッツベルク辺境伯領の監査に無理を通して同道していた時だ。
ジュッツベルク辺境伯領の中でも魔獣が多く出る森のほとりの村で、近くに危険な魔獣が出たため数日足止めを喰らっていたのだ。数日中に辺境伯領騎士団が討伐する、ということでその仕事も含めて確認しようと待っていたある日。
悍ましい魔獣の咆哮が響き渡り、それから幾ばくかしたのちに村中が沸き立った。
魔獣を討伐した辺境伯騎士団が帰還したのだ。
キールは何かあったら問題だからと宿に留め置かれていたが、魔獣の討伐が完了したらならばとそっと村へと出てみると。
討伐した魔獣と思われる、鋭い角を生やした巨大な熊型の魔獣を数頭担いだ厳つい騎士たちの中に、1人の女性騎士が居たのだ。
彼女自身、かなり体格もしっかりしており、纏う雰囲気や眼差しもとても鋭いものだった。髪で隠してはいるが顔に大きな傷跡もあり、若いのに歴戦の騎士なのだろう。
その女性騎士は恐る恐る魔獣を観察している村の子どもたちに気付くと、膝を付いて目線を合わせ、声を掛けていた。
騎士が容易く膝を付くことにも、村の子どもに気軽に声を掛けていることにも驚いたが。
何よりも。
柔らかく、暖かく、笑いかけるその眼差しに。
思いがけず、目を奪われた。
「…………彼女は?」
「は……? あ、ああ。あの方は、確かジュッツベルク辺境伯のご息女です。伯爵令嬢にも関わらず、騎士として前線に出ているという噂は本当だったようですね」
「辺境伯の令嬢。そうか」
「何か、問題でも?」
「いや、そんなことはないよ」
同行していた監査局員に聞いて、彼女が貴族令嬢であることを知ってさらに驚いた。
それとともに、焦がれるような想いが沸き上がったのだ。
その暖かい眼差しに。
彼女の在り方に。
彼女自身に。
深く、関わりたいと。
どうか、その眼差しを自分に向けてくれないかと。
そんなことを、思ってしまった。
たった一目見ただけだ。
それでも。
今まで周りにいたどの貴族令嬢とも違い、かつて自身を擁立して王位を欲した貴族たちとも全く違う、その存在に。
深く、深く惹かれてしまったのだ。
しかし、今回の監査では身分を隠すことが同行する条件だったから、ここで声を掛けることは出来なかった。
そうなると、ジュッツベルク辺境伯領で暮らす彼女と、仮にも第二王子でそう易々と王都から出ることは出来ない自分とでは、接点を作ることも出来ないだろうと諦めていた。
それなのに、彼女のほうから王都に来ると言うのだ。
そんなチャンスを逃すことなど、出来るはずもない。
多少どころではない無理を通して彼女を手元に置き。
何度もアプローチをして、ようやく受け入れて貰えて。
直ぐに婚姻を結んでジュッツベルク辺境伯領へと来たのだけれども。
「これはちょっと、想定外だったなぁ……」
「キールさん、どうかしましたか?」
「いいや、何でもないよ」
不思議そうに問い掛けるベティに、首を横に振る。
恋焦がれた、澄んだ青色の瞳が真っ直ぐと自分に向けられるのはとても嬉しいのだが。
窓から見下ろした先で繰り広げられる光景には、深いため息が出てしまう。
「ふんぬっ! ぬぐ、逃げるなぞ卑怯だぞ!!」
「いやいや、逃げるでしょ。てか魔術師相手に剣振り回す方が、頭おかしいって!」
「何を言う! 貴殿こそ、いつまでも逃げ回るなど往生際が悪いぞ!」
ドッカン、ドッカンと轟音が響き、砂煙が立ち昇る。
ジュッツベルク辺境伯家の前庭に穴がいくつも穿たれ、惨状が広がっていた。
ミハエラとヴィドが繰り広げる追いかけっこの結果である。
かつてベティの近くに居たライバル予備軍を、彼の望みを叶える形でジュッツベルク辺境伯騎士団へ送ったのだが。
彼と、ミハエラの相性が死ぬほど悪かったのだ。
今日もくだらないことでヴィドをミハエラがおちょくり、その結果の追いかけっこが発生しているのだが、その被害が酷い。
別に、全ての同僚と仲良くしろなんて言わないが、喧嘩のたびに周囲に被害を出すのは止めて欲しい。
毎日のようにどこかを破壊しては、辺境伯夫人にお説教されているのだ。
いい加減、学習してくれないものだろうか。
「さて、そろそろ止めようか……」
「ええ。このままでは、私たちも母上に怒られます」
「急ぎ、止めよう!」
神妙な顔のベティの言葉に、キールはさっと顔色を悪くした。
そしてベティと頷き合うと、すぐさまミハエラとヴィドが暴れまわる屋敷の前庭へと走って向かう。
臣下たちにまで振り回され、想定外の苦労も多いのだが。
それでも。
キールの顔には、笑みが浮かんでいたのだった。




