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妄執世界のアリス  作者: 千里万里
第一部 夢見るアリス
33/124

第四章その12

 本陣で伝令から次々と寄せられる報告を聞いて、グロモフはほくそ笑んでいた。

 城門を破った報告が届いた時には、思わず側近と一緒に歓声を上げて手を打ち合って喜びを分かち合った。

 それ以降、喜ばしい報告ばかりが飛び込んでくる。

 今は安全な後方にいるが、もうしばらくしたら抵抗も収まり、自ら乗り込んでいけるようになるだろう。

 街での暴行や略奪は兵士どもにやらせて美味い汁を吸わせないと不満が溜まるが、城内の物は自分と側近達で独占したい。

 それよりも今まで散々に苦汁を舐めさせられた宿敵、ダルトンをどうしてくれよう。

 領民や臣下の前で屈辱的な目に遭わせようか? それとも死ぬ寸前まで拷問を続けようか?

 どちらにしろ、その想像はグロモフをいたく興奮させた。

 そして目の上のたんこぶであったダルトンに引導を渡すのに一役買ってくれたアリスだ。

 ダルトンを倒す秘策を授ける、報酬はいらない、と言ってやってきた怪しい二人組を、最初はあてにしていなかった。

 男臭い陣地の飾りにでも、と思ったが、ダルトンの伏兵の位置をずばりと予想し、綿密な行動計画を指示し、半信半疑で指示通りに軍を動かしたところ、大勝に繋がってからは見る目が変わった。

 アリスがいれば、どんな戦争でも負ける気がしない。

 隣の街、さらに隣の街と勢力を拡大していけば、いずれ大陸全土をも掌中に収める事ができる。

 そうなれば領主どころか国王だ。

 大陸全土の富と栄誉と美女を欲しいままに出来る。

 今までは子供じみた夢想だったが、これからは手の届く現実になるのだ。

 笑いがこみ上げて抑えられない。

 さて、次はどこの街に攻め込んでやろう……?

「や、やめろ! みんなを放せ!」

「それ以上進まな! グロモフ様の本陣だぞ!」

 兵士達が何者かを制止するほとんど悲鳴のような声が、グロモフの妄想を妨害する。

「騒がしいぞ。何事だ?」

 苛立ちを抑えられないままに振り返り、そして呆気にとられた。

 そこにはアリスとその従者ルイスがいた。

 ただそこにいただけではない。

 ルイスは五人の屈強な男をまとめてロープで縛り上げ、片腕一本で軽々と頭上に掲げている。

 それでいてこちらへと近付いてくる足取りは危なげないどころか、いっそ優雅とさえ言える程だ。

 目を疑う非現実的なその光景が、いっそ夢だと割り切れるならどれほど良かった事か。

「鋭利な刃物を手に襲い掛かってきたので、正当防衛と認められる範囲で実力行使し、現行犯逮捕しました」

 どさっと音を立てて、五人の身体は地面に放り出される。

「げんこう……何?」

 聞いた事もない言葉の連続に、グロモフの頭は理解が追い付かない。

「アリスと僕を殺そうとしたんですよ。この方達は」

「な、何? お前ら! どうしてそんな事を!」

 グロモフが尋ねると、首謀者であろう一人が答える。

「こいつらが来てから、グロモフ様はすっかり変わってしまった……」

 呻くような声で訴える。

「俺達の事には見向きもせず、口を開けば軍師殿、軍師殿……今はダルトンの野郎を倒せたから良いような物を、こんな得体の知れない奴らに任せて、これからずっと勝ち続けるとは限らないじゃないですか! いつか足元を掬われるに決まっている!」

「目を覚まして下さい! ダルトンを倒して、それでいいじゃないですか!」

「昔のグロモフ様に戻って下さい!」

 縛られた五人が口々に訴える。

「お前ら……」

 グロモフの口から力ない声が漏れる。

「つまらない」

 ルイスがグロモフの感傷を切って捨てる。

「アリスの力があれば、もうしばらくはいい目を見られますよ。いつまで続くかはあなた次第ですがね」

 ルイスは襲撃者の一人が使っていた剣をグロモフの前に放り出す。

「殺して下さい」

「………」

「アリスの命を危険に晒してまでここにいるつもりはありませんからね。僕らの命を狙った彼らを死刑にして富と領地を得るか、それとも昔からの仲間を助命して小さな街の領主で終わるか……?」

「………」

「もっとも、どちらを選んでも先はそう長くないでしょうが……」

 ルイスは挑発的な笑みを浮かべる。

「………」

 グロモフは無言で剣を手にする。

「………」

 強張った表情で床に倒れる仲間とルイスを見比べて……そして切っ先をルイスに向ける。

「それが答えですか」

「………」

「つまらない。本当につまらない。素晴らしい能力を持つアリスではなく、古くからいるだけの無能な臣下を選ぶのですか?」

「うるさい!」

 グロモフは声を荒げる。

「こいつらは昔から俺を支えてくれた仲間だ! 見捨てたりしたら、他の誰も俺に付いてきてくれなくなる!」

「だからあなたはダメなんです。敵や他人には幾らでも冷酷になれるのに、仲間には妙に優しい。いや、優しいのではない。甘いのです。仲間に、ではありません。仲間だった人間を無用だと切り捨てる非情さを持たない事で、自分に甘いのです」

