<君に願う>
ディナト帝国の西の森にあるスィンヴォレオ王国は屑の住む国だ。
この大陸一帯で若い娘を攫ったり騙したりして悪霊の生贄に捧げていた邪教団の信者達が、帝国軍に追われて森へ逃げ込んで造った国なのである。
今も自国の娘を巫女と称して生贄に捧げていると聞く。しかもそれだけでは飽き足らず、悪霊が彼らの国境に結界を張って他国の民を入れなくしているのをいいことに、他国へ出張って犯罪を犯してはスィンヴォレオ王国に逃げ帰っている。
ディナト帝国の皇太子ディアヴォロスは、そんなスィンヴォレオ王国から来て帝国内で犯罪を犯した悪党どもを追って森に入り、メディと会った。
最初は、悪霊か邪教団の信者に操られた死体かと思った。
彼女は骨と皮だけの骸骨のような姿だったのだ。どうやら悪霊に生贄として捧げられた巫女のひとりだったらしい。
悪党どもがスィンヴォレオ王国に逃げ込む前に捕まえて帝国へ戻る際、ディアヴォロスはメディも連れて帰った。
役立たずの巫女は祖国に必要ないのです、と彼女は言った。森に捨て置かれたので構わないとも言われたが、ディアヴォロスにはできなかった。
一心に祖国の元婚約者の幸せを願うメディに、彼女が巫女という名の生贄であるという事実はまだ告げていない。
生贄に選ばれるほどだから、メディは強い霊力を持っていた。
信教の自由を認めた帝国で最も強い勢力を誇る精霊ネライダを信仰する教団の聖王が彼女の霊力に惚れ込み、改宗を強要しないと誓って引き取った。
ディアヴォロスがネライダの神殿を訪れるごとに、メディは変わっていく。
「ディアヴォロス殿下」
忌まわしいことに、メディの元婚約者であるスィンヴォレオ王国の王太子はディアヴォロスと同じ名前だった。
ディアヴォロスとは悪霊よりも強い悪魔を意味する。
悪霊の蔓延るこの大陸では珍しい名前ではない。悪霊に対抗するためにそういう名前を付けるものなのだ。
「息災か、メディ」
「はい。とても幸せに暮らしています。ディアヴォロス殿下のおかげです」
悪霊に霊力を食らわれることがなくなった彼女は、普通の年ごろの娘のように肉がついてきた。過剰ではなく、ほど良い抱き締めたくなるようなふくよかさだ。
元々の顔立ちも良かったようで、今では見惚れるくらい美しい。
おまけにいつも強い霊力に惹かれたネライダの眷属精霊達に取り囲まれているので光り輝いている。ディアヴォロスと共に森で彼女を見つけた部下達の多くが好意を持つのも無理はない。
メディは今も元婚約者の幸せを願っている。それと同時に祖国と家族のことも、自分から元婚約者を奪った妹の幸せまでも願っている。
ディナト帝国に来たことで、彼女は帝国の幸せも願うようになった。もちろん世話になっているネライダ教団の幸せも、ディアヴォロスの幸せもだ。
私は欲張りですね、と笑う彼女は自分の幸せだけは願わない。今も役立たずの巫女だったと自分を責め続けているのだ。むしろこうして幸せに暮らしていることに罪悪感まで覚えているらしい。
ディアヴォロスが彼女に便宜を図ったのは、あの森でスィンヴォレオ王国の悪党どもの反撃を食らって負傷していたのを助けてもらった礼だ。
メディはディアヴォロスと部下達に悪霊か動く死体だと勘違いされて罵られながらも、必死で治療を申し出てくれた。閉じ込められていた神殿で純粋培養されたせいもあるだろうが、基本的に天性のお人好しなのだろう。
ディアヴォロスが今も足繁く彼女の元へ通っているのは礼のためではない。彼自身がそれを望んでいるからだった。
「……ディアヴォロス殿下?」
「あ、いや、なんでもない」
どうやら無言で凝視していたようだ。
怪訝そうに見つめていたメディは、ディアヴォロスが反応すると、ホッとしたように微笑んだ。
その笑顔を見ながら、ディアヴォロスは思う。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
俺はメディに愛されたい。彼女の唇が『ディアヴォロス』と紡ぐとき、心にあるのは自分だけでありたい。
いや、たとえ彼女が俺以外を愛したとしても幸せでいてくれればいい。どうかずっと笑顔でいてくれ、愛しい愛しいメディ。
ああ、この願いが叶うなら──




