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バルビエ王国の第一王子、後の王太子クロードは、七歳の年に同い年の公爵令嬢オードリーと婚約した。
当然本人達の意思ではない。政略的な縁談である。
王家の遠戚である公爵家は国のほとんどの分野で大きな勢力を誇っていたのだ。
オードリーは黒い髪に灰色の瞳、庭仕事を好む地味な少女で、幼くして文武に秀で公務にも携わっていたクロードにはもの足りなく感じられた。
王都にある公爵邸を訪問しても、三歳年上の彼女の兄マクスウェルと剣の練習をして過ごすのが常だった。オードリーは庭の隅で、兄と婚約者が剣を打ち合わせるのを楽しそうに見つめていた。
クロードは一度、彼女に聞いてみたことがある。
「オードリー、そなたはいつも私達を見ているが、一体なにが楽しいんだ?」
「クロード様の黄金色の髪が光を浴びて、キラキラ輝いているのを見るのが好きなのです」
「……ふうん」
その灰色の瞳には、いつもクロードが映っていた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
ふたりは婚約に対して不満を表明することもなく幼少期を過ごしていった。
実際のところ、不満を表明したからと言って大人達は受け入れなかっただろう。
正直に言えばクロードは、オードリーは厳しい妃教育にはついていけないだろうと考えていた。しかし彼女は王太子教育を受けているクロードと比べれば遥かに鈍足だったものの、十歳から始まった妃教育を少しずつ着実にこなして、彼を感心させた。
オードリーが妃教育で王宮へ通うようになって、大きく変わったものがひとつある。
花だ。
クロードの執務室に飾られる花が、オードリーが公爵邸で育てている花に変わったのである。これまでの豪奢な花と違い、育てた少女によく似た地味な花だ。けれどそれは、優秀であっても、いや優秀であるからこそ終わらない公務に疲れ果てたクロードの心をいつも癒してくれた。
「オードリー、そなたの育てる花はそなたに似ているな」
「わかってますわ、クロード殿下。どちらも地味だとおっしゃりたいのでしょう?」
「はは、その通りだ」
派手でないからこそ側にいて落ち着くところが似ているのだという言葉を、クロードは笑って飲み込んだ。なんとなく気恥ずかしかったのだ。
ちなみにこれまでの豪奢な花は王宮で育てられていたものだったのだが、飾るために切られなくなったことでつけた種が王宮外に提供されるようになり、全国的に品種改良が盛んになった。
近いうちに新種の花がバルビエ王国の特産品になるだろう。
見た目の美しさだけでなく、新種の花は蜜や油の採取量も増えている。
どこからか王宮の花の種が提供されるに至った経緯が漏れたらしく、新種の花には『オードリー』という名前が付けられていた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
ふたりが魔術学園入学したのは、十五歳の年だった。
神話や伝説に出てくる一撃で魔獣を打ち倒すような魔術は失われてしまっているけれど、家畜化した魔獣から採れる魔石に魔力を注いで発動させる生活魔術は日常に組み込まれている。
魔術学園では魔力の制御と魔術の基礎理念を学ぶ。王侯貴族は各々の領地でときおり発掘される古代魔道具の安全な管理が必要になるので、学園での学習が必須とされていた。
──そこで、クロードはポエナと出会った。
ポエナは真っ赤な髪に紫の瞳、少し気は強いが明るく社交的な男爵令嬢だ。
よく言えば温和、悪く言えば陰気なオードリーとは正反対だった。
王太子であるクロードにも物怖じせずに話しかけ、悪いところがあれば悪いと言う。そんなポエナに彼は夢中になっていった。
だれから見ても魅力的な少女だったのか、ポエナの周りにはクロード以外にも多くの高位貴族が集まっていった。
そうなると、それぞれに対抗意識も湧いてくる。
普段は身分の違いがあって順位が決まっているからこそ、ポエナの寵愛でだけは負けたくないと彼女の取り巻きのだれもが思っていた。
もちろんクロードもだ。
ポエナは婚約者のオードリーとは違う。オードリーは公爵令嬢として、政略的に王太子のクロードと婚約しているだけだ。
本当のクロードを見てくれるのはポエナだけなのだと思っていた。




