19.監査の旅3
王都を見渡せる丘からシェールブルク公爵領への道へと戻ったベティたちは、無事日暮れ前にマルジェという街へと辿り着いていた。
王都から公爵領へと続く街道沿いにある街だけあって、かなり賑わっている街だ。
今夜の宿を探す人々を呼び込む声や、屋台で食べ物を売る声、さらには早くも酒杯をあげて盛り上がっている人々の声などがあちこちから聞こえてくる。
馬車をゆっくりと進ませるベティ達にも、色々な誘いの声が掛けられていた。
しかしキールは既に泊まる宿は決めているらしく、にこやかに誘いの声を断っている。そして馬車なども預けることが出来る大きな宿屋が見えてきたころ、キールが小さな声でベティへと告げた。
「事前に伝えられていなかったけれど、夫婦という設定だから宿は同室になるよ。不埒なことは絶対にしない、と誓うから許して欲しい」
「同室、ですか。承知しました」
「おや。驚かないのかい?」
ベティが慌てふためくことを予想していたのか、キールは榛色の瞳を見開いていた。
その様子は、どうもベティを揶揄う意図があったようだ。苦笑を小さく零し、ベティは説明する。
「私は長いこと騎士団に居りますから。騎士団ならば男も女も区別なく雑魚寝することは良くありますので。それに、護衛任務であれば、護衛対象と同室になることもあります故」
「そうか…………。それは少し、残念だな」
「残念、ですか」
小さく首を傾げるベティに、キールが艶やかな笑みを向ける。
とろり、と榛色の瞳が甘やかな色を乗せたような気がする。
「そう。ふふ、でも問題はないよ。この旅が、ベティにとっても特別なものになるようにすればいいだけだからね」
「…………ぇえ?」
「さて、到着だ。私が、宿の手続きをしてくる間、すまないけれどベティは馬車を見ていてくれないかい?」
「え。あの、宿の手続きは私が……」
「いいや、ベティは待っていて。色々と、必要な手続きがあるからね」
なんだか嫌な予感がして止めようとしたが、キールはするりと馬車を降りてしまう。
そしてにっこりと、有無を言わせない笑みを向けられてはそれ以上反論も出来なかった。不安だけど、渋々と頷くしか出来ない。
「承知しました。よろしく、お願いします」
「うん。すぐに終わらせるから待っていてね、奥さん」
異様に甘やかな笑みを残して宿の受付に向かうキールを見送り、ベティは両頬を押さえる。
嫌な予感がするし、キールの言葉はなんだか不穏だ。
それでも。
甘やかな眼差しを向けられ、奥さん、なんて言われると顔が熱くなってしまう。
高鳴る胸を自覚しながらも、今は仕事中なのだ、と自分を戒める。
答えを出すのは、今すべきことではない。
そう自分に言い聞かせる。
そして一つ息を吐いて平静を取り戻したベティは、しかし夕食の時に驚かせられることになる。
キールとベティが泊まる宿は観光用のものではなく、商人たちが旅の休憩場所と使うためのものだ。
だから内装は至ってシンプルで、本来であればキールが泊まることなど有り得ないような場所だ。
それでも綺麗に掃除が行われ、ベッドにはしっかり洗濯されたシーツが掛けられていて居心地は十分に良い部屋だった。
キールの笑みに少し心配していたが、ちゃんとベッドは別々だし、併設されているシャワー室などもちゃんと鍵かかかる。
深窓の令嬢ではないベティとしては、全く問題のない状況だった。
「キール、さん。夕食は、どこかの食堂へ行きますか?」
「ふふ、ベティはまだ慣れないね。外で食べると疲れるだろうし、部屋で食事できるように手配しているよ」
「っ! ご配慮いただき、ありがとうございます」
「構わないよ。私の我儘に色々と使わせてしまっても居るからね」
そう言うキールの笑みは、とても優しい。
やっぱり未だに薄茶色の髪を持った男性の姿には少し戸惑いを感じてしまうけれど、柔らかい微笑みはいつも通りで落ち着くのだった。
そして宿で用意された食事は庶民的な煮込み料理とパンというシンプルだが、温かな味のものだった。
ゆったりと、他愛のない会話をしながら完食し、食器を1階へと返しに行ったキールが戻って来た時。
その手には小さなケーキが乗った皿を持っていたのだった。
「どうしたのですか、そのケーキは?」
「お誕生日おめでとう、ベティ」
「え……」
目を大きく見開くベティに、キールは笑みを零す。
そしてそっとケーキをベティの前に置き、口を開く。
「ふふ。今日は、君の誕生日だろう?」
「えっと、あれ!? 今日、15日でしたっけ」
「うん。今日が出発の日だと言っても、何も気にした様子がなかったから心配していたのだけれど、やっぱり忘れていたね」
困った様に笑ったキールが、そっとベティに手を伸ばす。
そして優しく頬を撫で、甘く囁く。
「生まれて来てくれて、私と出会ってくれて、ありがとう。どうかこの先も、共に居させて欲しい」
「っ…………!!」
頬に触れるキールの指の温もりと、優しく甘い眼差しに。
ベティはどうしようもなく胸が高鳴ることが、抑えられなかった。




