10.お茶会とドレス
「はぁぁ! たぁっ!」
「っ、ふ!」
上段から振り下ろされるヴィドの剣を最低限の動きで避け、懐へと潜り込む。
ベティのその動きを察知したヴィドが太い腕の筋肉にものを言わせて剣の動きを無理やり変えようとするのに構わず、素早く剣を彼の首筋へと突き付けた。
「…………参った」
「ありがとうございました」
悔し気に告げられる降参の言葉に、剣を引いたベティは軽く頭を下げる。
今日もキールが執務棟で会議、ということで王都騎士団の演習場へ訓練をしに来ているのだ。
これまでも既に数回演習場へと足を運んでいたが、未だに第一部隊の者たちからは嫌味を言われ、遠巻きにされることが多い。
だからヴィドが居る日は、彼と手合わせをすることが多かった。
一通り手合わせをしたベティたちは水分補給のために演習場の端へ寄る。
適度な休憩や水分補給はとても大切だ。演習場に用意されている樽から水を汲み、喉を潤す。
「未だにベティ殿には敵わないな……」
「ヴィド殿は打ち合いになると、少々攻撃が単調になりがちだな。そこから攻撃の糸口を掴みやすい」
「ぬぬ……。どうも俺は考えながら戦うのが苦手だからなぁ」
わしゃり、と薄茶の短髪を掻いたヴィドはため息を吐く。
ヴィドはサッパリとした付き合いやすい性格だが、いささか単純だ。それが戦い方にも出ている。
ベティも頭を使うことは苦手なのでヴィドと同類ではある。
コップに残った水を飲み干し、言葉を捻り出す。
「私も細かく考えて戦うことは苦手だ。ただ父上からは、どんな時でも相手の観察を忘れるな、と叩きこまれている」
「そうか、ゼルバ将軍が……!」
「あ、ああ。そうだな」
何とか絞り出した助言に、ヴィドの緑色の瞳がきらきらと輝き出す。
やってしまった……。
ベティは顔を引き攣らせ、とりあえず頷く。
ヴィド相手に、迂闊に父の話を出してはダメだ。きっとゼルバを称賛する話が続く。
そう覚悟をしたベティだったが、今日は少し違った。
ふと何かを思い出した様子で手を打ったヴィドが、懐から一通の書状を取り出したのだ。
「そうだ、忘れるところだった。もし次にベティ殿に会えたら、と思って持ち歩いていたんだ!」
「これは?」
「毎年、この時期に開かれる若者向けのお茶会の報せだ。俺も一応貴族の端くれだから招待されているんだが、ベティ殿もどうかな?」
そう言いながら手渡されたのは、今度の週末に開かれるお茶会の案内だ。
とある貴族の屋敷の庭を大々的に開放して開かれるもので、若者向けのガーデンパーティーの様だ。
堅苦しいものではなさそうだが、パーティーへの同行を誘われている、ということだろうか。
驚きと、少しの期待でドキドキする胸を落ち着かせ、ヴィドを見上げる。
「私も一緒に参加して欲しい、と?」
「ああ! こういう場はなかなか苦手でな。知り合いが居れば身の置き所がなくて困る、ということもないだろう?」
「…………そうだな」
残念ながら、パートナーとして誘われたわけではないらしい。
すん、と表情が消えるのを自覚しつつ、ベティはとりあえず案内を受け取る。
ヴィドらしいと言えばそうなのかもしれないが、婚活中の貴族令嬢としては非常に悲しい。
貰った案内の紙を適当に懐に仕舞い、さっさと訓練を切り上げた。なんかもう訓練する気分ではなかったのだ。
おかげでキールが会議を終わるまでしばらく待つことになったが、とりあえず表情を戻すことは出来た。
少しだけキールに不思議そうに首を傾げられつつも、一緒に執務室まで戻る。
「おかえりなさぁい。爺どもの承認下りました?」
「じじい……」
「王や宰相だね。横槍を入れられそうになったけど、押し通したよ」
「さっすが、キール様! じゃあ夏の監査は決定ですね」
「そうだね。地方監査部への通達を頼むよ」
「りょうか~い」
執務室に戻るなり投げられたミハエラの言葉に首を傾げていると、キールが苦笑しつつ教えてくれた。
国王や宰相、という国の最上層部のことを爺呼ばわりとは、ギョッとする。いくら他に人が居ないとはいえ、無茶苦茶だ。
しかしそんなベティには気にすることもないミハエラはさくさくと話を進め、ソファーへどっかりと座る。
確かに、お茶に丁度良い時間ではある。
ちらり、とキールを伺えば困った様に笑いつつも頷く。キールもお茶にするらしい。
小さく頭を下げてお茶の準備に取り掛かるベティの騎士服から、ひらりと1枚の紙が落ちた。
