第三章その4
そして数日後、戴冠式は厳かに執り行われた。
マティアス皇太子が帝都に帰還してから日が浅いのにつつがなく式が執り行われたのは、宰相ミュランの手腕による所が大きい。
帝国全土どころか世界でも類を見ない規模を誇る大広間には、それぞれの正装に身を包んだ参列者が詰め掛けている。
新たな皇帝の誕生の瞬間を見届ける栄誉に預かるのは、もちろん帝国に名だたる貴族や聖職者達である。
華麗な参列者達に紛れるように、大広間の片隅にナユタ達はいた。
「はあ……私達ってどうしてこんな所にいるのかしら?」
視界を埋め尽くす煌びやかなドレスの群れは、見ているだけでくらくらしてしまう。
もっとも、ナユタ達だって服装だけなら似たような物なのだが。
「僕達は一応、皇帝即位の立役者なのですから」
「立役者だなんてそんな大袈裟な」
マティアスはナユタ達を自分の恩人として参列者の前で紹介するつもりだったらしい。
戴冠式に出席するだけでも大袈裟だと思っていたナユタの猛反対によって、大広間の片隅で見守るだけという現在の形に落ち着いたのだが。
「でもまあ、マー君の晴れ姿だもの。ちゃんと見届けないと」
「そうですね。苦しい思いをしてドレスを着た甲斐がありませんからね」
「うん。ドレスを着るのがこんなに苦しい物だとは思わなかったわ……今も苦しいけど」
ナユタだって女の子だから、お姫様みたいな煌びやかなドレスに憧れがないわけではない。
しかしドレスを着るのに、まずコルセットを腰に巻き、それをメイドが力任せに紐を引っ張って締め上げるとは思ってもいなかった。
おかげでウエストは普段よりずっと細く見えるし、姿勢だってしゃんとして見えるはずだ。
「でもお腹が苦しいし、息だって半分くらいしか吸えないし、身体を動かすなんてとっても無理よ。ご馳走を出されてもろくに食べられなさそう。それどころか何かの拍子にお腹の中身が出てきそう」
でも自分と似たり寄ったりのドレスを着たアリスや他の貴婦人達が平気な顔をしているのはどうしてだろう?
まさかウエストが太くて余計に締め上げられた、なんて事はないよね?
「ドレスを着た時の、ナユタの声が凄かった」
その時に同席していたアリスが言う。
「カエルを踏み潰したか絞め殺したかした時の断末魔の悲鳴のようだった」
「え? そんな声だったの?」
「ぐえー」
その時、ルイスの口から成人男性の外見からは想像も出来ない声が出る。
「こんな感じでした」
「まさにこれ。ルイス、グッジョブ」
アリスが親指を立てて見せる。
「え? 今の何? ルイスなの?」
「ナユタさんの声を録音して忠実に再現してみました」
「ろ、録音……? ち、違うわよ! 今の絶対、私の声じゃないわよ!」
「違わない。自分の声は頭蓋骨の内側で反響した物を聞くから、録音した声は違って聞こえるだけ」
「私の声じゃないわよ! こんな変な声!」
「うん、とても十八歳の花も恥じらう乙女の声じゃなかった」
「ぐえー」
「でも寸分違わぬそっくりそのままのナユタの声」
「ぐえー。ぐえー。ぐえー」
「ルイスも何回も再現しないでよ!」
騒ぐ声が大きくなってきたのか、周りの参列者から白い目を向けられて、ナユタは顔を赤くして小さく縮こまる。
そうこうしていると、遠くの参列者が歓声を上げ、それが徐々に伝播してナユタの周りの参列者達も同じように歓声を上げる。
偉い教皇様がマティアスの頭に王冠を乗せる。
それが戴冠式の最も重要な儀式である事をナユタは事前に聞いていた。
この盛り上がりはきっと、それが終わったからに違いないと、ナユタは思った。
「そうか……マー君、皇帝陛下になっちゃったんだ」
ナユタが漏らした呟きは、大広間を埋め尽くす万雷の拍手にかき消されて、誰の耳にも届かない。
そしてマティアスの姿も、他の参列者に阻まれて少しも見えない。
だけどそれは間違いなく、ラルダーン帝国の新たな皇帝が誕生した瞬間だった。




