21.それから
ベティがキールとの結婚を決めてからは、色々と早かった。
まず、シェールブルク公爵領の監査は絶えずキールが笑顔の威圧を放っていたおかげで、一切の妨害工作などは行われることもなく、最短で完了となった。
そして王都に戻ると即、王などに結婚の挨拶をして、あっという間に婚姻証書が提出されていた。普通、王子の結婚ともなると各所の承認とか調整とかあって、短くても半年くらいかかるはずのことが、たった2週間で終わっていた。
キールは「皆様快く承認してくれたよ」と笑顔で言っていたが。
その横に居たミハエラがかなりげんなりとしていたから、多分監査局局長という立場を非常に有効活用したのだろう。
怖いから何があったかは、確認しないとベティは心に決めたのだった。
そして社交シーズンが終わり、秋の中旬。とある晴れた穏やかな昼下がり。
ベティはジュッツベルク領の領都近くにある草原で、キールと共に馬を走らせていた。
キールはもう、ドレスも金色の縦巻きロールも身に纏っていない。
少し伸びた薄茶の髪の毛をリボンで束ね、休日の貴族らしいシンプルながらも上品なシャツとパンツ姿だ。ちなみにベティはジュッツベルク辺境伯領騎士団の制服である、暗緑色を基調とした騎士服姿だった。
おかげでパッと見て、夫婦ではなく貴族と護衛の騎士状態だ。
そんな状態に思い至り、小さくため息を吐く。
「ベティ、どうかしたのかい?」
「いえ。……ただ少し、人生は分からないものだなぁと思って」
「そうかい?」
「ええ。今年の春にジュッツベルク領を出た時には、まさか秋に戻っているなんて思いもしませんでしたよ。それにキールさんが、その、旦那様、になるだなんて」
言っていて段々恥ずかしくなってきた。馬を止めて俯く。
間違いなく、頬が赤くなっている。
キールも馬を引き返してベティの傍に寄ると、とろりと甘やかな笑みを浮かべる。
極上の蜜のように甘い榛色の瞳に、顔がより一層熱くなる。
「ふふ、そうだね。ベティに選んでもらえるよう、沢山頑張った甲斐があったね」
「頑張った、って……。えと、その。こ、こんなに急ぐ必要はなかったのでは?」
「いいや、早いに越したことはないよ。邪魔が入りかねないし、それにベティの気が変わってしまったら大変だ」
「気が変わるなんて! そんなことありません!!」
キールの言葉にギョッとして、全力で否定する。あまりの勢いに、キールの馬が驚いて少し逃げてしまった。
しかしそれを宥め、キールは再びベティの隣へと並ぶ。
そしてそれぞれが馬に乗っている状態にも関わらず、身を乗り出してベティの唇へと口付けを落とす。
「っ!!??」
「ふふ、ベティはいつまでも慣れないね?」
「え、ぃや、その!! 馬上では危険ですから、こういったことは止めてください!」
「それでは、馬から降りればいいのかな?」
「いえ、そういうことではなく!!」
「おや、私の口付けは嫌、ということかい?」
「そんなことは全くないですが! そうではなくて!」
楽しそうな笑みを零すキールに、完全に揶揄われている。
羞恥やらときめきやらで顔面が凄まじいことになっているベティは、言葉を探すように言葉にならない声を漏らす。
新婚らしい甘やかな空気に、どうしてもドギマギしてしまうのだ。
とにかく空気を変えるためにも、話題を変える。
「その……。監査局も辞めてジュッツベルク領へ来て、大丈夫だったのですか?」
「大丈夫だよ。私一人が居ないくらいで回らない程度の組織ならば潰れた方が良いし、そうならないように教育してきたつもりだからね」
「そう、ですか……?」
「そうだよ。それに、きっとそろそろかな」
「何がですか?」
「ふふ、家に帰ろうか。そうすれば分かるよ」
「……?」
