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熊令嬢は婚活中  作者: 金原 紅
本編
15/25

15.願い

「ふんぬっ!」

「っ、はぁ!!」


 ゼルバがぶっとい腕に見合った勢いで模擬剣を振るうと、ぶぅんと空気を切り裂く物騒な音が響く。

 当たれば確実に骨折以上の怪我になるであろうその斬撃を、動きにくいはずのドレス姿で避けたキールはそのまま素早い動きで反撃を行う。

 剛と柔。正反対な剣を使う二人は、もう大分長いこと熾烈な戦いを繰り広げていた。


 そんな二人の周囲には、この演習場に居合わせた騎士達が集い、熱い声援を送っている。

 それどころか、何処からか二人の戦いの話を聞きつけて来るのか、続々と観戦の騎士が増え続けている状態だ。


 演習場は異常なまでの熱気で盛り上がり続けていた。


「………………どうして、こうなった」


 そんな男たちを観客席から見下ろしたベティは頭を抱え、1時間ほど前を思い出す。




 相変わらず忙しい監査局で、しかしやることがほぼ無いベティはふとした瞬間に満月の夜のワルツを思い出してはフリーズしていた。

 おまけにやたらと察しの良いキールは、そうやってベティが固まっていると即座に隣へとやって来る。そして甘い視線や言葉を送り、そっと手を握ったりするのだ。

 そんなことが続いた結果、同じ部屋に居るミハエラがキレた。

 それはもう素晴らしい笑顔で、しかし口元を怒りに引き攣らせてキールとベティを執務室から追い出したのだ。


「役立たずと、砂糖を量産するだけの色ボケは邪魔です。僕の仕事が片付くまで戻ってくんな!」

「ヴェリテ殿…… !?」

「すまないね、ヴェリテ。お前の仕事が落ち着くまで、しばらく空けるよ」

「キール様!?」


 すごい勢いで扉を閉めたミハエラに、しかしキールは笑うだけだ。暴挙ともいえるこの行いを咎める様子もない。

 どういうことだ、とキールを見上げるが柔らかな笑みを向けられるだけだった。


「キール様、よろしいのですか?」

「うん。とりあえず、少し離れようか。ここで話していると多分……」


 ガツッ、と何かが執務室の扉に投げつけられた音がした。

 ぎょっとするベティを促し、キールは歩き出す。


「やっぱりヴェリテに怒られてしまったね」

「怒られた、というより八つ当たりのような気がしますが……」

「ふふ、そうかもね。でも、ヴェリテの仕事は今日が山場だから。その分、私は今日はこうやってベティとの時間が取れるのだけどね」


 榛色の瞳に甘やかな色を乗せ、美しい笑みを向けるキールにベティはまたガチリと固まった。

 監査棟全体は忙しない空気で満ちているのに、この場所だけは甘くしっとりとした空気が流れているような気がする。

 ドクドクと激しく脈打つ心臓に、どうしたら良いか分からない。


 きょろきょろと瞳を彷徨わせるベティに、キールは甘く笑む。

 しかしそれ以上は追撃することはせず、ベティを促して歩き出す。


「そういえば、今日はゼルバ将軍が王都騎士団に来ているらしいね?」

「え……。あ、はい。丁度社交シーズンで王都に来たので、挨拶に伺っているはずです」

「そう。それなら、運が良ければ会えるかな?」

「どうでしょうか……」


 ベティは眉間に微かに皺を寄せ、首を傾げる。

 ゼルバが王宮に来ると聞いてはいるが、特に会う約束はしていないのだ。今どこにいるかも分からない。


 しかし楽しそうな雰囲気のキールは、身に纏った織り模様が美しい藍色のドレスに全く似合わない、王都騎士団の演習場へと真っ直ぐに向かったのだ。

 そして図ったかのようにそこに居たゼルバと、気が付けば激しい模擬戦を繰り広げていたのだった。


 ゼルバと一緒に来ていたジュッツベルク辺境伯領騎士団の面々と話をしていたベティは、なんで二人が模擬戦をすることになったのか分からなかった。

 でもあの剣の勢いから、ゼルバが本気だと言うのだけは良く分かった。

 下手したら、キールを殺しそうな気迫だ。


 セルバの剛剣は受けるだけでも怪我を負いかねない。

 キールはひらり、ひらりとゼルバの剣を避け続け、隙を付いて攻撃へと転じる。

 しかしそんなキールの斬撃もゼルバは躱し、時には防具で受け、即座に反撃を打ち込む。


 重い金属音を幾度も響かせ、時に演習場の地面を抉る。

 永遠に続くとも思われる攻防は、しかし不意に終わりを迎える。


「ふむ……、折れたか」

「ふふ、流石ゼルバ将軍、だね」


 ゼルバの剛腕に耐え切れなかった模擬剣が、地面にたたきつけられた衝撃で真っ二つに折れていた。


