第五章その7
「生きて……!」
そう涙ながらに叫んだナユタの声は、今もダルトンの頭の中で鳴り響いていた。
一人でも多くの領民を救い、一人でも多くのグロモフの兵を道連れにして、最期は焼け落ちる城を枕にして果てる……そのつもりだった。
それが領主としての最期の務めだと、その瞬間まで確かに信じていた。
しかし、もういよいよ間に合わなくなるというその時になって、急に気が変わった。
別れ際、ナユタが発した言葉が不意に脳裏に蘇り、共に死ぬ覚悟を決めていた臣下の者を連れ、辛うじて街を脱出したのだ。
全員無事に、とはいかなかったが、それでも十数人の部下と共に難を逃れる事ができた。
そして今、ドロシーと肩を並べて、そこを死に場所とするはずだった街が燃える様子を遠くに見ている。
「なあ、ドロシー」
「何でしょう? ダルトン様」
「俺はどうしてまだ生きているんだ?」
「死ななかったから生きているのではありませんか?」
「そりゃまあ、そうだよなあ……」
今でも自分のした事を自分で信じられない。
どうして急に気持ちが変わったのだろう?
ナユタの存在は自分にとってそこまで大きい物だっただろうか?
「それはそれとして、腹が減ったなあ」
「何か作りましょうか?」
「作れるのか?」
「材料があれば」
「希望を持たせるような事を言うなよ……」
ようやく危機から脱したというのに、いや、だからこそ腹が減るのだろう。
しかし残念な事に、近くには村どころか民家さえない。
とりあえず小休止を終えたら、疲労と空腹で重くなった足に鞭打って安心して休める場所まで移動し、食料も調達しないといけない。
それを思うと、せっかく生き残ったのに暗い気持ちになってくる。
「ダルトン様! ダルトン様!」
「おう、どうした?」
近くを偵察していた騎士が戻ってきたのだ。
「この近くに洞窟があるのですが、中でこんな物を見付けました」
「こ、これは!」
騎士が両手いっぱいに抱えていたのは、食料だった。
「どうしてそんな場所に食料が……?」
「それは解りません。全員に行き渡る程ではありませんが……」
三食分くらいの保存食だが、腹の足しにはなるだろう。
「まあ細かい事はいい。良く見付けてくれたな。ありがとう」
「は、はい!」
騎士は感激に声を上げる。
「まずダルトン様とドロシー様に多めに食べていただいて……」
「いや、全員で平等に分けよう。この先、一人も脱落させるつもりはないからな」
食料はドロシーがまとめて受け取る。
全員で分けるとそれぞれに一切れとか二切れの量になりそうだが、それでも食事に有り付ける事を喜ぶ声と、ダルトンを賞賛する声が挙がる。
「しかし誰なんだろう? たまたま忘れただけなんだろうが……」
「それと近くにこんな物が落ちていました。恐らく食料を忘れていった者が身に付けていた物を落としたのでしょうが」
「………」
騎士は懐から小さな物を取り出してダルトンに渡す。
「片方だけですし、安物みたいですから、売っても二束三文にもならないでしょうが、それでもないよりマシでしょう。全く、どこの誰だか知りませんが、至れり尽くせりで感謝の言葉もありませんな」
「………」
上機嫌に語る騎士だったが、ダルトンは受け取ったそれを見て愕然とする。
「おい……」
「はい」
「二度とこれを売ろうだなんて口にするな。いいな?」
「は? はあ……」
騎士は食料を見付けた時との落差に首を傾げながらその場を離れていく。
「なあ、ドロシー。これを見てくれ」
「こ、これは……!」
「そうだ。ナユタが身に付けていた耳飾りだ」
「はい……」
「これが食料と一緒に落ちていたという事はどういう事だ? この食料を置いていったのはナユタではないのか?」
「いや、まさか、そんな、偶然では……?」
いつもは冷静沈着なドロシーも戸惑いを隠せない。
「偶然とかどうもいい! あいつは一体、何者なんだ? 天使か? それとも女神か?」
「………」
「いや、あいつの正体もどうでもいい。俺にとってのナユタはナユタなんだ。それ以外の何者でもない」
「あの、ダルトン様、少し落ち着かれた方が………」
長い付き合いの主君の尋常ではない浮かれ様に、ドロシーは目眩を感じた。
「決めたぞ、ドロシー」
ダルトンは力強く宣言する。
「俺はナユタを嫁にする」
「……は?」
「何だ、こんな事も解らんのか。嫁にするというのは結婚するという事だ」
「いえ、それくらい流石に解りますが……」
「今の俺は領主じゃないからな。相手がただの村娘でも身分の差とか、余計な文句を言われる筋合いもないしな」
「そもそもナユタさんがどこにいるか解りませんが……」
「転送の魔法陣で城から脱出したんだ。無事に決まってる。無事じゃないと俺が困るし、大枚はたいて魔法陣を作らせた昔の領主も浮かばれん」
「はあ……」
「とりあえずここにいる全員で傭兵団でもやって力を蓄えよう。そのついでに……いや、ついでじゃないな。むしろそっちがメインだ。ナユタを探そう」
「………」
「いやあ、楽しくなってきたな! はっはっはっ!」
「………」
やたらと陽気に高笑いするダルトンに、ドロシーを始め一同は唖然とする。
領地を含めほとんど全てを失ったその日の内に、高笑いをする領主などどこにいるだろう?
しかしひとつ言える事は、嘆き悲しむ暇も落ち込む必要もなく、慕う主君の元で再出発できる彼らは間違いなく幸福であるに違いない。




