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陰キャな私のヒロインみたいな逆ハー生活  作者: 完菜


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015 心配していた曲は……

 星志君宅の、掃除と洗濯が終わるとそろそろお昼の時間だ。次は、奏さんのところに行ってお昼ご飯を用意しなくてはいけない。特に、奏さんから連絡は来ていないけれど……。

 連絡が来ない場合はいつも通りでと言われているので、それに従う。というか、絶対にマメじゃない奏さんのことだから、連絡なんて来ないんじゃないかと思っている。


 手には、先ほど作った卵サンドとスープとサラダの入った籠を持っている。これは、今日の奏さんの昼食になる予定だ。星志君の家の戸締りを確認して玄関を出ると、鍵をかけてからポストに投函する。この作業も面倒になり始めているので、正式に家政婦になれたら絶対に合いカギとして預からせてもらいたい。


 外に出た清香は、続けてお隣の奏さん宅におじゃまする。ここに来てから四日目なのだが、このテラスハウスは見た目が本当にお洒落でハイグレードな佇まいだ。

 玄関前のアプローチも、戸建てのように一軒一軒しっかりとした広さがある。車も止められるようになっていて、それぞれの家に一台ずつ止まっている。清香は、車のことはほとんど知らないけれど、高級車だと言うことだけはわかる。

 三人とも、清香とは住む世界があまりにも違う。いちさんと知り合うことがなければ、こんな高級住宅に足を踏み入れることなんてなかったと思うと、人の縁とは不思議だとつくづく思う。


 奏さん宅の玄関を開ける前に、一応、来ましたと知らせるためのインターホンは鳴らす。でも、特に奏さんからの反応はない。今日はずっと、曲はできたのだろうかとドキドキしている。できていますようにと祈りながら、家の中に入りリビングへと向かった。

 部屋の中は、電気も付いておらずシーンと静まり返っている。手にしていた籠をキッチンに置いてから、奏さんはどこだろう? と二階に上る。一呼吸ついてから、ノックをして反応を待った。

 残念ながら特に反応がない。「清香です。入ります」と大きな声を出してから、扉を開けた。扉を開けて目に入ってきたのは、コピー用紙や本や雑誌、ギターなどが床に散らばっている間をぬって奏さんが倒れている。びっくりした清香は、奏さんに駆け寄って肩をゆすった。


「奏さん! 奏さん!」

「……ん。んー」


 清香が声をかけると、ゴロンと寝転がった。ただ寝ているだけだとわかり心底ホッとする。


「奏さん、こんなところで寝ないで下さい」

「清香?」


 奏さんが、ゆっくりと起き上がって目をこすっている。なんだかもう、初対面の時の印象はどっかにすっ飛んでいる。口数が少なく謎めいた奏さんは、ただの自由人だということを知った。


「大丈夫ですか? 体痛くないです?」

「平気」


 だいぶ覚醒してきたようで、視線が清香と合う。近くですっと見つめられて、清香はちょっとドキドキしてしまう。一歩退いて、奏さんと視線を合わせるために床に座り込んだ。


「どうです? 曲できました?」


 大丈夫だろうか? と聞くのがちょっと怖い。もしかしたら、顔がこわばっていたのかもしれない。


「そんなに怖い顔しなくてもできた。ちゃんと新道さんに送った」

「良かったー」


 清香から、大きな声が出る。ずっと心配していたから、心の底からでた安堵の声だった。


「そんなに心配する?」


 心底、わからないと言った顔で奏さんが問う。


「普通、心配しますよ。できなかったら、新道さん困っちゃうし、奏さんだってお仕事逃しちゃったかもなんですよ?」

「それ、清香に関係ないだろ」


 奏さんの言葉に、清香は口をすぼめる。


「そうですけど! そう言われたら、そうなんですが……。でも、スッキリしないし後味悪いです!」


 清香は、むきになって奏さんに言い返す。


「清香って、お人よしだな」


 呆れたようにポツリと零す。馬鹿にされたと思った清香は、ムッとした顔をした。だけど、そんなのお構いなしに奏さんの手が清香の頭に触れた。


「ありがとう。助かったわ」


 ポンポンと優しく叩かれ、無表情な顔に笑顔が零れた。奏さんの笑顔と手の温かさに、清香の不機嫌な顔も一瞬で吹き飛んでしまう。奏さんの突然の笑顔は心臓に悪い。つい、キュンとしてまった。


