17.監査の旅1
自分の気持ちが結局分からないまま、キールから向けられる甘やかな視線に何とか固まらないようになって来たある日。
輝く程の素晴らしい笑みを浮かべたキールから、1着の衣類を渡された。
「これ、は……?」
「ベティにプレゼントだよ」
「プレゼント…………?」
思わず眉間に皺を寄せて手渡された服へ視線を落とす。
キールがプレゼントという割にはシンプル、というか粗末な品物だ。
恐らく木綿製で、布地を染めている色は地味で発色もあまり良くない。キールが普段身に着けているドレスとは正反対で、単なる贈り物として渡してくるものとは思えない。
一体どんな意図があるのだろうか。
ぐぐっと一層眉間に皺が寄ってしまう。
「はぁ、キール様。ふざけるのは程々にしてくださいよ。いつまでも話が進まない」
「ふふ、すまないね。悩むベティが可愛らしくて」
「っ、何を……!?」
「可愛いって。キール様、目を医者に診てもらった方がいいんじゃないですかぁ?」
ミハエラは胡乱げな視線をキールに投げるが、相変わらずにこにこと笑っているだけだった。
そんな上司に深々とため息を吐き、ミハエラはさっさと説明を始めた。
「それは、変装用の服だよ。役どころとしては、中規模の商家のご婦人」
「変装? 商家の、ご婦人??」
「そう。僕もミスキャストだと思うけどね。キール様がどうしても、と言うから」
「キール様、が?」
「そうだよ。ぜひ、ベティに引き受けて欲しいんだ」
ミハエラの言葉をおうむ返しするばかりだったベティは、キールを見上げる。視線の先の麗しい顔には煌びやかな笑みが満開で、輝く金色の縦巻きロールも相まって、とっても眩しい。
最近よく感じる甘さは乗っていないが、あまりにも笑みがきらきらしくて少したじろいでしまう。
一体、何なのだろうか。
無言のまま見つめ合うばかりで全く進まない話に、ミハエラが盛大な舌打ちを漏らす。
「この夏、シェールブルク公爵領が監査対象なの。公爵領とか高位貴族領を監査する場合、責任者としてある程度身分を持った人が居ないと色々面倒だから、今回はキール様が行くんだけど」
「けど?」
「第二王子として大々的に移動して向こうに警戒されると困るから、変装して移動するんだよ。それで、その護衛としてアンタも一緒に変装してついて行けってこと」
「っ!? それは、キール様と二人で、ってこと……?」
「うん、そう言うことなんだ。道中よろしくね、ベティ」
とっても煌めいている笑みを浮かべるキールに、ベティは意識が遠のきそうになるのだった。
§ § § § §
キールと二人でシェールブルク公爵領まで旅をする、ということに色々と死にそうな気分になりながらも、仕事だから断ることは勿論できず。
あっという間に出発の日がやって来ていた。
ベティは先日キールから手渡された、ブルーグレーのワンピースを身に纏い、つばの大きな白い帽子をかぶっていた。顎の下で結んでいる、帽子を固定するための藍色のリボンがなんだかこそばゆい。
靴は旅だからとヒールのないシンプルなブーツだけど、商家の婦人の変装だから剣も身に着けられないし、足首近くまであるスカートは動きにくい。
そして想像通りというか、帽子のつばの影になって見えにくくはなっているけれど、鋭い眼差しと額から左の目尻に残る傷痕が隠しきれていない。おまけにベティが纏う空気が物騒で、商家のご婦人らしくない。
変装をしたベティを見た瞬間、案の定ミハエラは盛大に吹き出していた。
それによってさらに眉間に皺を寄せたベティの空気は物々しくなり、ミハエラは爆笑を続ける。
そんな不毛な連鎖を繰り返しているときだった。
「待たせてすまないね」
「いえ、予定時刻よりは前ですの、で……?」
「どうかしたのかい、ベティ?」
「え、……っと。キール様、なのですよ、ね?」
ベティが問い掛けるのは、シンプルなダークグレーのスーツを身に纏った、薄茶色の髪の毛を持った男性。
背は高く、顔立ちもとても整っているのだが、何故だか印象は薄い。
そんな人物は、榛色の瞳に悪戯めいた光を乗せ、小さく首を傾げた。肩近くまである真っ直ぐな髪の毛が、さらりと揺れる。
「ふふ。驚いたかい?」
「…………はい、とても」
耳に心地よい声は、いつものキールの声だ。真っ直ぐベティを見つめる榛色の瞳も、いつものものだ。
それなのに。
化粧が施されていない顔と、髪の毛、そして服装が違うから。
全くの別人のようだった。
「その、髪の毛は……?」
「普段はカツラを被っているんだ。あの印象が強いおかげで、監査局の仕事もしやすくってね。思いがけない収穫だったね」
「だからって普通、あそこまでぶっ飛んだ女装はしないと思いますけどね~」
「ふふ。やるならば、徹底しなきゃだから」
にこやかに笑ったキールが懐から取り出した時計を見て、ベティへと手を差し伸べる。
そろそろ、出発しなくてはいけない時間だ。
色々心配なことばかりだけれど、仕事なのだから覚悟を決めるしかない。
黒い手袋に覆われた大きな掌に手を乗せると、思いのほか強い力で握られた。
「それじゃあ、行こうか」
「……はい」
キールの力強い手に導かれ、馬車へと向かう。
見慣れないスーツ姿にドクリ、と強く鳴った心臓を押さえ、ベティはひとつ息を吐いた。




