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熊令嬢は婚活中  作者: 金原 紅
本編
1/25

1.19連敗目の決意

「申し訳ないが、この縁談はなしはなかったことにして頂きたい」

「断る、ということですか……」


 春の柔らかな光が差し込むサロンで向かい合って座る青年へ、ベティは青い瞳を向ける。

 姿勢を正した途端にキシリ、とドレスの肩回りが軋んだ。やはり、既製品は体形に合わない。


 きついドレスに思わず視線が鋭くなると、向かいの青年がびくりと体を震わせた。心なしか、顔色も青白くなっている気がする。


「ひっ……。も、申し訳ないが、私では力不足だ。貴女にはきっと、もっと相応しい方が居るはずだ」

「そんなことは」

「あるのです! と、とにかく、この件はなかったことでお願いする」

「え…………」


 そう言い募ると、青年はそそくさと逃げるように去って行く。

 テーブルに用意された紅茶に手を付けることもなく、あっという間だった。


 この3日間、彼との縁談を成功させるために窮屈なドレスに身を包み、苦手な化粧も頑張った。

 日課の鍛錬は全て諦め、青年にベティ自身とこの辺境伯領を売り込むことに費やした。


 しかし、その努力をしても結局はダメだった。

 ここ最近では頻繁に聞く羽目になっているお断りの言葉に、深い深いため息を吐く。


「19連敗目……」


 呻いてテーブルへ伏せたベティの背中で、バツンとぼたんが弾け飛んだ。




   § § § § §




 窮屈なドレスから着慣れたジュッツベルク辺境伯領騎士団の騎士服に着替え、ベティは足取り重く屋敷の居間へと向かう。

 多分、両親が報告を聞くために待っているはずだ。


 不甲斐ない結果に丸くなりそうな背筋を伸ばし、一つ息を吐く。


「父上、母上」

「うむ」

「ベティちゃん、先程お相手は帰って行かれたようだけど……?」

「はい。…………今回もお断りをされました。申し訳ございません」


 簡潔に結果を報告して頭を下げる。

 19回目になるこの報告に、しかし両親は落胆を見せることはなかった。


「そうか。縁がなかったものは仕方なかろう」

「そうね、焦る必要はないわ。ベティちゃんは、まだ運命の人と出会えていないだけよ」


 そう言って40歳を過ぎたのに未だ少女のように可愛らしい母シェイラは、ゴツくて厳つい父ゼルバの腕にするりと手を絡ませる。

 美女と野獣夫妻、と影で言われることもあるこの両親は相変わらず仲が良い。しかし、娘の前でいちゃつくのはやめて欲しい。


 ぐぐっ、と眉間に皺が寄ってしまうのを意識して戻す。


「しかし、私ももう21歳です。早く婿を迎えるべきでしょう」

「そう、ねぇ」

「そんなことはなかろう。まだ我々は現役だ。ベティを悲しませるような軟弱者など、迎える必要などない」

「父上……」


 不機嫌そうに断じるゼルバは、国中の騎士が畏れ、尊敬する猛将なのだが、妻子を溺愛しすぎている。言うことがメチャクチャだ。


 21歳になって婚約者すら居ないベティは、貴族の子女としては間違いなく異常だ。

 縁談の失敗は大問題だった。




 ジュッツベルク辺境伯領は魔獣が多く出没する厳しい土地だが、国の要所であり、近頃は特産品の売り出しにも色々と成功している。

 その辺境伯家の一人娘であるベティは、普通の令嬢であればこんなに婿探しに苦労することはなかったであろう。

 しかし、残念ながらベティは一般的な貴族令嬢とは違った。


 可愛らしく頭の良いシェイラではなく、ゴツくて厳ついゼルバの遺伝子と才能をばっちり引き継いでしまった。

 さらに幼少期から国で一番過酷と言われるジュッツベルク辺境伯領騎士団に身を置き、国で一番の猛者であるゼルバの惜しみない愛情と容赦ない特訓を受けて育って来た。


 おかげで鍛えた筋肉がよく付いたガッシリした立派な体躯となり、身長も成人男性の平均身長並みに成長した。瞳は唯一母親譲りの澄んだ青色なのだが常に眼光鋭く、威圧感が半端ない。

 おまけに5年程前の魔獣退治の際に負った傷痕が、額から左の目尻にかけて大きく残ってしまっている。


 どう見ても、貴族令嬢ではなく歴戦の猛者だった。


 お上品な貴族子弟からは名前をもじって、ベア令嬢とも揶揄され、敬遠されがちなのだ。

 しかし、ベティは父によく似て脳筋だった。

 だからどうしても、領地経営が出来る文官タイプの婿が必要だったのだ。


 持ち込まれる縁談の中から、政治的能力に長けた人を選んでお見合いをしてきたが、皆ベティの見た目やジュッツベルク辺境伯領の危険さ、ゼルバの威圧感に尻尾を巻いて逃げ出してしまう。


