第三章その5
戴冠式から一週間後、ナユタはルイーザと二人きりで会う機会を得ていた。
話題は霊峰ヴィートコフ山への道中に始まり、戴冠式後のパーティーに移っていく。
「それでその後が大変だったんですよ。こっちは慣れないドレスで苦しんでいるのに、色んな人が話しかけてきて」
「まあ、そうだったんですか」
「女の人はみんなルイスの方に集まっていって、そつなく対応していたみたいなんですけど、アリスは誰が話しかけてもみんな無視してしまうから、男の人はみんな私の方に集まってきて……ああ、アリスが無視すると凄いんですよ。目の前の人に話しかけられても、誰もいないみたいに振る舞うんですから。あれはちょっと真似できませんね」
「ふふっ、それは見てみたかったですね……弟が戴冠式に出てくれと無理を言ったばかりに苦労をかけたようですわね」
「え? ああ、いいんですよ。私も殿下……じゃなくて陛下の晴れ姿を見たかったですから」
本当は人混みに紛れて何も見えなかったのだが、ナユタは心の中にしまっておく。
ナユタが一方的に話し、ルイーザが相槌を打つ感じだが、お互いに楽しい雰囲気で会話が弾んでいた。
その時、どんどんと乱暴にドアが叩かれた後、こちらからの返事も待たずに一人の少年が部屋に飛び込んできた。
「ナユタ! 姉上の所にいたのか! 部屋を訪ねたのにいないから、探したぞ!」
現れたのはマティアスだった。
そのままの勢いでナユタの膝に飛び乗る。
「陛下、どうしたんですか?」
「うむ、国外からの謁見の相手が遅れていて、少し時間が空いたのでナユタに会いに来たのだ!」
マティアスは元気いっぱいに言った後、急に声のトーンを落とす。
「ナユタ、陛下とは何だ? いつものようにマー君と呼んでくれないのか? 余はそなたにマー君と呼ばれるのが好きなのだ」
「ああ、それは……」
ナユタはちらりとルイーザの方を見遣る。
案の定、少しだけ眉間に皺が寄っていた。
「今はルイーザ様が一緒ですから。他に人がいる時は陛下と呼ばせていただきます。陛下もご自分の立場を弁えて下さい」
「そうか……つれない事を言うな……だが仕方ない。二人きりの時はこれまで通り、マー君と呼ぶのだぞ?」
「はい。約束します」
などと話していると、文官らしい男がマティアスを呼びに来た。
「それでは余は仕事に戻る。ナユタ、仕事が終わったらまた会いに行くから、待っているのだぞ?」
そう言い残して若き皇帝陛下は仕事に戻っていった。
ルイーザはにっこりと笑って言う。
「マティアスが旅から帰ってから、以前よりずっと真面目に政務や勉強に取り組むようになりました。ナユタさんにはお礼を言わなければならないかも知れません」
「え? いや、私なんてそんな……」
「そうですよ。旅に出る前は、勉強の途中で抜け出して庭に隠れていた、などという事が度々ありました。それに比べれば最近のマティアスは見違えるほどの成長です。ですが……」
ルイーザは深くため息をつく。
「時間の合間を少しでも見付けては、ナユタさんを訪ねるのは正直、どうかと思っているのです」
「はあ……それは何だか、申し訳ありません」
「いえ、ナユタさんを責めている訳ではないのです」
「ですがあまりきつく言って、仕事や勉強のやる気をなくしては元も子もないのではありませんか? 皇帝陛下にも息抜きは必要だと思うんです」
「………」
「私で良ければ、陛下の話し相手くらいいつでも引き受けますから」
力強く言うナユタに、ルイーザはまた深くため息をつく。
「確かにその通りですが、私が言いたいのはそういう意味ではなく……」
「………?」
「いえ、今の言葉は聞かなかった事にして下さい」
「はあ……あ、そうだ。ルイーザ様に聞きたい事があるんです」
「何でしょう?」
「戴冠式の後のパーティーで貴族の方々とお話しした時に、みなさん口を揃えたように、我が家の養女にならないか? って言ってきたんですけど……あれは何だったんでしょう?」
「それでナユタさんはどのように答えたのですか?」
「故郷の村に父がいますから、他に父親は必要ありません、と答えました。そうしたらみなさん、笑うか呆れるかするんですけど……」
「ナユタさん」
「はい」
「ナユタさんにはちゃんとお父様がいらっしゃるのでしたら、それはそれでよろしいのではないでしょうか?」
「はあ……?」
「ナユタさんはただそのままのナユタさんでいればいいのです。この件に関しましては」
ルイーザは呆れたような、安心したような、複雑な表情をしていた。




