第三章その9
翌日、ナユタはルイーザに呼び出され、私室に招かれた。
二人の間にあるテーブルの上には、様々な宝石やら装飾品やらが小山のように積み上げられている。
もちろんナユタが見た事もないような代物だが、一生遊んで暮らせるような途方もない価値がある事は想像に難くない。
「ナユタさん、城を出て行ってはもらえませんか?」
ルイーザはナユタが初めて見る、厳しい表情で言う。
「城を出て行っていただけるなら、こちらは差し上げます。これだけあれば当分は困らないでしょう?」
「………」
ナユタは驚かなかった。
いつかこんな日が来るのではないかという気はしていた。
ただ失望と諦めだけが胸に広がっていた。
「これはマティアス陛下が望んでの事ですか?」
ナユタがそう尋ねると、ルイーザは露骨に不機嫌そうに視線を逸らす。
「そんなはずないでしょう。私の独断です」
そして深い溜息をひとつ。
「あなたのような方には想像できないでしょうが、私達、皇族にとって結婚とは、ただ好き嫌いで相手を選べる物ではないのです」
「………」
「国内の有力な者を味方に引き入れ、あるいは忠誠を誓わせるため、敵対する他国との対立を避け、あるいは味方の国との関係をより深めるために血の盟約を結ぶという、私もマティアスも一枚ずつ持っている、ラルダーン帝国を統治し、頂点に君臨する上で最も有力なカードなのです」
「そんなの……ただの態のいい人質じゃないですか!」
「ええ、その通りです」
ルイーザはあっさりと認める。
「ですが私達には必要な事です。私達にとって結婚とは権利ではなく、帝国のためなら望まない相手とでもしなければならない、義務なのです」
「………」
「そしてマティアスが持つ最強のカードを、皇帝の妻、皇后という地位、ラルダーン帝国の半分を所有する権利を、あなた如きに浪費する訳にはいかないのです」
一分の迷いもなくそう言い放つルイーザに、ナユタは何も言い返せない。
「何ももう二度とマティアスに会うなと言っている訳ではありません。マティアスの結婚相手が決まるまでの、恐らく数年くらい城を出てもらって……そうすればマティアスとナユタさんの悪い噂も静まるでしょう。その後はメイドとして雇ってもいいし、望むのでしたら愛妾という立場でも構いません。ただマティアスの正妻という立場だけは……」
「ルイーザ様」
ナユタは悲しげに目を伏せ、ルイーザに呼びかける。
「こちらの金品は受け取れません。私はお金や地位が目当てでマティアス陛下を……いえ、マー君を助けた訳じゃありませんから。どうか私の気持ちまで無にするような事をしないで下さい」
マー君という呼び方をした非礼を咎めるようにルイーザの視線が鋭さを増すが、ナユタは構わずに続ける。
「ですから私としても、お二人を困らせるような事はしたくありません。ルイーザ様が納得する方法を考えます。どうかそれまで、お時間をいただければと思います」
ナユタは深く頭を下げる。
「……本当でしょうね?」
「はい。必ず」
「解りました。待ちましょう。ですが余り長くは待てないと思って下さい」
「はい」
ナユタは小さく頷く。
「ルイーザ様。聞きたい事があります」
「何でしょう?」
「もし仮に、ルイーザ様と宰相ミュラン様の間に縁談が持ち上がったら、どうしますか?」
「私とミュランが?」
ルイーザは嫌そうに眉を顰める。
「そうですね……ミュランは長年、我が帝国に尽くしてきた忠臣です。結び付きを強めるという点では悪くないと思いますが、高齢ですので将来はありません。もし優秀な息子がいればそちらと結婚するのはありかと思いますが、ミュランは独身で子供もいません」
「………」
「この縁談はない話ですね」
やれやれという風に肩を竦めるルイーザ。
「ルイーザ様とミュラン様の年の差は理由にならないのですか?」
「なりませんね」
ルイーザは即答する。
「それで、この話に何の意味があるのですか?」
逆に尋ね返してくる。
「私と出会った時……まだ皇太子だったマティアス様が皇帝になろうとした理由をご存知でしょうか?」
「何を解りきった事を。マティアスは皇太子だったのですから、皇帝になろうとするのは当然の事ではありませんか?」
「本当はルイーザ様とミュラン様が結婚するのを阻止したかったのです」
「………」
ルイーザの表情が引き攣る。
ナユタの言葉を妄言と笑い飛ばすか、それは本当かと問い質すか、迷って揺れ動き、表情が定まらないようだった。
「私にとって、誰がこの国の皇帝になろうがどうでもいい事なんです。ただマー君が皇帝になる事が、大好きなお姉さんが望まぬ相手と結婚しない事がマー君の幸せのために必要だったから、少しだけお手伝いしたんです」
「黙りなさい!」
ルイーザは激昂してイスから立ち上がる。
「二度とマティアスをマー君などと呼ばないで下さい!」
「………」
ナユタは無言で立ち上がる。
そして悲しげに目を伏せ、静かに言う。
「ルイーザ様。もし私がここからいなくなる事になっても、どうかマティアス様の幸せを一番に考えて下さい。お願いします」
「あなたに頼まれるまでもありません」
ナユタが殊勝な態度を見せるので、ルイーザもひとまず溜飲を下げる。
だけど同じ「マティアスの幸せ」という言葉ひとつを取っても、その意味が全く食い違っている事を、ナユタはすでに理解していた。
「失礼します。ルイーザ様、ご機嫌よう」
ナユタは頭を下げると、足早に部屋を辞した。




