表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
妄執世界のアリス  作者: 千里万里
第一部 夢見るアリス
26/124

第四章その5

 数日後、不安を抱えながらもメイドとしての仕事をするナユタの元に、二人の兵士がやってきた。

「お前がナユタか?」

 兵士はナユタを見付けるなり、詰問口調で声をかけてくる。

「は、はい……そうですけど……」

「ダルトン様がお呼びだ。来るんだ」

 そしてナユタの腕を掴むと、乱暴に引っ張って連れて行こうとする

「え? ま、待って下さい! どこに行くんですか? 何の用ですか?」

「着けば解る。さっさと歩け!」

「お待ちなさい!」

 そこにドロシーの一喝が割って入る。

「ナユタは私の部下です。乱暴は許しません。その手をお離しなさい」

「我々はナユタを確実に連れてくるように命令されています。ドロシー殿の命令でも承服しかねます」

「では私が付き添います。それで構いませんか?」

「………」

「………」

 二人の兵士は顔を見合わせると、二、三、言葉を交わして頷き合う。

「いいでしょう。ご同道お願いします」

 兵士が手を放してくれたので、代わりにドロシーの腕に掴まる。

「あ、ありがとうございます」

 兵士に腕を掴まれて感じていた恐怖が和らぐ。

「いえ、部下を守るのはメイド長として当然の責務です」

 にこりともせずにドロシーは言う。

「ですがここ最近、城内の雰囲気が悪くなっています。悪い事にならないと良いのですが」

「………」

 ナユタとドロシーは二人の兵士に先導されて城内を歩く。

 そして辿り着いたのは大広間だった。

 中に通されると、会議の真っ最中だった。

「失礼します! ナユタを連れてきました!」

「ご苦労。下がっていいぞ。ナユタはそこの席に座れ」

「はっ、はい……」

 ナユタは指示された席に移動する。

 いつもは優しいダルトンの険しい表情が、見ていて辛い。

 出席者の多くは軍人らしく、鎧を着た男性だ。

 戦場で怪我をして戻ってきたのか、包帯を巻いた痛々しい姿の者も見受けられる。

 しかしこのぎすぎすした空気はどうした事だろう……?

 いたたまれない気持ちで、指示された席に座る。

「ダルトン様、私も同席してよろしいでしょうか?」

「関係ない者は下がっておれ!」

 ドロシーの訴えに、心ない野次が飛ぶ。

 しかしドロシーは眉ひとつ動かさない。

「ナユタはこの城に来て日が浅く、ましてこのような場所は不慣れです。萎縮してしまっては皆様に余計なお時間を取らせる事になってしまいます。私が側にいた方がよろしいのでは?」

「まあいいだろう」

 結局はダルトンの一言で、ドロシーの同席が認められる。

 しかし席が足りないので、ドロシーはナユタの後ろに立つ。

 それを待って、怪我をした騎士らしい中年の男が口を開く。

「ナユタとかいうメイドはお前か?」

「は、はい」

 初対面なのにどうしてお前呼ばわりされないといけないのだろう? と反発を覚えるが、高圧的な物言いに圧倒されて言い出せない。

「お前がこの城に来たのは、グロモフの軍が攻めてくる一週間ほど前だと聞いたが、間違いないな?」

「はい、そうです……」

「なるほど。時期的には合ってるな」

「………」

 何だろう? 何の話をしているだろう? さっぱり理解できない。

 不可解に思うナユタを余所に、ほとんどの出席者が親の仇でも見るような目でナユタを見ている。

 視線の重圧に耐えかねて、膝の上に乗せた両手をぎゅっと握り締める。

「我が軍にグロモフ側のスパイが潜入して、情報を漏らしている疑いがある」

 さらに続く言葉は、ナユタにとって思いも寄らない言葉だった。

「ナユタとやら。お前が我が軍の情報をグロモフの軍に情報を流しているスパイではないのか?」

「え……?」

 ナユタは思わずイスから腰を浮かせる。

 愕然とした思いで一同を見渡すが、重い沈黙だけが大広間を支配している。

 鈍器で強打されたような衝撃が、がんがんと頭を揺さぶっている。

「冗談……ですよね?」

 何とか笑おうとする。

 しかし頬の筋肉が辛うじて引きつったに過ぎない。

「冗談である物か!」

 鋭い一喝が実際の風圧を伴ったかのように、ナユタの細い身体を打ち据える。

「スパイがいるに違いない……! そうでもなければ、我が軍が一度ならず二度もグロモフの軍なんぞに後れを取るはずがないのだ……!」

「二度……?」

 最初の敗北は知っている。

 二度目の出陣は知っているが、その敗北は初耳だった。

「とぼけるな! スパイであるお前なら知っているはずだ!」

「わ、私、スパイじゃありません!」

 ナユタは勇気を振り絞って声を張り上げる。

「お前の知り合いがグロモフの軍にいるそうだな」

 ダルトンにアリスとルイスの事を話しているのを聞いていたのか……?