「………」

「ダルトンを殺すのに手を貸してくれた事には感謝しています。しかしあなたでは足りない。アリスが求める暴虐の覇王には遠く及ばない」

「黙れ!」

 グロモフが叫ぶ。

「こいつらが敵に回ったら面倒だ! 殺せ! 生かしてここから出すな!」

 すでに全員が剣を手にして、アリスとルイスを半包囲している。

 ルイスはアリスを背中に庇うようにして兵士達と対峙する。

「やれ!」

 グロモフの命令を、兵士達は忠実に実行に移す。

 無数の剣が生意気な赤髪の青年の身体を貫く様を、グロモフは脳裏に思い浮かべる。

 しかしそれは甘い夢想に過ぎなかった。

 ルイスは半包囲の端にいる兵士に向けて右手を伸ばす。

 いや、言葉通りの意味で腕が延びた。

 剣がルイスの身体に届くより早く、剣の間合いに入るより先に、ルイスの手が兵士の喉輪を鷲掴みにする。

 そして兵士の身体を持ち上げたまま腕を横に振ると、包囲していた兵士達はまとめて吹き飛ばされる。

「この世界の技術水準で、この僕を破壊出来るとでも思っているんですか?」

 ルイスは平然と言い放つ。

 その腕は身長の二倍程に延びていた。

 袖の先からは白銀に輝く腕が延び、手首だけが人間の皮膚に覆われている。

「………」

 自らの理解を超える奇っ怪な光景に、グロモフは言葉を失う。

 人間の腕が金属製で、かつ延びるなどという事があり得るのか?

 神の御業か? 悪魔の所業か?

 目の前で起きた現実を、悪夢のように受け入れられずにいる。

「き、貴様、何者だ……?」

 一目散に逃げ出さなかったのは、なけなしのプライドを総動員したからに過ぎない。

 そしてもうひとつ、視界の端で動く人影があったからだ。

 側近の一人がルイスの死角になる位置で動いている。

 ルイスを狙ったところで勝ち目はないと判断したのだろう。

 せめてアリスの命を奪おうと画策していた。

 だからグロモフは必死にルイスの注意を引く必要があった。

「それを知ってどうするんですか? どうせ聞いたところで理解出来るはずないのに」

 ルイスの冷笑が返ってくる。

「死ね!」

 側近は地面を蹴って一気に距離を詰めると、剣を突き出す。

 剣はアリスの腹に突き刺さり、背中に抜けた。

「やった! やったぞ!」

 側近は狂ったように声を上げる。

 アリスは血を流して倒れる……かに思えた。

 しかしそれはまたしても夢想に過ぎなかった。

「………」

 アリスは剣に身体を貫かれながら、まだその場に立っていた。

 普通の人間なら、すぐにその場に倒れ、傷口から大量の血を垂れ流してのたうち回るに違いない。

 しかしアリスは悲鳴を上げる事もなく、ただ悲しそうに、自分を殺そうとした相手を見ている。

「な、なんだ……?」

 側近は剣から手を放して後退る。

 アリスは自分の腹から剣を引き抜くと、その場に放り出す。

 衣服には手の平くらいの大きさの赤い染みが広がったが、出血はすでに止まっているらしく、それ以上は広がらない。

 本来なら、床に血溜まりをぶちまけていたはずなのに……!

「ひいっ……! ば、化け物だ……!」

 側近は悲鳴を上げて一目散に逃げ出す。

 ルイスもグロモフも、その情けない醜態には注意を払わない。

 ただアリスだけは、小さくなる背中を寂しげな目で追っていた。

「さて、あとはあなただけですが?」

 ルイスは冷たい視線をグロモフに向ける。

 恐怖が冷たい感触という実体を持って背中を撫で上げた気がして、グロモフは剣を振りかぶる。

「う……うわあああああっっっっっ!!!!!」

 狂ったような声を上げて力任せに振り下ろす。

 しかし返ってきたのは肉と骨を断ちきり、血が溢れ出す慣れた感触ではなく、重い質量を持つ塊を殴り付けたような堅い感触と金属音だった。

 手に走る痺れに剣を取り落としそうになる。

「ひいいいいいっっっっっ!!!!!」

 さらに何度も何度も剣を打ち付けるが、ルイスの身体は血を流して倒れるどころか、小揺るぎもしない。

 いよいよ息が上がり、剣を握る手が痺れ、腕を上げる事すら辛くなってきた頃、ルイスは無造作に手を伸ばし、手の平でグロモフの顔を鷲掴みにする。

 そしてわずかに力を込めたようにしか見えないのに、グロモフの頭部は熟れ過ぎた果実のように内容物を地面に撒き散らして割れ砕ける。

 宿敵ダルトンを相手に勝利を目前にしていたグロモフは、呆気なくその生涯を閉じた。

 アリスとルイスにとっての便利な駒が失われた事になるのだが。

「命令を出す人達が全滅しましたが、狂騒のただ中にある軍がいきなり止まるはずなどありませんね」

「………」

 使い捨ての駒が使い物にならなくなったところで、惜しくも何ともない。

 必要な用事は果たしてくれたし、遠からずグロモフと決別する事は解っていた事だ。

 いずれにしろ、水が高所から低所に流れるのを留める事が出来ないように、動き出した事態を止める術は最早どこにもない。

「さて、そろそろナユタさんを迎えに行きましょうか」

 酒場に繰り出すような気軽さで、ルイスは言った。

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