キールが何を言っているのか、全く分からない。しかし彼は楽し気な笑みを零すばかりで説明してくれそうにない。
とにかくキールの言う通り、ジュッツベルク家の屋敷へと戻ると――。
「やぁっと帰って来た! キール様、また僕を右腕として使いません?」
「ヴェリテ殿!? どうしてここに……」
「ふふ、やっぱり来たね」
いつも着ていた魔術師のローブではなく旅装に身を包んだミハエラが玄関前で仁王立ちしていたのだ。
周囲では使用人たちが困った様子でオロオロしていたから、とりあえず仕事に戻るようにそっと促しておく。
そんなことをしているうちにズカズカと近くまで寄ったミハエラが、賑やかに喋り出す。
「キール様ったら引継ぎとかほとんどしないでさっさとジュッツベルク領に行っちゃうんだもん。後任者がしょっちゅう泣きついてくるし、キール様が居なくなったからって図に乗る馬鹿どもが続出するし。ホント、嫌になっちゃうよ」
「でも、問題なく片付いたんだろう?」
「そりゃね。後任の無能にはキール様が作った完璧な引き継ぎ書叩き付けたし、馬鹿どもには色々な不正の証拠叩き付けて蹴落としておいたよ。いやぁ、あの時の顔ったら最高だったね!」
糸目を見開いて笑うミハエラは、とても邪悪だ。
こんな人物、ジュッツベルク領にも居て欲しくないのだがキールは穏やかに笑うばかりだ。
「問題が片付いたのに、なんでジュッツベルク領に……?」
「そりゃあ、キール様が居ない監査局に残るなんて、罰ゲームじゃん」
「罰ゲーム……」
「そう! 馬鹿なんて、次から次に沸いてくるしね。最後にある程度キレイにしてあげたんだから、感謝して欲しいくらいだよ」
ミハエラは、相変わらず邪悪な笑みを浮かべる。監査局って、こんなことをする部署だっただろうか……。
キールを見上げると、どこか満足気な表情をしていた。
「キールさん。これを予想していたのですか?」
「ふふ、そうだね。私が居なくなったら確実に愚か者たちが何かしら仕出かすだろうと思っていたし、ヴェリテならうまく処理してくれるだろうなと。それが終われば、ヴェリテは間違いなく監査局からは出奔するだろうとも思っていたよ。ここに来るかは、半分くらいの確率かなとは思っていたけど」
「ええ~。僕のこと、その程度にしか思ってなかったんですか~」
「ふふふ、すまないね。ヴェリテ、また、よろしく頼むよ」
「はぁい! とはいえ、今度は奥方様なアンタを敬わなきゃいけないのか……」
なんだか嫌そうな顔をするミハエラに、ベティは苦笑する。
今まで同僚だったが、領主家の者と家臣になるのだ。そこは慣れてもらうしかない。
とはいえ、今更ミハエラに敬われるのも気持ち悪い。
「ヴェリテ殿。公の場でなければ、今まで通りで構わない」
「あはは! アンタ、僕を殺す気?」
「え……?」
「ホント、アンタの鈍さって罪だよね~」
ケラケラと笑うミハエラに、首を傾げる。一体何事だろうか。
キールを見上げると、どこか物騒な気配が残る榛色の瞳が向けられる。
「キールさん?」
「はぁ……。ベティ、ヴェリテと仲良くするのも程々にね?」
そう言ったキールが、ベティの頬をするりと撫で。
そして唇に軽く口付けを落とす。
流れるようなその動きに、ベティは何も反応が出来なかった。
「ぇ、え……!?」
「ふふ。さて、ベティ。家に入ろうか」
「キール様、ほんっと心狭いよねぇ」
「っ!!??」
ミハエラの爆笑に、ベティが顔を真っ赤にして声なき悲鳴を上げ、キールは穏やかに笑いながら宥める。
そんなカオスな状況が、これから日常となるのだった。
本編はこれにて完結となります。
もう少し番外編を書く予定なので、よろしければもうしばしお付き合い頂ければと思います!




