第四章その6
詰まるところ、戦争というのは目隠しをして行なう殴り合いである。
数百から数千、あるいは数万から数十万といった大都市の住民にも匹敵するような人数をひとつの意志の元に行動させ、数キロから数十キロといった距離感で、同じ規模の敵軍の状況を把握して戦闘を行なうのだ。
偵察の報告や遠距離からの目視といった限られた情報をかき集め、状況を推測し、敵に先んじなければならない。
古の兵法書に曰く、鳥立つは伏なり。
水鳥が飛び立った時は敵の伏兵が潜んでいる、という意味のこの言葉は、些細な変化から敵の動向を把握しようとした先人の努力を象徴している。
科学文明が発展してもなお、いや、そうなれば尚の事、軍人達は敵軍の状況を把握するのに心血を注いだ。
望遠鏡に暗視スコープ、軍事衛星といった道具を敵に先んじて開発してきたのだ。
アリスの情報収集能力は、世界の未来を予測し、改変するための物である。
限定された戦場の出来事を把握して軍を動く事など、陽の当たる道を歩くのと変わらないほど容易い事だ。
さらにその頭の中には過去の戦争のデータが漏らす事なく納められている。
かつて何度も歴史を覆してきたアリスにとって、中世ヨーロッパと同等レベルの文明水準にあるこの世界の戦場を思いのままにコントロールする事など雑作もない。
最初の戦闘では、森の中に伏兵を潜ませたダルトンの軍に対し、本隊を普通に進ませて注意を引きつつ、別働隊に背後から急襲させて挟撃し、壊滅に追いやった。
次の戦闘では、柵を並べて防御を固めるダルトンの軍に対し、正面から軍をぶつけた。
普通なら誰もが見逃してしまうようなわずかな隊列の乱れも、アリスにとっては最初から解っている予定調和の範疇に過ぎない。
そこに兵力を集中させ、たちまちダルトンの軍を分断し、思う存分に撃ち破った。
そして今、三度目の戦闘を迎える。
本陣でグロモフの側に控えるアリスとルイスの元に、斥候からの報告が届く。
「報告します! 敵軍を率いるのはダルトンです!」
「何!」
グロモフは声を上げてイスから腰を浮かせる。
街の領主なのに、野盗の方がよっぽど相応しいような、荒々しい見た目の中年男性である。
「奴がついに……! どうする……? 勝てるのか……?」
「落ち着いて下さい、グロモフ様」
ルイスが心の底からつまらなさそうに言う。
「ダルトンが出てくるのは、以前にアリスが指摘した通りです。後はアリスがすでに示した作戦通りに軍を動かせば、必ず勝てます」
「おお、そうか。そうだったな……アリスの作戦があれば問題ないな……」
グロモフは見た目の割に気が小さい。
調子の良い時は問題ないが、ちょっとした不安要素があると気の弱さが露呈する。
その辺りがアリスとルイスは気に入らないところだが、大した問題ではない。
「………」
アリスは無言で席を立つ。
「おや、軍師殿はどちらに行かれるのですか?」
「………」
そして何より、時折、向けてくる好色そうな視線が腹立たしい。
欲望に塗れた視線に晒されるのは何度経験しても慣れそうにない。
「アリスは少し気分が悪いようなので、しばらく席を外させていただきます」
ルイスがアリスを庇うように割って入る。
「だが状況がいつ変化するか解らない。ここにいた方が……」
「最初に提示した作戦で問題ありませんよ」
ルイスはグロモフの返事を待たずにアリスを連れてその場を離れる。
すでに結末を約束された戦闘に、興味はなかった。
不快な場所に長居する必要はどこにもない。




