第二章その5
「い、いらっしゃいませ~」
それから数時間後、ナユタは支給された給仕服を着て接客をしていた。
「ナユタちゃん! その調子! がんばって!」
「は、はあ……」
小太りな酒場の店主に応援されて、ナユタは困った顔で返事をする。
ルイスに言われた通り、「野盗に襲われて逃げてきたので、住み込みの仕事を探している」と言ったら、えらく同情されて、即採用、即実戦という事になってしまった。
ごめんなさい、野盗に襲われて逃げてきたのは嘘じゃないけど、おかしな二人組に命令されて、訳も解らずここで働かされている、というのは内緒にしています。
雇ってくれた優しい主人に感謝しつつも、申し訳ない気持ちになるナユタだった。
「姉ちゃん! こっちに麦酒持ってきて!」
「はい! ただいま!」
店内は大いに賑わい、ナユタは客の求めに応じて、テーブルとテーブルの隙間を縫うように駆け回る。
「新しい娘が入ったんだな」
「ああ。元気に働いてくれるから助かるよ」
常連らしい客と店主が交わしている会話が耳に飛び込んでくると、働き甲斐も出てくるという物だ。
こういう仕事は初めてだから不安もあったし、最初は戸惑いもあったが、慣れてくると楽しくなってくる。
「すみませーん。注文いいですかー?」
「はい! ただいまー! って何してるのよ……!」
駆け付けた先では、ルイスとアリスがちゃっかり寛いでいた。
「何って? 食事しに来た以外の何かに見えますか?」
「いや、見えないけど……ってそうじゃなくて!」
「ちゃんと働いてるかどうか見に来たんですよ」
「見に来なくてもちゃんと働いてるわよ……」
ナユタは脱力した。
くいくいと袖を引かれる。
「注文……いい……?」
メニューを手にアリスが見上げてくる。
「いいけど……食べる必要ないんじゃないの?」
「必要はない……けど食べられない訳じゃない」
「何か注文しないと不自然ですからね」
「はあ……」
アリスは軽い食事と葡萄酒などを注文する。
「それとリンゴ」
「リンゴ?」
そんなのメニューにあったっけ?
「メニューにはない。しかし焼きリンゴがメニューにあるから、厨房にはあるはず」
「まああるとは思うけど……」
「切らないで、一個そのままで」
「解ったわ。頼んでみる」
ナユタは首を傾げながらも奇妙な注文を厨房に通した。
無事にリンゴ一個を含む注文をアリスに渡した後、またしばらく店内を忙しく駆け回った後の事だった。
「よう、姉ちゃん、新入りなんだって?」
「は、はい……あ、あの……」
若い男の客に肩を抱かれて、ナユタは顔を引きつらせる。
お酒は嫌いじゃないが、他人の酒臭い息は正直いい気がしない。
「君、可愛いね。これから俺と遊びに行かない?」
「あ、いや、仕事中ですから……」
「じゃあ仕事終わるまで待つから。終わるの何時?」
「だから、その……」
相手はお客さんだと思って甘い顔していると、どんどん付け上がってくる。
どうしよう? 困ったなあ……。
おろおろと辺りを見回すが、酒場の喧噪に紛れてナユタの窮状に誰も気付いていない。
ああ、どうしよう……? 肩をしっかり掴まれてるから振り解くのも無理っぽいし、酒臭い息がそろそろ限界……。
「ひゃんっ!」
生温かい感触にお尻を撫で上げられ、ナユタは全身を強張らせる。
「どこ触ってんのよっっっっっ!!!!!」
背筋に走った悪寒を振り払おうと身体を捩らせる。
手に持っていた麦酒のジョッキが男のこめかみにクリーンヒットして、気味のいい音が高く鳴った。
「痛てえじゃねえか!」
「あ、あの、ごめんなさい。わざとじゃなくて……」
ふと、自分の肩を抱いているこの男が反対の手でお尻を触るのは角度的に無理じゃないかと思ったが、そんな事を考えている状況ではなかった。
「こいつ!」
「きゃっ!」
男が掴みかかってくる。
ナユタは咄嗟に身を躱す。
男はたたらを踏んでその場にとどまろうとするが、そこにどういう訳か転がってきたリンゴを踏ん付けて、男の身体は隣のテーブルに突っ込み、めちゃくちゃにする。
「何しやがんだ、てめえ!」
そのテーブルの客が怒って立ち上がるが、手にしていた皿の乗っていたチキンソテーが別の無関係の客の太股に落ちる。
「あちいいい!」
驚いた客がイスから飛び上がると、手にしていたジョッキまでも飛び上がる。
「つめてえええ!」
そんなこんなで被害が連鎖して拡大、伝搬していくと、たちまち酒場全体が阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。
客同士で掴み合い、殴り合いの喧嘩が始まり、別の客が無責任にそれを煽る。
また別の場所では騒ぎに乗じて隣のテーブルから料理や酒を掠め取ろうとして、テーブルの主に見付かって袋叩きにされる。
「あああああ……………」
騒ぎの中心で、ナユタは呆然と立ち尽くしていた。
自分は悪くない、何の責任もない……はずだが……。
騒ぎはもはやナユタの手に負えないレベルに拡大していた。
「危ない!」
「きゃっ!」
ナユタが手を引かれてよろめくと、さっきまで立っていた場所をイスが飛んでいった。
「大丈夫か? 怪我はないか?」
「あ、ありがと……」
咄嗟にナユタの手を引いたのは、見知らぬ髭面の男だった。
「ここは危ない。出よう」
「え? で、でも……」
男に手を引かれるまま、ナユタは裏口から夜の街へと出て行った。




