第三章その4
一斉に飛び出す両者。
その先にあるのは森を抜ける細い道だ。
馬車と魔動車が並ぶだけの幅がない道に、真っ先にアルバートが駆る魔動車が飛び込み、イレーナの馬車がその後に続く。
「やった!」
ナユタは思わず快哉の声を上げる。
追い抜きが困難な道で先手を取った以上、アルバートの有利は明白だ。
改めてアルバートの新型の魔動車をよく見る。
軽量化のためだろう、今までの物より全体にスリムになった印象を受ける。
積める荷物は少なくなっているだろうが、その分だけ速くなっているに違いない。
アルバートが一週間、不眠不休で作業に没頭する様を見守っていたナユタとしては感慨深い物がある。
ナユタの隣で手綱を握るイレーナの横顔を窺うと、厳しい表情をしていた。
「今までの物より確実に進歩している」
後ろの席からアリスが身を乗り出して言う。
「軽量化だけではない。魔導炉の出力も確実に上昇している。限られた時間でこれだけの進歩を実現した事は流石だと言わざるを得ない」
「そ、そうなの? じゃあアルバートさん、このまま勝っちゃうんじゃない?」
ナユタは喜色満面で言うが。
「それはない」
アリスは静かに首を左右に振る。
「魔動車の優位は馬の疲労を気にせずに一定のペースを維持できる事にある。従って戦略としては序盤で馬車を引き離し、疲労させ、そのまま勝つしかない」
「あっ……」
言われてナユタも気付く。
先手を取られたにも関わらず、イレーナは不機嫌そうではあっても慌てた様子は全くないし、馬を急がせようという素振りも見せない。
道幅が狭いから追い抜けないだけで、アルバートが勝つにはこの時点でイレーナを引き離し、振り回して疲労させるくらいでないといけないのだ。
「確かに軽量化と出力向上は上手くいっている」
アリスは厳しい口調で言う。
「しかしスピードアップの代償として、安定性が失われている。馬で引く馬車の車輪の役目は路面抵抗を減らす事でしかないが、魔導炉の出力を地面に伝える魔動車の車輪が馬車の車輪と同じで良いはずがないというのに」
「………」
ナユタはまたしても気付かされる。
こちらの馬車は多少の振動はあっても安定して走っている。
しかしアルバートの魔動車は時折、大きく跳ねて姿勢を乱したり、斜めを向いたりしている。
一人、暴れ回る魔動車の挙動を必死に押さえ込んでいるアルバートの様子がありありと目に浮かぶ。
「アルバートは確かに天才」
アリスは言う。
「しかしここまでが今の彼の限界だと言える」
「そんな……」
ナユタは膝の上で拳を握り締める。
アルバートが魔動車の開発に情熱を傾けていた事を、ナユタは知っている。
嬉しそうに魔動車について語るアルバートを、魔動車が切り開くであろう未来を語るアルバートを、ナユタは知っている。
今日の勝負のために寝る間を惜しんで魔動車の改良に取り組んだアルバートを、ナユタは知っている。
その努力も情熱も報われないのか?
勝負に負けて魔動車が切り開く未来は閉ざされてしまうのか?
悔しくて仕方がないであろうアルバートの気持ちを思って、ナユタは唇を噛み締める。
「アルバートは……」
イレーナが口を開く。
「アルバートは本当なら、この国の宰相として辣腕を振るい、この国の平和と発展に貢献すべき人材なのですわ」
「………」
「それなのに……! 魔法が使えないにも関わらず目をかけているというのに……! アルバートがかまけているのは、ハンデを付けてもなお馬車に勝てない玩具ではないですか……!」
イレーナはアルバートへの不満をぶちまける。
その勝手な言い分に、ナユタは反発を覚えずにはいられない。
「アルバートさんは、魔動車はこの世界を変える発明だって言ってました」
「………」
「今は魔動車は馬車に勝てません。でもいずれ発展すれば馬車よりスピードが速くなり、たくさん荷物を運べるようになって、世界を一変させるって……」
競い合う魔動車と馬車は狭い森の道を抜ける。
見晴らしの良い広い草原に出て、ナユタは降り注ぐ日光の眩しさに目を細める。
「たくさん荷物を運びたければ、馬と馬車をたくさん増やせばいいではありませんか!」
イレーナは手綱を操って馬を急がせる。
馬車はスピードを上げ、先を行く魔動車との距離をみるみる縮めていく。
「世界を変えるだなんて夢みたいな事を言って! 遠い未来ばかり見て私達を見ないで! このままでいいではありませんか! この国は安定していて、確かに魔法を使える人と使えない人の差があっても貧しい人がそれほど多い訳ではありませんし、何が不満なのですか! 今の幸せが続く事を願ってはいけないのですか?」
そして馬車はついに魔動車の隣に並ぶ。
「馬車を増やすには限界があります」
アルバートが心なし悲しげな声で言う。
「馬が子供を産むペース、馬が暮らす草原、馬を育て調教する人も馬車を操る御者も、一朝一夕に増やす事はできません。ですが魔動車は違う。生産性を向上する手段はいくらでもあるし、性能だっていずれ馬車を超えていきます」
「そ、それは……」
「確かに今の国王陛下はとても素晴らしい方です。魔法を使えない私にも目をかけてくれますし、誰もが概ね幸せに暮らせています。ですがその優しさは上から与えられる慈悲であって、私が求めている、誰もが尊重される事とは遠くかけ離れた物です」