「で、今日のご飯は?」


 奏さんが、いつも通りの無表情に戻ったので清香も自分を立て直す。ときめく心を押しやり、平然とした顔を装って返事をする。


「卵サンドとスープにサラダです」

「今日も美味しそう。シャワー浴びるから準備しといて」

「かしこまりました」


 清香は、シャキッと立ち上がって奏さんの仕事部屋を後にする。気のせいだと思い込もうとしていたけど、ここに住む三人は無自覚にドキドキを送り込んでくる。

 今まで、女性に好かれて困っていたみたいだけれど……。家主たちにも問題があるのではと思わずにはいられない。

 清香は、ひたすら自分に言い聞かせる。これは、好意ではなく親切だから勘違いしない。勘違いして、好きになってはいけないと呪文のように唱える。職を失う訳には絶対にいかない。

 一階に戻った清香は、星志宅から持ってきたスープを電子レンジで温める。それと梨を買ってあったので、皮をむいてダイニングテーブルに並べた。


 奏さんがまだ来ないので、ちょっと休憩がてら食事を用意したダイニングテーブルに座らせてもらう。奏さんの家は、ガランッとしていて何もない。唯一、仕事部屋だけは物が多くて雑然としているけれど……。でも、基本的には綺麗好きなのだろう。なので、三軒の中でキッチンを使うのも一番気を遣う。

 ぼんやりしていたら、奏さんが湯気を漂わせてリビングにやってきた。シャワーを浴びたばかりの奏さんは、ほのかな色気を帯びている。格好いい人は、どんな佇まいも絵になるものだ。

 奏さんが来たので、清香は椅子から立ち上がろうとすると止められる。


「いいよ、座ってて」


 清香はありがたく、頭を下げて浮かせていた腰を下ろした。


「これって、星志と同じご飯?」

「はい。星志くんの朝ご飯です。梨は、今剥いたんですけど」

「ふーん」


 髪を拭いていたタオルを首から掛けたまま、奏さんは椅子に座る。まだちょっと髪が濡れていて、雫が落ちている。気づいたら奏さんをまじまじと見てしまっていて、いけないと目を逸らす。なんでか、引き付けるものがあり目で追ってしまう。

 そんな清香の視線を気にすることなく「いただきます」と言うと、奏さんが食べ始める。いつものように会話はなく、もぐもぐと食べている。ずっと見ている訳にもいかないから、外の光が差し込んでいる大きなリビングの窓に目をやった。

 部屋の中は、奏さんが食す音だけが小さく響いている。無言なんだけど、緊張感はなく穏やかな空間だ。

「そうだ」と、奏さんが口を開いたかと思うと、ズボンのポケットからスマホを取り出した。画面を操作して、清香の前にポンと置いた。


「なんですか?」

「できた曲聞く?」


 奏さんは、コップに手をかけてミネラルウォーターを口にする。


「えっ? 聞けるんですか? 聞きたいです!」


 清香は、嬉しくて前のめりになって返事をする。すると、奏さんがスマホ画面を指で押した。ギターの音ともに曲が始まる。長いイントロが終わると、奏さんの声で歌が聞こえた。清香はちょっと驚いて、聞き漏らすまいとスマホの音に集中した。

 エンディングが終わり、室内が静まり返る。清香の胸に、何かとてつもない感情が押し寄せる。派手な曲ではなく静かに歌うバラードは、切なさの中に未来への希望が歌いこまれていた。


「どう?」


 奏さんは、なんでもないことのように聞く。手には梨を持っていて、むしゃむしゃと食べている。


「すっごく、感動しちゃいました。胸がジーンってしちゃいました! 奏さんって凄いですね!」

「おおげさ」


 奏さんは、呆れたような顔をする。


「そんなことないです。『寂しくて悲しい別れだけど、それが嬉しい。これは、明日に繋がる悲しさなんだ』って歌詞が、心に残ります」


 清香の心にずっとある、父親から逃げ出してきた自分。家族の元を離れた寂しさはもちろんある。だけどそれよりも、未来への明るい希望の方が強いのだ。偶然なのだろうけど、自分の気持ちを代弁してくれたような歌詞が心を揺さぶる。


「ドラマがさ。ラストがハッピーエンドじゃないんだよ。でも、それが主人公にとっては幸せみたいな?」

「深いですね!」


 清香は、キラキラした瞳で奏さんを見る。一時はどうなるかと思っていたけれど、こんなに素敵な曲を作る人だなんて一気に好感度が上がる。


「清香が、新道さんに電話してくれたおかげ」


 頬杖をつく奏さんが、ふわりと笑った。真正面でその笑顔を受け止めた清香は、ゆっくりと視線を逸らす。奏さんの笑顔の破壊力に、清香の心音が煩い。目を逸らした先にあった、スマホを見て言葉が勝手に出る。