「ん~、お茶会の案内?」
「っ、ヴェリテ殿、返して頂きたい」
「えええ~」
遠慮なく中身を見たミハエラに、慌てて返却を求めるが、ニヤニヤと笑う彼は簡単には返してくれなそうだ。
眉間に皺を寄せて睨むが、全く効き目もない。
そんなベティたちを見ていたキールは、今日も金色に輝く縦巻きロールの髪の毛を揺らして小さく首を傾げる。
先程まで国王との会議だったらしいのに、相変わらずのドレス姿だ。一応今日のドレスは艶やかな紺色の生地が美しい、落ち着いたものではあるが。
「演習場で貰ったのかい?」
「はい。よく訓練の相手をしてくれる第二部隊の騎士から、誘われました」
「へぇ、第二の騎士」
頷くキールの笑みが、なんだか怖い。
無言のまま固まっていると、ニヤニヤと笑い続けているミハエラが口を開く。
「お茶会に行くってなるとさ、アンタはどんなドレス着るの?」
「……とりあえず、流行の型のものを」
「うっそ。似合わなそう!!」
「………………いい加減、本気で絞めようか?」
「ごめんなさい」
ケラケラと笑うミハエラを、地を這うような低い声で脅せばノータイムで謝罪が返って来た。
流石に本気の殺気を籠めた睨みには、びくりと身を震わせていた。
「はぁ……ヴェリテ、本当にいい加減にしなさい。ベティ、不快な思いをさせて申し訳ない」
「いえ、キール様のせいではないですから」
「すまないね。ヴェリテは後で少し、お話をしようか」
「っ、キール様のお説教は勘弁!」
「逃げたらダメだよ?」
「………………はい」
何だか迫力のある笑みを浮かべたキールに、ミハエラは観念したように頷く。
すごく怯えた様子のミハエラが、意外だった。
驚いて優雅にソファーに腰掛けるキールを見ていると、柔らかな微笑みを向けられた。
「そういえばベティ」
「はい、何でしょうか?」
「ふふ、そんなに身構えないで。お茶会に着ていくドレスのことだけれど、いっそ騎士服の盛装で行ってはどうだい?」
「騎士服、ですか?」
「そう。先日ベティのドレス姿を見たけれど、サイズとか体に合っていなかった様だし、今から仕立てるのには時間が足らないだろう?」
にっこりと美麗な笑みを浮かべたキールが頷く。
近衛騎士の盛装は、白を基調としつつ金の装飾が随所に施された騎士服だ。さらに左肩にだけ掛けた真白なマントを、金色の飾り紐で固定する。
勇壮で美麗な衣装なのだ。
確かに、あの服装ならばお茶会でも見栄えがするだろう。
「しかし、業務の場ではないのに騎士服を着るのは問題があるのでは?」
「社交の場に騎士服を着ていく者は多いから、大丈夫だよ」
「そう、でしょうか?」
「そうだよ」
なんだかキールは、有無を言わせないような笑みを浮かべている。
ちらり、とミハエラを見るとちょっと引いたような顔をしながらも、ベティに頷くよう必死にアピールしていた。
いつもと違う、穏やかじゃない空気に顔を引き攣らせつつ、ベティは頷くのだった。
§ § § § §
そして週が明けたとある日。
キールが少し席を外しているタイミングで、こっそりとミハエラが寄って来る。
「ねぇ、この前誘われたって言ってたお茶会、ちゃんと騎士服着てった?」
「ああ。キール様の仰ることもごもっともだったからな」
わざわざ確認されることに首を傾げつつも答えると、ミハエラが安堵の息を漏らした。
そんなに、お茶会でのベティの服装が心配だったのだろうか……。
眉間に皺を寄せてミハエラを見ていると、ニヤリと嫌な笑みを向けられる。
「それで、首尾はどうだったの?」
「………………」
思い出すのは、カラフルなドレスの波と、黄色い声。
近衛騎士の盛装は、お茶会の場でとても目立ったのだ。
「……色々な方に、声を掛けて頂くことは出来たな」
「へぇ、モノ好きな人が随分居たんだね」
ミハエラは、意外そうに感心している。
しかし、先日のお茶会を思い出しているベティはひたすら渋い顔をしていた。
「物好き、というより珍しかったのだろうな。ご令嬢方に囲まれてしまって、お茶会は終わったよ」
「ははは、そっちか!」
「そっちって…………」
「ま、ドンマイ」
ケラケラ笑いながらミハエラは自席へと戻っていく。
もう興味は無くなったらしい。
相変わらず自分勝手なミハエラに、ベティは盛大なため息を吐く。
だから、そのため息の間に落とされた小さなミハエラの呟きは、ベティに聞こえていなかったのだった。
「キール様、やっぱりこれ狙ってたな……」




