第三章その11
「はあ~~~~~疲れた~~~~~」
部屋に戻ってくるなり、ナユタはテーブルの上にばたっと倒れ込む。
そんなナユタをアリスは見ているのか見ていないのか、ぼけっとイスに座っている。
「ねえ~~~~~聞いてよ~~~~~アリス~~~~~」
「その必要はない。状況は把握している」
「ああ、うん……」
いや、話さなくても解ってるのは楽でいいんだけどね?
話して頭の中を整理するっていうのはあるんじゃない?
「そう言えばアリスってずっとこの部屋にいるような気がするんだけど」
「ナユタが部屋にいない間に書庫に行ったりはしている。部屋にいてもこの城で起きている事は全て把握している」
「ふーん……」
もしかすると未来予測とやらもしているのかも知れない。
「あれ? ルイスは?」
「所用があって出ている」
「一緒じゃないなんて珍しいな……もしかして女の人と会ってるとか?」
戴冠式の後のパーティーで女性相手に如才なく振る舞っていた様子を思い出し、冗談めかしてナユタは笑う。
「そんな訳ないか。ルイスは……何だっけ? 人でなし……? 作り物……? だから……?」
ナユタの言葉に、アリスは目を見開く。
「凄い。どうして解った?」
「え? マジで?」
「マジで。あとアンドロイド」
そうかー。意外と隅に置けないんだなー。あんどろ何とかのくせに。
まあ深くは突っ込まないでおこう。
どろどろ? にプライバシーって奴があるのか知らないけど。
「人魚姫……」
アリスの口から、ぽつりとそんな単語が漏れる。
「人魚……姫? 何それ?」
「私が元いた世界で語り継がれた童話。上半身が人間で下半身が魚の、海で暮らす美しい女性が主人公のお話」
「ふーん……何だかグロテスクな……?」
人魚姫を知らないナユタが漏らした感想を黙殺して、アリスは説明を続ける。
「ある日、人魚姫は乗っていた船が難破して遭難していた王子を救い、恋心を抱く。人魚姫は王子と結ばれようと魔女に頼み込み、自分の声と引き換えに人間の足を手に入れる。しかし王子は隣国の姫君と結婚し、王子の愛を得られなかった人魚姫は海の泡となって消えてしまう……かなり要約したが、そういう悲しい恋のお話」
「………」
アリスがどうしてそんな童話を持ち出したか、ナユタにはすぐに解った。
海に暮らす人魚姫と陸に暮らす王子。
庶民に生まれたナユタと皇族に生まれたマティアス。
そう考えると、自分と人魚姫の置かれた境遇は良く似ている。
「いや、私は恋っていうよりは、手のかかる弟って感じなんだけど……」
「ナユタは人魚姫のように、マティアスのために自分の声を捧げ、最期には海の泡になって消えてしまう覚悟はある?」
「………」
首を縦に振る事は出来なかった。
マティアスを守るために身を挺して、というならともかく、無理を押し通してルイーザと対立し、呼吸できないこの城の空気の中で暮らした所で、その先に待ち受けるのは悲劇的な結末だけだ。
そんな物はナユタ自身も望んでいないし、マティアスにとっても幸せではないだろう。
「そっか……私、城を出てマー君と別れるしかないんだ……」
強い胸の痛みと共に、ナユタは今さらのように思い知らされる。
自分とマー君は生まれた世界が違うのだ、と。
「でもマー君は私がいなくても大丈夫かな?」
「その心配こそ傲慢という物。マティアスにはルイーザが付いてるし、宰相ミュランだって最近は大人しいし」
「うん……でも命を狙ってたロザラムとか……そう言えばあいつ、今どうしてるんだろ?」
「ナユタはマティアスの事が信用できない?」
「いや……そんな事……そんな事ない。マー君なら大丈夫。きっと」
そうだ。自分が信用しないでどうする?
マー君は今はまだ子供かも知れないけど、ずっと子供な訳じゃない。
大人になろうと、立派な皇帝になろうと、必死にがんばっているじゃないか。
私が信用しないでどうする!
「うん、決めた。私、城を出る。マー君のために。私自身のために」
ナユタは決意を込めて言う。
不意に目頭が熱くなり、手の甲で拭う。
「それに、ずっと会えない訳じゃないもの。また何年かしたら会いに行けばいい。そうよね?」
「うん、それがいい。良く決意した。ナユタは立派」
アリスも祝福するように、小さく笑った。
「でも……」
「でも?」
「城を出るなんて言ったら、マー君泣かないかな? マー君に泣かれたら、私も泣いちゃうかも……」
「………」
「こら! 呆れた顔でため息吐かないでよ!」
「手紙を書けばいい」
「手紙?」
「面と向かって言いにくい事も手紙なら確実に伝える事が出来る。それにただの言葉は消えてしまうが、手紙なら形として残るから、マティアスの心の支えになる」
「なるほど……それはいいかも……でも……」
「でも?」
「私、字を読むのも苦手だけど、書くのはもっと苦手なのよね」
「代筆する」
アリスは便箋と封筒、それにペンとインクも取り出す。
「ありがとうアリス。何から何まで用意がいいのね」
「善は急げ。早速始めよう」
「う、うん……上手く出来るかな?」
「言った通りに記述する。問題ない」
そして二人は口述筆記を始める。
「ええと……本日はお日柄も良く……」
「お見合いじゃないんし、お日柄は良くない。やり直し」
「いきなりダメ出し! 言った通りに書くって言ったじゃない!」
などとやり直しを重ねながら手紙は書き進められていき、いよいよ文末に近付いてきた。
「お姉さんを大切にして下さい。そして民衆から家臣の人達まで、みんなに優しい王様になって下さい。また会える日を楽しみにしています……これでどうかしら?」
アリスはふと、走られていたペンを止める。
「悪くはない。でも、みんなに優しい王様、というのはどうだろう?」
「えー?」
「マティアスは心の優しい子だから、みんなに優しくするのは問題ない。しかし皇帝であるからには、不正を働く悪人や能力が足りない者に対する厳しさも必要になってくる」
「う、うん。それは解るけど……直接的にそう書いちゃうのは……」
「だから、立派な皇帝になって下さい、で、どうだろう?」
「立派な……か。アリスが言うんだし、それならまあいいか」
ナユタは釈然としない気持ちだったが、一応は納得する。
とにかく、手紙は完成した。
あとはマティアスにさよならを告げて、手紙を渡して、城を出て……。
「いけない……想像したら涙が出てきた……」
「ナユタ……」
「私は大丈夫。あとは明日!」
でもそれでいい。
誰にとっても最良の選択を、自分はしたはずだから。