「もう一回、聞きたいです!」


 奏さんが、もう一度曲を流してくれた。今度は、目をつぶって奏さんの声に集中する。普段の奏さんの声は、感情なんて感じない淡々とした喋り方だ。だけど、歌になるとしっかり感情をのせた声は、それだけで色気がある。

 目をつぶって微笑みながら聞く清香を、奏さんがちょっと恥ずかしそうに見ていた。


 その夜、見事にいちさんからのミッションをやり遂げた清香は、妙な達成感を感じ興奮していた。これは、報告のために、清香から彼に連絡をする必要があると判断してスマホを手に取る。こちらから電話をかけることがないので、ちょっとドキドキする。

 タイミングが悪かったらどうしよう? と考えると、清香からは連絡することができなかった。それに、いちさんがマメに連絡をくれる人だから、する必要がなかったっていうのもある……。

 プルルルーと何度が鳴ったあと、「はい」という声が聞こえた。


『もしもし、いちさん? 今大丈夫ですか?』

『手短にしろ』


 タイミングが悪かったようで、ちょっとイラついているような声だった。清香は、ごめんなさいと心の中で謝りできるだけ手短にと誓う。


『無事に、奏さん、曲を納品できました! 私、正式に家政婦として雇ってもらうってことでいいですか?』

『なんだよ、上手くいったのか。つまんねーな』

『いちさん、酷い。正式に雇用できて嬉しいでしょ?』

『はいはい。そうですね』


 いちさんの声は、全く感情がこもってなくて棒読みだ。清香は、もしかして本当は迷惑だったのかも? と押し黙る。


『なんだよ、嘘だよ。黙るなよ。じゃーとりあえず、さっさとアパートは引き払えよ。家賃代もったいないからな。それと、清香の口座番号をメールで送れ。家政婦に正式雇用の準備金として15万円振り込むから』

『はい? 準備金?』


 清香は、聞き慣れない言葉にびっくりする。しかも十五万円って一体何?


『一応あの賃貸は、家政婦付超高級テラスハウスが謳い文句なんだよ。それなのに、家政婦が貧乏臭い女じゃ締まらないだろ? それなりに、身ぎれいにしてもらわないと困る。服装とかメイクとか、最低限きちんとしろ』


 清香は、自分の外見を顧みる。確かに、この建物に似つかわしくない田舎臭さは否めない。星志くんにも、初対面で「田舎臭い女」呼ばわれされた訳だし……。


『わかったか? 引っ越し代にも使えよ。どうせ、お前金ないんだろ。じゃーな。すぐメールしろよ』


 清香がお礼を言う隙もなく、電話が切れてしまった。引っ越し代に使えだなんて、正直、物凄く助かる。毎月ギリギリだったので、貯金するお金なんてなかったのだ。引っ越しは、いちさんから最初のお給料がもらえた後にするしかないと半ば諦めていた。アパートの家賃も、一ヵ月分は勿体ないけれど払うしかないと思っていた。

 清香は、自分の口座番号と共に感謝の文面をメールにしたためる。送信ボタンを押した清香は、どうしてこんなに良くしてくれるんだろう? とちょっと考えてしまった。

 こんなことになる前は、いちさんとは週に数回電話のやりとりをするだけだった。いきなり電話がきて、たわいもない話をするだけ……。


 最初の出会いは、ボードゲームができるオンラインゲームで知り合った。何度か見るアカウント名で、一理って名前が目についた。いれば必ず申込むようになって、チャットをしながら一緒にボードゲームをして遊んでいたのだ。そこから、仲良くなって連絡先を交換したら今の関係に落ち着いた。

 いつも言葉はトゲトゲしいけど、いい人なんだよなーって思う。一体、どんな人なのか興味があるけど、会いたいなんて言える訳もない……。


 そもそも、こんな高級賃貸のオーナーをするくらいなのだから、清香とは住む世界が絶対に違うはず。正式に、働かせてもらうのだからいちさんに言われたように恥ずかしくない格好をするべきなんだ。

(でもさっ。どういう格好が、適した格好なのかわかんない。しかもメイクまで……)


「とりあえず、今日は寝よう」


 清香は、襲ってきた眠気に抗えずベッドに入ってそのまま眠ってしまった。


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