 少し息を切らせた様子のキールも、剣を下ろす。

 その様子を見たゼルバは、むっつりとした様子ながらもキールへと声を掛ける。


「殿下も、腕は落ちていない様子ですな」

「幾度がかすってしまったけれどね。何とか、及第点はもらえただろうか?」

「む………………」

「ゼルバ将軍。引き分け以上で及第点、という取り決めだったよね?」


 熊のように厳つい顔をぐぐっと険しくしたゼルバに、しかしキールはにっこりと、美しいが圧力が半端ない笑みを向ける。

 耳に心地よい声も、なんだか圧力がすごい。


「将軍?」

「………………………………本人が、頷くのであれば」


 物凄く渋々、絞り出すようにゼルバが頷く。

 その途端にキールは満足そうな笑みを浮かべた。


「ありがとう。それならば、私はこれで失礼するよ」

「はっ」


 騎士の礼を返すゼルバに、キールは軽く頷くと観客席に居るベティを促し、演習場からさっさと出て行く。


 そして無言のまま、導かれる先は王宮の一角にある庭園の東屋だった。

 騎士団の演習場にほど近い、どちらかというと薬草園のようなこの場所は、夏場の暑い時間にわざわざ訪れる人は居ないようだ。


 人気(ひとけ)のない庭園の東屋に設けらえたベンチに並んで腰掛けた二人の間には、少しの緊張感が漂っていた。

 演習場での最後のやり取りになんだか嫌な予感を感じつつ、ベティは隣のキールを見上げる。


「キール様は、やはりお強いのですね」

「ふふ、ありがとう。今日ほど、鍛えていて良かったと思った日はないよ」

「それは……」


 眉間に薄っすらと皺を寄せたベティの手を、キールがそっと握る。

 そして青色の瞳を真っ直ぐ見つめ、真剣な声で語り掛ける。


「ゼルバ殿にも認めて貰ったんだ。だから、私とのことを、考えてくれないだろうか」

「キール様、とのこと……」

「うん。この姿では格好がつかないけれど。私は、ベティのことが好きだよ」

「っ………………」


 初めて明確に言葉で告げられ、かぁっと頬に血が昇る。絶対、顔が真っ赤になっている。

 恥ずかしさに顔を俯けようとするが、キールの手がそっと頬に添えられ、それも許されなかった。


 うろうろと視線を彷徨わせるが、じっと向けられる視線に観念する。

 そうっと、とろりと甘やかな色が乗った榛色の瞳と向き合う。


「ベティ」

「う…………、はぃ……」

「そんなに、私の想いは困るものかい?」

「いえ! そうでは、なくて……」

「うん」


 優しく言葉を待ってくれるキールに、ひとつ深呼吸をする。

 混乱と、戸惑いで纏まらない思考を落ち着かせる。


「その…………。キール様は、やはり、王子様、なので」

「うん?」

「私なんかが釣り合うお相手ではないですし、護衛対象にそのような感情を抱くのは、騎士として失格なので。そのようなことは、考えないようにしていた、のです……」


 あの夕陽に染まる執務室でハーブティーを飲んだ日。いや、それよりも前から。

 キールの言葉や美しい笑みに胸が高鳴るたび、そうやって自分に言い聞かせていた。


 いくら婿を探しに来たといっても、王子を相手に選ぶなんて出来るわけもない。

 それに、キールは女装しているのだ。きっと、自分なんか対象になり得ない。

 そう思っていた。


 それなのに。

 この麗しい人がベティのことを好きだなんて。

 未だに信じられなかった。


 輝くような金色の髪の毛を縦巻きロールに整え、藍色のドレスに身を包んだキールを真っ直ぐに見つめる。


「どうしたら良いのか、分からないのです……」

「…………そう。ベティ、私の気持ちは、迷惑?」

「いえ! そんなことは、決して!」

「ふふ、よかった。それならばどうか、私が王子だから、と切り捨てないで欲しい。私との未来を、少しで良いから考えて欲しいんだ」


 真っ直ぐ見つめる榛色の瞳に、飲み込まれそうだ。

 はくはく、と息を呑むベティに、キールは優しい笑みを向ける。


「答えは今すぐでなくていい。急がなくていいから、考えて欲しい」

「………………はい」


 (こいねが)うような声に、断ることなどできない。

 しっかりと頷くと、キールは花開くように美しく笑う。


「ありがとう。ふふ、私は領地運営も得意だから、お買い得だと思うよ?」

「っ!? キール様では、むしろ我が領地の方が役不足です……」


 戯けたようにそう言うキールに、ベティはへにゃりと笑うのだった。




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