第8話:王家からの呼び声
【アルビオン王国・王宮】
「開かずの砦」の一件はギルドマスターのヴァルガスから、王宮へ極秘裏に報告された。
アルビオン王国の中枢近くに潜んでいた帝国の脅威。それをたった一人で一夜にして排除した正体不明の英雄。報告を受けた国王アルフォンス四世は、その驚愕の事実をすぐには信じられなかった。
「ヴァルガス殿はかの者の実力を保証すると?」
「はっ。我がギルドの誇りに懸けて」
玉座の間での国王とギルドマスターの密かな会談。ヴァルガスの揺るぎない言葉に国王は深く頷いた。
「…分かった。その《翠玉の託宣者》とやら、我々も一度顔を見ておく必要がありそうだな」
その数日後。エリアーヌの元に祖母《大地の魔女》から遠話が入った。
『…やれやれ、とんだことになったねぇ。王家からお前に直々の、しかも名指しの依頼が来たようだよ。断ればかえって怪しまれるだろうねぇ』
依頼内容はセシリア姫の野外訓練への慰問に、護衛として同行すること。
先日の死闘で味わった恐怖がまだ生々しいエリアーヌは気乗りしなかったが、断る選択肢はなかった。
王宮の一室、百合の紋章が飾られた「白百合の間」。
エリアーヌは《翠玉の託宣者》として護衛対象であるセシリア姫と顔を合わせていた。
蜂蜜色の髪を結い上げ優雅なドレスに身を包んだ姫は、エリアーヌと同い年とは思えないほどの落ち着きと品格を備えていた。
「あなたが私の護衛を務めてくださるという《翠玉の託宣者》様ですのね。わたくしはセシリア。旅の間よろしくお願いいたします」
丁寧なカーテシーと共に鈴の鳴るような声が響く。エリアーヌはその隙のない王族としての振る舞いにただ圧倒されていた。
「…こちらこそ」
短く応えるのが精一杯だった。
その時、部屋の扉がノックもなしに開かれ、一人の男性がまるで散歩でもしているかのような気軽さで入ってきた。
「おおセシリア。そういえば今日は《翠玉の託宣者》殿が来られる日であったな。もう話は始めているのか」
その顔を見てエリアーヌは愕然とした。金髪に理知的ながらも優しさを湛えた青い瞳。アルビオン王国国王、アルフォンス四世その人だった。
(ぇ? え? ちょっと待って! 国王様!?)
エリアーヌは慌てて席を立とうとし膝を突いてかしずこうとする。だがその動きは国王の穏やかな声に制された。
「良い良い、そのままで。座ってくれぬか。急に来たのは私の方だ。話を続けて構わんよ。そうだな、私も紅茶を一杯いただけるかな?」
国王は悪戯っぽく笑いながら娘の隣のソファに腰を下ろす。侍女が慌てて新しいティーカップを用意する間、エリアーヌは内心の仮面が剥がれ落ちそうになるのを必死に堪えていた。
(座っていいと言われても…! え、いや、それは…! 無理無理無理!)
だがここで動揺を見せるわけにはいかない。《翠玉の託宣者》はミステリアスでクールで動じない英雄でなければならない。彼女は必死に冷静さをかき集め、ゆっくりとしかしぎこちなくソファに腰を下ろした。
「…では、お言葉に甘えまして」
声は魔法で変えているおかげで平静に聞こえたが、ローブに隠れた背中は既に汗でびっしょりだった。
「砦の一件、側近から報告は受けた」
国王は何事もなかったかのように話を続ける。
「実に見事な働きだったと聞いている。アルビオン王国民を代表し礼を言うぞ。これからも王国の剣、いや我らの『影』としてその力を貸してもらいたい」
国王の率直な賞賛の言葉にセシリア姫が驚いたように目を見開いた。
「お父様? この方それほど凄い方なのですの?」
国王の隣に控えていた宰相が事務的な口調で補足する。
「姫様。この《翠玉の託宣者》殿は先日ギルドですら半世紀以上も手をこまねいていた『開かずの砦』を、単独でしかも一夜にして制圧された、今王国で最も信頼篤き英雄にございます」
「まあ…!」
セシリア姫の瞳が途端にきらきらとした好奇心の輝きに満たされた。先ほどまでの淑やかな姫君の仮面がするりと剥がれ落ちる。
「すごい! すごいですわ! ねぇお父様! どんな風に戦われたのかお話を聞きたいです!」
「はっはっは、それは護衛の道中で本人からゆっくり聞くとよかろう」
「えーっ!」
不満げに頬を膨らませる姫はしかしすぐに気を取り直すと、エリアーヌに向き直り宣言した。
「決まりですわ! 旅の間そのお話を根掘り葉掘り聞かせていただきますからね! 逃がしませんことよ!」
その年相応の無邪気な笑顔にエリアーヌは仮面の下で、どうしたものかと頭を抱えるしかなかった。
和やかな雰囲気で会談が終わりエリアーヌが退出の挨拶をしようとした時だった。国王がふと思い出したように言った。
「ああそうだ。《翠玉の託宣者》殿。この後少し時間は良いかな? 王妃が君とぜひ話をしたいと、西の庭園で首を長くして待っているのだよ。…それはもう楽しみに、な」
国王の言葉は穏やかだったがその背後にある有無を言わせぬ圧力を、エリアーヌは感じ取っていた。
王妃。この国で最も美しくそして最も怜悧な頭脳を持つとされる女性。
彼女との二人きりの会談。
「…御意」
エリアーヌは背筋を冷たい汗が伝うのを感じながらも、平静を装って深く頭を下げた。そのクールな態度の裏で彼女の心臓は警鐘のように激しく鳴り響いていた。




