第一章その3
「はあ……やっぱり私の村と大して変わりない感じよね……」
見慣れた田園風景を横目に、ナユタは歩く。
途中、農夫と思われる人達と擦れ違うとにこやかに笑いかけてくるので、こちらも笑顔を返して会釈する。
「こんな所に来るなら、故郷に戻れば良かったかな?」
「ナユタさん、あなたは何のためにアリスにくっついてきているんですか?」
「いや、冗談だけどさー」
ダルトンの治める街に来た時は初めて見る大きな街に胸を躍らせたが、退屈な景色が続くとぼやきたくもなる。
「心配しなくても、これからラルダーン帝国の将来を左右する出来事がここで起こる」
感情を表さない、アリスの無機質な声。
しかしナユタは表情を引き締める。
「本当?」
あらゆる事象を見通すアリスの言葉だ。
傾聴に値しないはずがない。
「先日、ラルダーン帝国の皇帝ファーディンが亡くなったのは知ってる?」
「いや、知らないけど……」
っていうか、ラルダーン帝国自体、数日前に知ったばかりなんですけど。
「王様が亡くなったって事は……王子様か誰かが新しい皇帝になるって事?」
「そう、普通なら」
「普通なら?」
「皇帝には二人の子供がいる。一人目は娘で、名前をルイーザという。もう一人は息子で、名前をマティアスという」
「ふむふむ。じゃあ、そのマティアス? って人が次の王様になるの?」
「普通なら。しかしひとつ問題があった」
アリスは人差し指をぴっと立てる。
「マティアス皇子は皇帝の重責を担うにはまだ若い。十四歳」
「十四……」
皇帝の仕事がどのような物か、田舎娘であるナユタに解るはずもないが、十四歳の少年には務まるような物ではないという事くらいは想像できる。
「実際の政務は皇帝ファーディンを支えてきた宰相ミュランが取り仕切っていて、現在、皇帝は空位となっている」
「ふむふむ」
「宰相ミュランを後継としてマティアス皇子が皇位に就くか、ルイーザ姫が適切な男性と結婚し、その男性が皇位に就くか、で宮廷は揉めている」
「ふーん」
「興味なさそう……」
「そりゃまあ、私みたいな庶民には関係ない話じゃない?」
「………」
「王様が代わって政治が変わるなら、関係ない話じゃないのかも知れないけど……強いて言うなら庶民の暮らしを大切にしてくれる王様だったら良いな」
ダルトンさんみたいに、と続けそうになって、ちくりと胸を刺すような痛みが言葉を止める。
彼が生きている事は知っている。
しかし彼の治めていた街は戦争に巻き込まれて多くの犠牲者を出し、少なくともその一端はナユタが担っていたのだ。
「……どうしたの?」
「あ、いや、なんでも……」
急に黙ってしまった事を心配したのか、アリスが顔を覗き込んでくる。
心配ないとナユタが笑いかけたその時、物陰から飛び出してきた小柄な人物がぶつかってきた。
「きゃっ」
「あっ!」
ナユタは軽くよろめいただけですんだが、飛びだしてきた方は小柄なせいもあって、たまらず尻餅をついてしまった。
「大丈夫? 立てる?」
「あ……うむ、すまない」
ナユタは倒れた人物に手を貸して立たせる。
丁寧に切り揃えられた、柔らかそうな金髪と、澄んだ青い瞳が印象的で、女の子みたいな、だけど間違いなく少年だろう。
陽に当たった事がなさそうなくらい真っ白な肌も、フォークやナイフより重い物なんて持った事がなさそうな柔らかな手も、ナユタが初めて見る物だった。
大袈裟に言うなら、天から降ってきたような、住む世界が違うような、そういう浮世離れした空気をまとった少年だった。
「いたか?」
「いや、こっちじゃない」
「あっちにいたぞ!」
「回り込め!」
気色ばんだ声が遠くから聞こえてきて、ナユタは我に返る。
「もしかして追われてるの?」
「う、うむ」
「じゃ、こっち来て」
ナユタは少年の手を引いて来た道を少し戻る。
酒場の裏口の近くに酒樽が積み上げられていた。
「ここに隠れて。そこの隙間」
「わ、解った」
少年はナユタに言われた通りに隠れる。
「そこで何をしている!」
突然の誰何の声に、ナユタは飛び上がりそうになる。
恐る恐る振り返ると、騎士らしい立派な甲冑を着込んだ強面の男が立っていた。
せいぜいその辺の露店の店主くらいを想像していたのだが……。
「連れが気分が悪くなって、休んでいたんですよ」
間に立ってくれたのはルイスだった。
「そうか……ところで金髪の子供を見なかったか? これくらいの背丈の……探しているのだが」
「それらしい少年なら、先ほど擦れ違いましたよ。向こうに行きました」
「そうか、かたじけない……おおい! あっちだ!」
騎士らしい男は声を上げて近くにいた仲間を呼び寄せると、ルイスに教わった方向に走り去っていく。
「……行きましたよ」
「はあ……良かった……」
ナユタはほっと胸を撫で下ろす。
「それにしてもルイス、あなたすごい演技ね……」
嘘を吐いている素振りなど微塵も見せず、堂々とした態度で騎士に対応していた。
あれなら嘘を吐いていると知っていても、思わず騙されてしまうかも知れない。
「まあ、得意技のひとつみたいな物ですからね」
さして得意そうでもなく、ルイスは言う。
他にどんな特技があるんだろう? とナユタは思った。
「ところで君、名前は? どうして追われてるの?」
「え?」
ナユタが尋ねると、少年は露骨に表情を引き攣らせる。
「さっきは勢いで助けちゃったけど、もし君が本当に悪い事をしていたのなら、あの人達に引き渡さないといけないし」
「それは……」
目が泳いでる。
嘘や隠し事は出来ない子のようだ。
「正直に話して。もし悪い事をしたのなら一緒に謝ってあげるし、お姉さん達が悪いようにはしないから」
ねっ? とナユタは笑いかけるが、それでも少年の警戒は解けない。
「あ、姉上に言われたのだ……正体を明かしてはいけない。明かしたら殺される……と……」
「正体を明かしたら殺される?」
ナユタが首を傾げると、少年ははっとして自分の口を両手で押さえる。
「ラルダーン帝国皇太子マティアス殿下」
「………」
「………」
アリスがそっと発した言葉で、たちまち空気が凍り付く。
「もう解っている。だから隠す必要はない」
「皇太子……って事は王子様?」
「………」
「………」
ナユタは目を白黒させてアリスと少年を見比べる。
アリスが静かに頷くと、ナユタは思わず驚きの声を上げる。
「えええええ~~~~~っっっっっ!!!!!」
村全体に響くようなその声が一帯の注目を集めたのは言うまでもない。