「そいつに我が軍の情報を伝えているんだろ? そうに違いない!」

「知り合いがいるのは事実です! ですがそんな事はしていません! 私は軍の情報なんて知りませんし、二人に情報を伝える事も出来ません!」

 挫けそうになる膝を必死に支えながら、ナユタは反論する。

 大広間全体に漂う、ナユタが犯人だと決め付ける重苦しい空気が呼吸を苦しくさせる。

 この城に来てから半月ばかり、全員と知り合ったわけではないが、それでも解り合えている人はたくさん出来たと思っていたのに、そうではなかったと思い知らされるのが辛い。

 そして何より、ダルトンが渋い表情のまま何も言わないのが辛い。

 この城に自分を連れてきた張本人であるダルトンが助けてくれないのが辛い。

 それでも、自分一人が知る潔白だったとしても、それを主張しなければこの城での楽しかった日々を裏切る事になる。

 それだけはナユタの心が許さなかった。

「なら、お前がスパイじゃない証拠はあるのか?」

「スパイじゃない証拠……?」

 ナユタは反論に窮する。

 ある事の証明は簡単だが、ない事を証明するのは難しい。

 アリスならそれを「悪魔の証明」と呼ぶ事を知っているが、この場にいる誰もがその概念を知らない。

「そんなの、証明できるはずが……」

「ダルトン様! 我々はダルトン様とこの街のために命を投げ捨てて戦う覚悟ですが、スパイと疑わしい者がいる状況では戦えません! この者に厳正な処罰を!」

「牢に入れろ!」

「縛り首にしろ!」

「拷問だ! 拷問にかけて吐かせるんだ!」

「火炙りにしろ!」

 処刑に賛同する叫びが上がり始め、ナユタは今すぐにもこの場で殺されるのではないかという恐怖に襲われる。

 膝ががくがくと震え、両腕で自分の肩を抱いていないと、崩れ落ちてしまいそうだった。

「お待ち下さい」

 氷のように冷静な言葉が、残酷な熱狂が渦を巻く大広間に投じられる。

 幼き日から仕え、誰もが一目置くメイド長の一言に、一同は水を打ったように静まり返る。

「確かな証拠もなく、ただ疑わしいというだけで、か弱い娘一人を寄ってたかって処罰しようというのが、民の見本となるべき誇り高き騎士のなさる事ですか! 恥を知りなさい!」

「し、しかし……」

 ドロシーは抗議の声を冷徹に黙殺し、ダルトンに向き直る。

「ダルトン様。若い娘を牢に入れるというのは酷な事です。ナユタの身柄は私の方で預からせていただき、私の部屋に軟禁したいと思います」

「………」

「………」

「………」

 ドロシーの言葉が終わると、沈黙が訪れる。

 一同の視線が集まるのはドロシーではない。

 誰もがダルトンの一挙手一投足に集中し、その口が開くのを待った。

「ドロシーに任せる。監視を怠らないように」

 ダルトンは感情のこもらない、短い言葉で告げる。

 ドロシーが「かしこまりました」と返事をすると同時に、ナユタは脱力してどさっとイスに座り込む。

「話は終わった。早々に退出するように」

 続く言葉が追い打ちをかける。

「さあ行きましょう。ここはもう私達のいるべき場所ではありません」

「は、はい……」

 力なく返事をして、ナユタはドロシーの手を借りて席を立つ。

「我が軍は二度までも苦汁をなめさせられた。次はもう後がない。必勝を期し、今度は私自らが指揮を執る!」

 ダルトンの力強い宣言に、湧き上がる歓呼の声が大広間を埋め尽くす。

 その声に押し出されるように、ドロシーに支えられたナユタはひっそりと退出する。

 胸にはただ虚しい思いだけが残った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