第五章その5
「助けてよ! お母さんはまだ生きているんだ!」
教会全体に響く少年の悲痛な叫びに、ナユタは治療の手を止めてはっと顔を上げる。
見ると、トリアージを行なうアリスの元に血を流す女性が寝かされている。
叫び声を上げた少年の母親だろうか。
顔からは血の気が失せ、遠目にも危険な状態にあるのが見てとれた。
「大量出血による血圧低下、意識混濁、多臓器不全……この世界にはまだ存在しない輸血なしに救命は困難……」
アリスは淡々と説明するが、母親を亡くそうとしている少年が納得するはずもない。
「まだ死んでない! 生きてるじゃないか! 息だってしてるし、手をぎゅっと握ると笑って握り返してくれるんだ!」
「………」
「お願いだ……まだ助かるかも知れないじゃないか……たった一人の家族なんだ……見捨てないで……手遅れだなんて言わないでおくれよ……」
「ですが……あなたのお母さんは……もう……」
少年の悲痛な訴えも、アリスの反論も次第に弱々しく、消え入りそうになっていく。
ナユタは立ち上がると、少年を背中からそっと抱き締める。
「ごめんなさい……」
「………」
「アリスも本当はあなたのお母さんを助けたいの。治療に全力を尽くして、何もかも擲って、あなたのお母さんを助けたい。でもそれは出来ないの。他の助かる人を助ける事が出来なくなるから」
「………」
「アリスだって辛いの。辛いのを我慢して、あなたのお母さんを見捨てようとしているの。好きでこんな事をしているわけじゃない。辛くても、誰かを助けるために必要だから、そうしているの」
「………」
「ごめんなさい……他に何も言えないけど、ごめんなさい……あなたのお母さんを助ける力が私達になくて……」
「ううっ……お母さん……お母さん……」
少年の口から嗚咽が漏れる。
「いい子ね……だからお母さんに最期のお別れを言って。お母さんが安心して天国に行けるように……」
いつしかナユタも目に涙を溢れさせていた。
母親は自分の息子に手を握られ、アリスとナユタに看取られて、安心したように優しく微笑んで……そっと息を引き取った。




