<キラキラ>
「クロード様、いきなりそんなにお飲みになってはお体に障りますわ」
魔術学園の卒業パーティの会場で、私はクロード殿下に声をかけました。
今日の私のパートナーは殿下ではありません。本来なら婚約者である彼のはずなのですが、今回はドレスもアクセサリーも贈って来てくださいませんでしたし、王都の公爵邸まで迎えにも来てくださいませんでした。
クロード殿下はほかの多くの殿方と同じように、男爵令嬢のポエナ様に夢中なのです。
初めてのお酒を飲んで顔を赤くされた殿下が、不機嫌そうに眉を上げました。
彼のパートナーであるポエナ様も彼女の取り巻きの皆様も、つまらないことを言う女だ、という顔で私を見ています。
……確かに。私はつまらない女なのでしょう。
「オードリー様、行きましょう。酔っ払いはなにを言っても聞いてくれませんよ」
「ライアン」
そっと肩を叩かれて振り返ると、兄の友人のライアンが見つめています。
クロード殿下の代わりに、今日の私のパートナーになってくださっているのです。
彼は公爵邸の庭師の息子だったのですが、新種の花を作り植物の促進栽培魔術を発見した功績が称えられて、今は子爵位を授かっています。昔からのくせで呼び捨てにしていますけれど、本当は尊称をつけてお呼びしたほうがよろしいのでしょうか。
「おいオードリー。なんだ、その男は」
「今日の私のパートナーですわ」
「私という婚約者がいるのに、そんなどこの馬の骨とも知れない男をパートナーにするとはなにを考えているのだ」
「殿下が迎えに来てくださらなかったからです。それにライアン……ライアン様は馬の骨なんかじゃありませんわ。バルビエ王国の特産品となりうる新花『オードリー』を……」
「うるさいっ!」
「オードリー様っ!」
ライアン様の助けはほんの少し遅かったので、クロード殿下に突き飛ばされた私は床に転がってしまいました。
パーティ会場に沈黙が広がります。王太子が酔っ払って婚約者の公爵令嬢を突き飛ばすだなんて、とんだ醜聞です。
殿下は酔いで赤くなったお顔をさらに赤くして叫びました。
「オードリー! 私はそなたのような女との婚約は破棄する!」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
そこで、目が覚めました。
体を起こしてベッドの横の揺り篭を覗き込んだのですが、私の可愛い赤ちゃんの姿はありません。
隣で眠っていた夫、ライアン様の姿もありませんでした。不安で寒気を感じたとき、寝室の扉が開いて赤ちゃんを抱いたライアン様が戻ってきました。
「ごめん、起こしてしまったかな」
「私のほうこそごめんなさい。夜泣きした赤ちゃんを泣き止ませるために家の中を歩いて来てくださったのね」
「メイドに頼んだほうがいいんだろうけど、僕は昼間仕事でこの子と会えないからね。せっかくだから父子水入らずで過ごそうかと思って」
王都の公爵邸で子どものころから私に仕えてくれていたメイドは、嫁ぎ先にも同行してくれています。
「ふふふ」
「……ぅあ……」
「あれ? また泣いちゃうかな」
「私に任せてくださいな」
夫から受け取ると、むずかりかけていた赤ちゃんは私の腕の中で寝息を立て始めました。
「さすがオードリーだな」
「母親ですから」
自信満々な振りをしましたが、本当はいつでも不安でいっぱいです。
だって赤ちゃんを育てるなんて、生まれて初めてのことなのですもの。
夫が、ライアン様が隣で支えていてくださるから頑張ることができるのです。
「……ライアン様」
「なんだい、オードリー」
赤ちゃんを抱いてベッドの端に腰かけていた私の隣に、ライアン様も座ります。
私は彼の肩に頭を預けました。
ライアン様の肩は、私がもたれるのにちょうど良い位置にありました。
「私の記憶喪失が嘘だったと言ったら、軽蔑なさいますか?」
「……いいや。あのころの君は辛い思いをしていたからね。それも良かったんじゃないかと思う。でもどうしたんだい、急に」
「こうして赤ちゃんが生まれたので、真実を告白してもライアン様に捨てられないのではないかと思いましたの」
「僕が君を捨てるなんてあるわけないじゃないか。むしろ僕のほうが捨てられないか不安で仕方がないよ。でもすごいなあ、オードリー。本当に記憶喪失だと信じていたよ」
「ライアン様と結婚したくて頑張ったんです」
「そうなの?」
「だって私は公爵令嬢ですから。記憶喪失にでもならないと、王太子とよりを戻すか、ほかの高位貴族との縁談を結ばされていたと思います」
「……オードリー、愛してるよ。ただの庭師だったころから君を愛してた」
「……私もです」
寝息を立て始めた赤ちゃんを揺り篭に寝かせて、私とライアン様は抱き合いました。
……本当は、記憶喪失ではなかったということ、ずっと前からライアン様を愛していたということのほうが嘘でした。もちろん今はだれよりも愛していますよ。
記憶を取り戻したのはさっき、婚約破棄されたときの悪夢を見てからです。なんの混乱もなく、ストンと記憶が落ちてきました。
嘘は良くないことですが、いつか私の記憶が戻ってどこかへ行ってしまうのではないかと不安がっている夫を安心させるためなので、神様も許してくださるでしょう。
本当は、ライアン様に恋したのは記憶を失ってからです。
光を浴びてキラキラと黄金色に輝く、彼の金茶の髪に心を奪われたのです。
それはクロード殿下に恋していたときの記憶の残滓だったのかもしれません。
……それはもう遠い、遠い遠い思い出でしかないことですが。




