016 幼馴染
翌日、清香は自分のアパートの前に立っていた。午前中の家政婦の仕事を終えて、午後は時間が空いたのでさっそく部屋を片付けにきたのだ。片づけに来たけれど、1Rのオンボロアパートの室内に入って哀愁を感じた。
築50年の木造二階建てのアパートは、隣の人の声もよく聞こえるし防犯上も心許ない。でも、自分にとってはこの部屋での暮らしが快適で大切な空間だった。ずっとここで暮らしていくのだと思っていたのに……。暮らし始めて、一年ちょっとで引っ越すことになるなんて予想外だ。
アレースから持ってきた旅行カバンの中に、残っていた衣服を詰めていく。荷物を詰めながら、自分の持ち物の少なさを実感する。清香の実家は福岡なのだが、東京に引っ越して来る時は特になにも持たせてもらえなかった。
父親の反対を押し切っての、東京への大学進学だったので自分だけでやってみろと言われたのだ。お前になんかできる訳ないと、追い出されるように出て来たことを思い出す。
「帰りたくない一心で、よく一人で出てきたよな……」
清香の独り言がポツリと零れる。高校三年間のアルバイトで、こっそり貯めたお金は80万円。母親が何とか都合をつけてくれた20万と足して東京での資金にした。
そのお金は、大学受験の費用と東京への交通費と家が決まるまでの宿代。それと、アパートが決まって、必要最低限の家電と小物、大学の教科書を買った。
今はオンラインで簡単に契約できるし、敷金礼金がないところも多いので何とかそのお金で賄うことができた。何をするのも一人で凄く心細かったけれど、この部屋に落ちつけた時は本当にホッとした。東京という場所で、一人でやっていけることが証明されたように感じ、自分が誇らしかった。
一人でいることが怖いと思ったら負けだと思ったし、できるだけ不安を感じることは考えないできた。「きっと、なんとかなる」が自分の中での合言葉だった。
服を詰め込むと、残ったのは大学の教科書と参考書や勉強道具。少ない食器や調理器具、折り畳みの小さなテーブルと細々とした小物。自分で運べそうもないものは、家電と布団と自転車だ。
「うーん。いちさんにお金もらったと言えど、できるだけ引っ越し代金抑えたいよね……」
今までの節約が頭から抜けない清香は、何とか自分でできないだろうかと考えるけれど良い案が思いつかない……。
うーんうーんと考えこんでいたら、ピンポーンとインターホンが鳴った。誰か来たのか思い当たる節がなく、音を立てないように玄関まで行って除き穴をそっと覗いた。すると、見覚えのある顔だった。
清香は会いたくない人だったので、玄関を開けるかどうしようか迷うが、また来られても面倒なので仕方なくドアを開けた。
「なんだよ、いるんじゃん!」
ドアが開いて、びっくりした顔をしたのは清香の幼馴染である斎藤涼太だった。
「どうしたの? 来るなんて連絡あったっけ?」
清香は、ちょっと煩わしいといった風に聞いた。
「だって清香さ、せっかく夏休みになったって言うのに連絡しても素っ気ない返事ばっかりだし。だから会いに来たんじゃん」
涼太は、悪びれもなく明るい笑顔を零す。彼は、清香のご近所に住む同じ年の幼馴染。幼稚園の頃からずっと同じで、腐れ縁的存在だ。まさか、大学まで同じところになるなんて思ってもいなかった。
涼太に言った覚えはないのに、入学式の時に見つけられて話しかけられた時は、本当に驚いたしちょっと怖くもあった。それというのも、涼太とは両親同士の仲が良く家族ぐるみの付き合いなのだ。うちの家のことも良く知っているし、逆に清香も涼太の家族のことは良く知っている。
涼太は、うちとは違って普通の仲の良い家族だ。昔からとても羨ましくて、憧れていた存在。いつも一緒にいてくれる涼太は、心強い存在だったのに成長するにつれて遠ざけたくなっていた。涼太の存在は、清香には眩しすぎるのだ。
涼太は、明るくて爽やか。鼻筋がシュッと通っていて、切れ長のたれ目は可愛く超絶小顔で格好いい。学校でも中心的存在で、女子からの人気も凄かった。そんな男子が幼馴染だと、辛いことも多い。
「だって、夏休みはバイトで忙しいし。できるだけ稼がないといけないの、涼太も知っているでしょ……」
清香は、できるだけ穏やかに話す。涼太のお節介に煩わしさを感じて嫌になるけれど、涼太は心配して来てくれている。嫌な奴にはなりたくないから、必死で自分の気持ちを押し隠す。
「まだ、おじさん許してくれないのかよ?」
「許すはずないでしょ?」
「まーそうだけど……」
涼太が、小さな声で呟く。もう何度もしたやり取りだ。涼太だって、自分の親から聞いているだろうに……。清香は、本当にやるせない。
「じゃー、今年も福岡に帰らないのか?」
涼太は、気まずそうに訊ねる。
「帰る訳ないじゃん。お金ないし。それに、帰ったらもう二度と戻って来られない」
清香の返事に、涼太はもう何も言わない。彼だって、わかっていることだ。それを、清香に確認するのは、きっとうちの家族から何か言われているのかもしれない。
昔から涼太は、うちの親から監視役を頼まれている節がある。清香が何も言わないから、涼太を通じて学校でのことを教えてもらっているのだ。そんなことも、清香からしたら重くて、この幼馴染からもできれば離れたかった。
「なあ、折角来たんだし、ちょっと上がらせろよ」
涼太が、部屋の中を覗く。荷物の片づけをしていたことを思い出した清香は咄嗟に断る。
「今、散らかっているから無理。時間あるんだったら、夜ご飯でも食べに連れてってよ。涼太のおごりね!」
清香は、無理やりに笑顔を作って笑う。このアパートを引き払うことは、涼太には内緒にしたい。いちさんとの関係も話したことはないし、言ったらきっと親に話されて大変なことになる。そんなの絶対にごめんだ。
「はぁー。まあ、仕方ないな。今日だけ特別だぞ?」
「ラッキー。じゃあ、豪華フランス料理のフルコースとか?」
「アホか。待っているから準備してこい」
「わかった。ありがとう」
清香は、素早く玄関を閉じて自分の部屋に戻っていった。




