第四章その5
数日後、ナユタとアルバートは呼び出されて王宮を訪れた。
国王ラインフェルトを始め、ナユタが初めて見る顔が並んでいて思わず緊張したが、見知ったイレーナの姿が混じっていて少し安堵する。
そして先日、ナユタを追い回したラルダーン帝国の騎士三人と、彼らを従えるように、一人の男が姿を見せる。
いかにも貴族然とした服装のその男は、居並ぶ面々を前にして臆する事なく口を開く。
「お初にお目にかかります。私の名はサーストン。偉大なるラルダーン帝国皇帝マティアス陛下の命によりこのルナルディンの地に派遣されました。以後お見知り置きを」
そして芝居がかった大仰な仕草で身体を折る。
「まず我が国の者が貴国の城下を騒がせた事を、皇帝陛下に成り代わり、深くお詫び申し上げます」
口では殊勝な事を言うが、口元にはにやにやと笑いを浮かべている。
「まず貴殿に伺いたいのは……」
列席者の一人が口を開く。
「貴殿らが我が国で乱暴狼藉を働いた理由を問いたい」
「皇帝陛下はそちらにいらっしゃるナユタ様を探し、各地に人員を派遣していました。この三人が当地に派遣されていた者です。先日、市場でナユタ様を見付け、声をかけたところトラブルになりました。そのように聞いています」
「ラルダーン帝国皇帝が何故その娘を捜している?」
「ナユタ様は皇帝陛下が即位されるのに尽力され、しばらく前まで我がラルダーン帝国に滞在していました。その折に、陛下がナユタ様を見初められたとの事です」
サーストンの淀みない答えに、ルナルディンの面々はざわめく。
「ルナルディンの城下を騒がせた事は当方としても誠に不本意であり、幾重にもお詫び申し上げます。そしてラインフェルト国王陛下の寛大な御心を持ちまして、かの娘をお引き渡しいただければ、我らが皇帝陛下は聖恩に深く報い、両国の友好と平和は何よりも深く、強固な物となるでしょう。しかし……」
サーストンの笑みが、冷たい刃の輝きを閃かせる。
「もし、かの娘をお引き渡しいただけない場合、武力を以てこの地に侵攻し、ルナルディンの地を尽く蹂躙し、灰燼に帰せしめ、歯向かう者は残らず首を切って晒し、草の根分けてもかの娘を探し出し、余の前に連れて参れ……我が皇帝陛下はそのように申しました」
再び場がざわめく。
取りようによっては宣戦布告とも受け取れる、挑発的な宣言。
それはルナルディンの面々の心証を著しく害し、サーストン自身の立場と命さえ危うくする物だ。
自らへの憎悪と警戒が募っていく様を肌で感じながら、それこそが目的であるかのように、サーストンは薄ら笑いさえ浮かべて対峙する。
「貴国は我が国と一戦交える事を望んでいるのか?」
「滅相もございません。我が国は貴国との友好親善を何よりも重んじております」
「そのような価値が、この小娘にあると本当に思っておられるのか?」
「私やこの場にお集まりの皆様にとっては何の価値もない小娘でしょう。ですが我が皇帝陛下にとってはそうではありません。何物にも代えがたい価値を、皇帝陛下だけがナユタ様にお認めになっているのでしょう」
「………」
「皆様、良くお考え下さい。我がラルダーンとルナルディンの間で戦火を交えるような事態になれば、どちらが勝つにしろ双方に甚大な被害をもたらすに違いありません。しかし、かの娘一人を差し出すだけで、貴国は我が国との末永い友好と平和を得られるのです。貴国の国益のためにどうすればいいか、賢明な皆様であればよくご存知かと思われます」
またしても場がざわめく。
我が国の平和のために……しかしそれではその娘は……誰もが戸惑い、不安をぶつけ合うように口々に自分の意見を吐露し合う。
そんな中、一人冷静に声を発する者がいた。
「サーストン殿」
アルバートだった。
「どんな美辞麗句で飾ろうと、あなたは卑劣な脅迫者に過ぎません」
ただ静かに、事実を指摘するだけの丁寧な言葉。
しかしその一言で、その場は水を打ったように静まり返る。
「脅迫……何……?」
たった一人、場を支配し、ルナルディンの人々を翻弄していたはずのサーストンが声を震わせる。
「卑劣な脅迫者だと……私や我が皇帝陛下が……?」
「ただ一人の少女の身柄を確保するためだけに、戦争を振りかざして多くの人命を盾にする……これを卑劣と呼ばずに何と呼ぶのでしょう? 脅迫と呼ばずに何と呼ぶのでしょう?」
「し、しかし……」
列席者の一人が声を上げる。
「やはりその娘一人のために戦争をするのは……」
「その娘はお前が世話しているのだろう? 情が移っているからそんな事が言えるのだ」
そんな言葉を小声で囁き合う。
「今回、ラルダーンが要求しているのはナユタさん一人の身柄です。しかしこれで終わるという保証がどこにありますか? その次はあなたの! あなたの! 奥さんかも知れない。娘さんかも知れない。そういう事なのですよ?」
「………」
「そしてその次は? 領土? 街? 要求がエスカレートしていっても、あなた方はいつまでも反戦を唱え続けるのですか? 守るべき民も国家としての矜持も何もかも卑劣な脅迫者に売り払って、何が残るというのですか?」
アルバートの舌鋒はどこまでも鋭さを増していく。
それは隣にいるナユタが危機感を覚える程に。
「あ、あの……アルバートさん……」
「心配しないで下さい。ナユタさんの事は私が必ず守ります」
「え?」
