13.夕暮れのハーブティー
演習場から戻り、夕暮れに紅く染まる執務室でベティは眉間に皺を寄せて考え込んでいた。
ベルンドルフの言葉を信じるならば、キールはかなり強引に、ベティを自身の近衛騎士にしたという。
初めて顔を合わせた際に、キールは同室に置くならばむさ苦しい男よりはとベティを選んだと言っていた。正直その説明もイマイチ本当とは思えなかったが、結局は全くの嘘だったようだ。
しかし、ベティは戦うこと以外ほぼ役に立たないのだ。前線以外に置く意味がない。
これまでの仕事を考えると、無理を通してまでベティをキール付として引っ張る理由が分からない。
無意識のうちに低く唸り声すら上げていたベティの耳に、くすくすと耳に心地良い笑い声が聞こえてきた。
「っ、キール様。失礼しました」
「構わないよ。今日の仕事はもう終わっているからね」
「そう、でしたか……。では、部屋へ戻られますか?」
「そうだね……。折角だから、少しお茶にしないかい?」
「はぁ……」
折角、とは何だろうか。
首を傾げるベティに、しかしキールは麗しい笑みを向けるばかりだった。
ミハエラは今日一日、外での仕事で不在なのだ。おかげでキールにツッコミ出来る人は居ない。
とりあえず、ベティはお茶の用意を進める。
仕事終わりだから、リフレッシュ効果があると先日のお茶会で仲良く(?)なったご令嬢にオススメされたハーブティーを淹れてみた。
オレンジの香りがするそのお茶は、ハーブティーに馴染みのないベティにも飲みやすそうだ。
「ありがとう、ベティ」
「いえ。オレンジピールティー、というハーブティーです。お口に合うでしょうか」
「うん、仄かにオレンジの風味もして美味しいね」
にっこりと微笑むキールは、どこかご機嫌だ。
首を傾げつつ、ベティもお茶を口にする。
「それでベティは、何をそんなに悩んでいたんだい?」
「っ、キール様。何故……?」
「ふふ。演習場から戻ってずっと眉間に皺が寄っていたから。あちらで何かあったのかい?」
「…………」
ぐぐっと眉間に皺を寄せ、ベティは悩む。
ベティには分からなくても、キールには何か深い考えがあるのかもしれない。
告げられていない、ということはベティが知る必要がないことなのかもしれない。聞いてはいけないことなのかもしれない。
でも。
知っていることで対処できることもある。
キールの狙いが分かることで、今後のベティが取るべき行動が変わるかもしれない。
それに何より、悩んだところで分かりはしないのだ。
知る必要がないことであれば、きっとキールはそう言うだろう。
それならば、思い切って聞いてしまった方がすっきりする。
自身の中で結論を出したベティは、真っ直ぐキールの榛色の瞳を見据えて口を開く。
「演習場でベルンドルフ団長より、キール様が無理を通して、私を自身の近衛にしたと聞きました」
「……そう」
「はい。それで…………。無理を通してまで私を選ぶ理由が、分かりません」
はっきりと聞くベティに、キールは少し困った様な笑みを浮かべた。
綺麗に整えられた金色の髪が、夕陽に紅く染まる。
「以前言った、むさ苦しい男よりも君が良かった、という理由では納得しないのだろうね」
「はい。私は剣を握る以外には能がありません。女騎士が良いとしても、私を選ぶ利点はないでしょう」
「こんな美味しく紅茶を淹れてくれるのだから、そんなことはないよ」
「キール様」
はぐらかすような気配を感じて強く名前を呼ぶと、キールは小さく笑みを零して目を伏せた。
一口お茶を口にすると、小さく息を吐く。
「そうだね。折角ベティが真っ直ぐ聞いてくれたんだからね。誤魔化すのは止めよう。……以前、私がジュッツベルク辺境伯領へ監査に行ったことがある、という話をしただろう?」
「はい。領都といくつかの村を訪問した、と」
「うん。その時にね、実はベティのことを見ているんだ」
「どこで、でしょうか?」
全く身に覚えのないことに目を丸くする。
くすり、と笑いを零したキールは説明を続ける。
「私が一方的に見ただけだからベティは知らないと思うよ。村の子どもたちと、仲良く笑っていたよ」
「子どもたちと……」
「森に出た魔獣を退治しに来てくれた、と村人たちは言っていたかな」
ジュッツベルク辺境伯領騎士団の一員として、魔獣退治のため領内の小さな村に赴く事はよくあった。
そして討伐報告のために村に訪れ、村人たちと交流することも度々ある。そのタイミングだったのだろうか。
身分を隠していたとしても、これだけ美々しいキールが居たら記憶に残りそうなものなのだが、一切心当たりがない。
眉間に皺を寄せて記憶を遡っていると、きしりとソファーの隣が沈む。
何故か、つい先ほどまでいつもの一人掛けのソファーに座っていたキールが、隣に移動して来ていた。
「キール様?」
「村人や子どもたちと分け隔てなく笑うベティに、目が釘付けになったんだ。身分なども関係ない暖かなその表情に、どうしようもなく惹かれた」
「っ……!?」
「君は強く、格好良く、そして途方もなく優しい」
ベティへと手を伸ばしたキールが、そっと左の目尻に触れる。
そこは、額から走る大きな傷跡が残っている場所だ。
優しく傷痕をなぞり、キールはどこか艶の滲む笑みを浮かべた。
「好ましいと思った女性が、手の届くところに来るというのだ。自分の手元に置くのは、当然だろう?」
「ぅ、えぇ……!?」
「ふふ、ベティの顔が真っ赤だ」
するり、と頬を撫でた大きな掌が首筋から腕を辿り、手を取る。
そして艶麗な笑みを浮かべたキールは、ベティの指先に口付けを落とす。
「っ!!??」
「私の女装はね、王位争いを避けるためにしているだけなんだ。女性に成りたいわけでも、男が好きというわけでもないよ」
「……!?」
美しいドレス姿なのに、キールは男らしい色香を滲ませている。
その言葉も。
行動も。
表情も。
全て、知らないことばかりだ。
もう、全く頭がついて来なかった。
顔を真っ赤にして、何も言葉を発することも出来ない。
「少し落ち着いてから、部屋に戻ろうか」
手を取ったままだったベティの指先を撫で、キールは満足気な笑みを零すのだった。