 持ち込まれる縁談の数も少なくなっており、このまま待っているだけでは手遅れになりかねない。

 だからベティはここの所ずっと考えていたことを両親へ告げる。




「王都へ、行こうと思います」

「………………何故なにゆえだ」


 ダァン、と居間のテーブルに勢いよくゼルバの拳が振り下ろされる。

 重厚な作りの木製テーブルなのだが、拳型にクレーターが出来ていた。


 それを見て、隣のシェイラが笑顔でキレているが、ゼルバは気付いていなかった。

 きっと後で、夫婦の会話(おせっきょう)が行われるだろう。


 そっと視線を反らしつつ、ベティは言葉を紡ぐ。


「もう、縁談も少なくなってきています。手遅れになる前に、私が自ら探しに行くべき、と考えたのです」

「だが、わざわざ王都まで行かずとも、騎士団の者たちでも……」

「皆、書類を溜め込んでしまうではないですか!」


 ダン、とベティもテーブルに勢いよく手をつく。

 ベティの掌の下から亀裂が走り、シェイラの笑顔がさらに引き攣っていた。


 しかしそんなことには気付かなかったベティは、淡々と言い募る。


「以前父上は、この平和な時代の領地運営は書類仕事がほぼ全て、と仰っていたではありませんか。私も、書類仕事は得意ではありません。騎士団の者たちでは、あっという間に執務室が書類で埋まることは目に見えています」

「う、うむ……」

「それに、以前執政官たちに、どうか領政を執り仕切れる方を、と泣かれました……」

「う、うむ…………」

「そうね。ジュッツベルク領の執政官たちは街で採用した子ばかりで、貴族の子はいないものね。ベティちゃんの旦那さんになってくれる子が居るのなら、何とでもするけれど……」

シェイラ様(母上)娘婿むすこになるなど畏れ多い、と皆に泣いて断られました……」

「あらぁ……」


 執政官たちはシェイラが見出し、育て上げた者たちだった。脳筋なゼルバに代わって領政を執り仕切るシェイラは頼もしく、そして恐ろしい存在なのだ。

 尊敬しているし、慕ってもいるが、婿入りは御免らしい。


 ベティ自身を厭われたわけではないのだが、結構悲しい。


 おっとりと頬に手を当てて困った様子で笑ったシェイラは、一つ頷くとあっさり話の方向を変える。


「そうね。それなら、ベティちゃんが自分で運命の人を探しに行くのが一番だわ!」

「シェイラ……」

「ね、あなた。ベティちゃんを信じて、応援しましょう?」

「う、うむ……」


 ゼルバのぶっとい腕に繊手を掛け、小首を傾げたシェイラが見上げる。

 美しい青玉のような瞳は、まっすぐとゼルバの目を見つめ、可愛らしくねだっている様子だ。


「母上……」


 ベティのことを応援してくれての行動ではあるが、色々と誤魔化そうとしているし、娘の前でやる戦法ではない。

 思わず引き攣った声が漏れてしまう。


 しかし、妻を溺愛しているゼルバにはとても効果的だった。

 熊のような厳ついゼルバの顔が、見る間にへにゃへにゃになっている。


「そうだな。シェイラの言う通りかもしれぬな」

「父上……」


 ちょろい父親にちょっとため息が出る。

 しかし認めて貰えるのならば何も言うまい。


 ゼルバから鋭い眼差しを向けられ、ベティも背筋を伸ばす。


「ベティ、其方の王都行きを認めよう」

「ベティちゃん。運命の人を見つけたら、わたくしのように、何が何でも手に入れて来るのですよ」

「…………はい、ありがとうございます」


 ニコニコとアドバイスをくれる母の逸話を思い出し、少し顔が引き攣りそうになる。

 この美女と野獣夫婦が成立するまで、かなり無茶苦茶な伝説が多数あるのだ。


 そんな部分は見習いたくない、と思いつつ手早く各種準備を整え。

 僅か数週間後には、ベティは王都の騎士団に所属していた。



 そして収まりの悪い灰色の癖毛を一つに括り、まだ着慣れない王都騎士団の近衛部隊を示す白い騎士服に袖を通す。

 普通の部隊を希望していたのに、まさかの近衛部隊配属だ。


 先行きに不安を抱きつつ、配属先として教えられた執務室の扉を叩く。


「失礼致します。本日より配属となりました、ベティ・ジュッツベルグです」

「どうぞ、入って」



 耳に心地良い低音の声に従って入った執務室。

 そこで美麗な笑顔でもってベティを迎えたのはーー。



「ようこそ。私がキール・ジュスト・カルティネロ。歓迎するよ」





 金色の髪の毛を綺麗な縦巻きロールに整え、美しい瑠璃色のドレスを纏った男だった。





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