「今のままでは幸せではないのですか? 今ある幸福で満足はしないのですか?」
「今の国王陛下もいずれ亡くなります。その子や孫の代は? そもそも現在の国王一族が国を治めている保証は? この国にどんな政変が起きても揺るがない、魔法を使えない者にも確かな自立をもたらすために、魔動車を開発しているのです!」
そうしている間にも、イレーナの馬車はアルバートの馬車を追い抜いていく。
「この勝負は私が負けます。ですが私は諦めない。魔動車がダメなら魔導炉を別な物に応用します。世界を次のステージに進め、新しい時代を迎えるために、私は決して諦めない!」
「あなたという人は……! どうして解ってくれないのですか……! 夢みたいな事ばかり言って……! どうして周りの私達の事を……!」
イレーナの言葉を遮るように、乾いた拍手の音が響く。
アリスだ。
一同の注目を集める中、アリスが淡々と手を叩いている。
「馬車の限界という知見も、国王の有り様に関する考察も、魔動車に見出した壮大な夢も、この時代の凡人には到底成し得ない物。確かにアルバートはこの時代の天才と呼ぶに相応しい。しかし……」
アリスは僅かに声を低める。
「あくまで、この時代の天才、でしかない」
「………」
「その夢を叶えた先にどんな未来が待ち受けているのか……今からそれをご覧に入れる」
アリスがそう言い切るのと同時に、背後から何かの音が迫ってくる。
ナユタが振り返ると、果たして土煙を巻き上げて何かが近付いてくる。
女三人を乗せて全力で走る二頭立ての馬車に追い付く物があるとすれば、一人だけを背に乗せ、馬車を曳かない馬しかあり得ない。
しかし伏せた槍の穂先を思わせる地を這うような低い姿に、四つの黒い車輪が大きく張り出し、後部には大きな板を備えたそれが馬であるはずがない。
ナユタが今まで見た記憶がない、そして恐らくこの世界に一度として存在した事がないそれは、悪夢でも見ているかのようなスピードでみるみる馬車に追い付き、悠々とその隣に並ぶ。
「やあ、みなさん、何やらのんびり走っていますね。勝負はどうしたんですか?」
それにはくぼみが開いており、そこからルイスが頭だけを覗かせて言う。
「何って……勝負の真っ最中よ!」
「それはすみません。あまりにゆっくり走っているように見えましたので勝負は終わって仲良く走っているんだと思いましたよ」
語気を荒げるナユタにルイスはへらへらと笑うが、絶対にわざとだとナユタは確信している。
「あなた……私達がスタートした時にはその場にいたのに、一体どうやって……?」
「どうやって? これに乗って追い付いた以外に何かあるんですか?」
声を震わせるイレーナに、アルバートは嘲笑を返す。
「これが魔動車に秘められた可能性」
アリスが言う。
「物理シミュレーションの結果を反映した魔導炉の出力向上はもちろんの事、車体ではなく車輪の内部に魔導炉を搭載するインホイールモーターの採用によって駆動ロスを低減すると共に低重心化を実現。車体は極限まで空気抵抗を減らした流線型かつ低姿勢に、タイヤにはゴムを巻く事で大幅に向上した出力を余す事なく地面に伝える。大型のリアウイングでダウンフォースを生み出す事により、軽量化に伴うトラクション不足を補う」
「………」
「私が元いた世界に存在したフォーミュラマシンの設計を魔動車に応用する事で、魔動車がいずれ至るであろう未来の姿を予想してみた」
「バカな……」
アルバートが愕然と声を絞り出す。
「いくら元になる設計があるとはいえ、一週間でこんなに先進的な設計の物を完成できるはずがない……」
「そう、アルバートの言う通り……それが人間ならば、の話だが」
アリスは滔々と語る。
「ルイスは人間ではない。私が開発した高性能AI、TYPE-ALICEを搭載したアンドロイド……それがルイスの正体」
アリスの語る言葉は、三人には耳慣れない単語が並ぶ意味不明な物だ。
しかし不思議な説得力と圧力を以てその心に突き刺さる。
「休む事もなければ眠る事もない。ありとあらゆる作業を人間以上の精度とスピードでこなし、そして人類から仕事を、生きる場所を奪った。それがルイスを構成する物の正体」
「………」
「確かに文明の発展は人々に幸福をもたらす。人々を飢えや病から解放し、世界の果てまでも瞬く間に人や荷物を運び、誰もが世界に向けて情報を発信できるようになり、人々が平等な権利を保障される世の中をもたらす……少なくとも、短期的には」
「短期的に……は?」
「数百年、あるいは数千年先までは問題ないだろう。しかしその先、人間より安価で高性能な労働力が生まれた時、社会は人間を必要としなくなる。そんな時がいつか必ず来る」
「………」
「アルバート。あなたは確かにこの時代の天才だ。しかし未来の天才ではない。あなたにその覚悟はあるか? 人類に滅亡をもたらすその最初の一歩を、あなたが踏み出すその覚悟はあるか?」
「そ、それは……」
アルバートは口ごもる。
「話は済みましたか? それじゃあ僕は一足先にゴールで待っていますので」
ルイスの魔動車がスピードを上げ、一気に引き離しにかかる。
かなり遅れてイレーナの馬車がそれに続いて、アルバートの魔動車を置き去りにして……。
勝敗は呆気なく決まった。




