18.監査の旅2
真夏の強い陽射しが降り注ぐ中、カッポカッポというリズミカルな音を響かせて馬車を引く馬は順調に進む。
ベティとキールは中規模の商家を営む夫婦という設定だ。だから、今乗っているのは貴族が乗るような馬車ではなく、偽装のための商品である衣類などの布製品を積んだ幌馬車だった。
そして馬車の手綱を取るのはキール。御者台で隣に座るベティは、手持ち無沙汰と申し訳なさでずっと落ち着かなかった。
「陽射しはきつくないかい、ベティ?」
「いえ、このくらいは何ともありません。キール様こそ、お疲れではありませんか? 私にお任せくだされば……」
「いいや、馬車の操作くらいなんてことはないよ。それに、こういうのは夫の仕事だよ。ね、奥さん?」
「お、おくっ……!」
「ふふ。そろそろ慣れようか、ベティ?」
いつものようなキラキラした笑みではないが、整った顔立ちを甘く笑ませたキールの言葉にベティは目を白黒させる。
その実、このやり取りは出発してから数度目だったりする。
最初もベティが御者となり、キールには馬車の中に居て貰おうと思っていた。しかし、妻に御者をさせて自身は馬車の中に居る男なんて怪しすぎる、とミハエラ含めて言われてしまったのだ。
ベティは馬車の方に居ても良い、と言われたけれど流石にキールに御者を任せきりというわけにもいかない。だから二人揃って御者台に乗っており、傍から見れば仲の良い夫婦であろう。
しかし実際には、護衛対象で王子なキールだけを働かせている状況に、ベティは物凄く居心地が悪かった。
さらに夫婦設定にもうどうしていいか分からない。
つばの大きな帽子の下で、ベティの表情がかなり凶悪なものになっていた。
それを見て苦笑を零したキールが柔らかく提案する。
「せめて、呼び方だけでもどうにかならないかな? 貴族ならば夫を様付けでもおかしくはないけれど、一応平民の設定だからね」
「しかし…………」
「シェールブルク公爵領へ行くまで、いくつか街にも寄る必要があるんだ。そこで怪しまれてしまっては、監査どころではなくなってしまうよ?」
「う……………………」
キールは困ったような笑みを浮かべ、小さく首を傾げた。薄茶色の真っ直ぐな髪の毛が、さらりと揺れる。
未だに見慣れないその髪の毛に視線を彷徨わせ、ベティははくはくと言葉を探す。
キールの言うことも分かっているのだ。
ただでさえ自身の外見から、商人の婦人には見えないのだ。せめて、夫婦らしい言動にすべきだろう。
とはいえ、キールは護衛対象であり、王子なのだ。そう簡単に態度などは変えられない。
「これもお仕事だと思って。キール、と呼んでごらん?」
「うぅ…………」
「ね、ベティ?」
順調に馬を歩ませながら、キールはとろりと甘やかな色が乗った榛色の瞳をベティへ向ける。
仕事、と言いながらも艶やかな眼差しからはキール自身の欲が多分に含まれている気がする。
かぁぁ、と頬が熱くなるのを感じながら、ベティはぎゅうとワンピースのスカートを握り締める。普段剣を持つ彼女の渾身の力で握られた布地が、ギリリと音を立てていた。
「キ……」
「うん」
「キール、さん。……………………これで、お許しください」
「う~ん、さん付けかぁ。ま、仕方ないかな」
苦笑を浮かべたキールは小さく頷いた。
そして硬く握り締めたベティの両手に片手を伸ばし、そっと撫でる。
「すまない、浮かれすぎだね」
「いえ……」
ふるふると頭を横に振るベティに、キールはほっとしたように息を吐いた。
そして榛色の瞳を甘く笑ませると、一度するりとベティの頬を撫でる。
頬に触れる、黒い手袋の硬い感触が少し残念だ。
そう思う自分に、ベティは息を飲む。
「ベティ、どうかしたかい?」
「いえ! 何でもありません」
「……そう。もし、体調が悪いとかだったら、遠慮せずに言うんだよ?」
「はい。お心遣い、ありがとうございます」
ベティの様子を注意深く伺っていたキールは、それ以上は追及せずにそう言ってくれた。
その扱いに、胸がぎゅっとなる。
これは、なんだろうか。
今のこの気持ちは、どういったものだろうか。
自分の感情の動きに、眉間に皺を寄せて考え込んでいたベティは周囲の風景が先程までと変わっていることにしばらく気付かなかった。
いつの間にか、馬車が街道からは外れた横道へと進んでいるのだ。
「キール、さん? 何故このような場所にいるのでしょうか。シェールブルク公爵領はこちらではなかったはずです」
「うん。ちょっと、ベティに見せたい場所があるんだ」
「見せたい場所?」
「そう。……うん、丁度着いたね。ベティ、見てごらん?」
そう言ってキールが指差す先。
いつの間にかに登っていたらしい丘から、王都を見渡すことが出来た。
石造りの整然とした建物が立ち並ぶ王都には、社交シーズンだからと多くの人々が集まっているのだろう。遠目にも沢山の人々が街中を行き交っているのが見える。
いくつかある広場では、旅芸人の出しものも行われているのだろうか。色とりどりの旗がはためき、目にも鮮やかだった。
「…………すごい」
「ふふ。とても活気がある、良い街だよね」
「ええ。街中に居ても、とても活気があると感じていましたが、全体を見るとまた凄いです」
「ベティは、きっと景勝地とかへ連れて行くよりも、こういった場所を好むんじゃないかなと思っていたんだ」
「そう、かもしれません。……この景色を見せてくださり、ありがとうございます」
「どういたしまして」
ほう、と息をつくベティをキールは嬉しそうに見つめていた。
そして榛色の瞳を甘く蕩けさせる。
「うん。やっぱり私は、ベティの在り方が好きだよ」
「っ……!?」
優しい笑みと共に告げられた言葉に、ベティは顔を真っ赤にするのだった。