「卑劣な脅迫者の手に、あなたを渡したりはしません」
「………」
そう言ってナユタの手をぎゅっと握ってくる。
その手は温かく、頼もしい。
だけど……。
「国家にとって国民は財産であり、礎であります。国民を守るために全力を尽くさないなら、何のための国家なのでしょう?」
「だからと言って娘一人のために国家の行く末を危うくするなど馬鹿げている!」
「その娘だって昔からルナルディンで暮らしている訳ではなく、しばらく前に来たという話ではないか!」
議論はますます紛糾していく。
「あ、あの……!」
そんな中、ナユタが必死に声を上げる。
「サーストンさん……でしたよね?」
「ええ、そうですが。私に何か?」
「私を探しているのは……本当にマー君なんですよね?」
「マー君?」
「あ、皇帝マティアス陛下の事です」
「こ、皇帝陛下の事をマー君だと? 不敬な!」
口角泡を飛ばし、サーストンが激怒する。
これまで注視していた面々もざわめき出す。
「偉大なる皇帝陛下を……どこの馬の骨とも知れぬ田舎娘の分際で……マー君などと……ここが帝国であれば即座に縛り首だぞ! 取り消せ! 謝罪しろ!」
「私は面と向かって何度もマー君と呼んだわ。あなたが知らないのは無理もない事だけど、不敬なのはどっちかしら?」
「ぐ……それは……」
サーストンは悔しげに唇を噛み締めてたじろぐ。
「それで聞きたいんだけど……私を探しているのは本当にマー君なの?」
「だからその呼び方を……そうだ。お前を探しているのはマティアス皇帝陛下だ」
「本当に? ルイーザ様……とかではなく?」
「ここしばらく人前に姿を見せていないルイーザ様がどうかしたのか?」
「ルイーザ様に何かあったの?」
「知らん。公式な発表は何もないし、風の噂では心を病まれたとしか……」
「………」
ナユタは表情を険しくして黙り込む。
「それがどうしたというのだ? お前がどうしても来ないというのなら、本当に……」
「行きます」
「何?」
「私、ラルダーン帝国に行きます」
決して大きい声ではない、しかししっかりと言い切ったナユタの言葉に、一同はざわめく。
中でもサーストンは相好を崩して喜びを露わにする。
「おおっ! 我々と来ていただけるのですか?」
「勘違いしないで。私はマー君が私を必要としていると思うから行くの。あなたの卑劣な脅迫に屈したからじゃない」
ナユタはぴしゃりと言い放つ。
そしてルナルディンの面々に向き直る。
「みなさんも聞いた通りです。私はラルダーン帝国に行きます。だけどそれは私がそうするべきだと考えたからです。もし今後、ラルダーン帝国から理不尽な要求があっても、その時は決して屈しないで下さい。だから……」
「ナユタさん、早まってはいけません」
アルバートが割って入る。
「帝国に行けばどんな事になるか、解らない訳ではないでしょう?」
「それはそうだけど……」
ナユタは知っている。
自分がラルダーン帝国に行けばどうなるか。
自分とは全く違った暮らしをして、全く違った価値観しか持たない人達に囲まれ、心から信頼できる友もいない城の中で一生を過ごす……。
それなら薄暗く湿った牢獄とどっちがマシだろう?
「でも……それでも私は行かなくちゃいけない」
自分にはその責任がある。
マー君が玉座に着く手助けをしたのは他ならぬ自分だから。
そのせいでマー君が幸せになれないのだとしたら、その責任は自分にある。
「たとえ私がどんな事になるとしても……」
「私じゃダメなんですか?」
「……はい?」
アルバートの言いたい事が解らず、ナユタは首を傾げる。
「皇帝と比べれば役者不足なのは解っています。ですがナユタさんを守りたいという気持ちも、ナユタさんを必要としている気持ちも負けるつもりはありません。だから……皇帝じゃなく、私を選んで下さい。お願いします!」
「あ、あの……アルバートさん……?」
「何でしょう?」
こちらの両手を包み込むようにぎゅっと握り締め、鼻と鼻がぶつかりそうな程に顔を寄せてくるアルバートに、ナユタは恐る恐る尋ねる。
「一体……何の話……をしている……の?」
「………」
「………」
至近距離で見つめ合いながら、尋ねた方も尋ねられた方も黙り込む。
その時だった。
「誰だ!」
広間の一角から鋭い声が飛ぶ。
ナユタが振り返ると、アリスとルイスが広間に侵入してくるところだった。
「何者だ? 貴様ら!」
「衛兵は何をしている? 陛下の御前であるぞ!」
「ここは関係者以外立ち入り禁止だ! 出ていけ!」
たちまち罵声が飛ぶ。
しかしアリスは悪びれた様子もなく、平然と答える。
「私が招かれざる客であるのは承知している……しかしこの場に相応しくない者が他にもいないか?」
アリスのほっそりとした指がナユタを……ではなく、その隣に立つアルバートをしっかりと指し示す。
「ただ一人、ナユタを引き渡さない事を主張するこの男、アルバートは、長年に亘って国王陛下より目をかけられ、多額の援助を受けながら、その実、国王陛下がルナルディンを統治する事に疑問を呈する研究をしている……」
アリスは冷めた瞳で広間を見渡す。
得体の知れない少女の言葉を聞き漏らすまいと、一同は息を殺す。
「国王陛下に叛意を持つその男の言葉に、耳を傾けてはいけない」
「………」
名指しされたアルバートは、彫像になったように動かない。




