第7話:死闘と偽りの救出劇
【開かずの砦・司令室】
司令室と思われる重厚な扉。その向こう側にはガルバラン帝国の兵士たちがいる。
エリアーヌは息を殺し扉にそっと手をかけた。鍵も見張りもいない。それは外部からの侵入者を全く想定していないという、絶対的な自信の表れだった。
(…なら遠慮なく)
彼女は再び肉体を強化し、重い鉄の扉を軋ませる音も立てずにゆっくりと押し開いた。
「な、何者だ!?」
「敵襲!!」
室内に詰めていた十二人ほどの兵士たちが、音もなく現れた仮面の人物に気づき一斉に武器を構える。即座に剣を抜き数人が鬨の声を上げて斬りかかってきた。
「隊列を組め! 囲んで叩け!」
兵士たちの怒号が狭い室内に反響する。だがその喧騒の中エリアーヌはただ一人、驚くほど軽やかだった。
「よっ!」
振り下ろされる剣を身をかがめてひらりとかわす。
「ほっ!」
横薙ぎの刃を床を滑るように駆け抜けてその懐へ。的確な肘打ちで兵士の鳩尾を打ち意識を刈り取る。
「りゃっ!」
四方から迫る槍の穂先を壁を蹴って三角に跳びその頭上を越える。空中で身を翻し眼下の兵士たちの首筋に、残像が見えるほどの速度で完璧な手刀を叩き込んでいく。
床に折り重なるように倒れる兵士たち。エリアーヌはまるでダンスを踊り終えたかのように静かに着地した。
最後の兵士が呻き声を上げて崩れ落ち、室内は再び静寂に包まれた。
エリアーヌは周囲を素早く見渡す。壁一面に並ぶ見たこともない通信機器や分析装置。そして机の上に広げられたアルビオン王国の詳細な地図。
(破壊工作…!これが彼らの目的…!)
彼女が地図に手を伸ばしたその刹那。
部屋の隅、何の変哲もない壁の一部が音もなく内側へとスライドした。
「シッ!」
隠し部屋から放たれた鋭い息遣いと共に、必殺の剣閃がエリアーヌの急所を的確に狙う。
「くはっ!」
咄嗟に身体を捻り初撃を紙一重でかわす。頬を掠めた剣先が銀の仮面にキィンと甲高い音を立てた。
「…かわすかっ!!」
襲撃者の男――この拠点の指揮官――は驚愕の声を上げながらも、休む間もなく嵐のような連続攻撃を繰り出す。
鋼と鋼が打ち合う甲高い音、火花が散りオゾンの匂いが立ち込める。床を蹴る振動、壁に突き刺さる剣、互いの荒い息遣い。死を振りまく刃の嵐の中エリアーヌの思考は、しかし驚くほど冷静に加速していく。
(一撃目は速い。だが三撃目以降はわずかに太刀筋がぶれる。呼吸のリズムは…ここだ!)
相手の動きのパターンを完全に学習した彼女の動きから、徐々に焦りが消えていった。
逆に指揮官の顔には焦りの色が浮かび始めていた。こちらの猛攻を目の前の仮面の人物はまるで未来を予知しているかのように、最小限の動きでいなし続けている。底が見えない。その事実に男は本能的な恐怖を感じていた。
渾身の一撃を、エリアーヌの流れるような反撃の一閃が弾き飛ばす。宙を舞う剣。勝負は決した。
男は即座にその場に崩れ落ち床に額をこすりつけた。
「ま、参った! 命だけは! 命だけは助けてくれ!」
エリアーヌは警戒を解かず懐からガラスの小瓶を取り出すと、男の足元に叩きつけた。ボンッと濃い紫色の煙が立ち上り、男は「ふががが…」という呻きと共に白目を剥いて昏倒した。
その時だった。
司令室の隅の物陰からおずおずと二人の若者が姿を現した。使い古された作業着を着て顔には煤がついている。
「あ、ありがとうございます! 助かりました! 俺たちこの砦で無理やり雑用させられてて…」
涙ながらに語るその姿は哀れな被害者にしか見えなかった。
エリアーヌは彼らを一瞥し短く尋ねた。「怪我は?」
「は、はい。大丈夫です」
「そう。ならここで待っていてくれ。仲間を呼んでくる」
エリアーヌは彼らに背を向け司令室から出て行った。その背中を見送りながら二人は誰にも聞こえない声でひそひそと囁き合う。
「おい、今ならいけるんじゃねぇか? あの仮面、すきだらけだぜ」
「やめとけ馬鹿。油断してるように見えて俺たちが仕掛けた瞬間、首が飛ぶのが関の山だ。さっきの隊長とのやり取りを見ただろうが。ここはリスクを負う場じゃねぇ。とっとと逃げるぞ」
外に出たエリアーヌは連絡用の魔道具でギルドへの合図を送った。
やがてゴードン率いる後処理部隊が緊張した面持ちで砦に突入してくる。室内の惨状を目の当たりにしゴードンは息を呑んだ。
(…本当に一人でやり遂げやがった…)
疑念は畏敬へと変わっていた。彼は仮面の英雄に深く敬礼した。
「《翠玉の託宣者》殿、ご無事ですか!」
エリアーヌは内心でまだバクバクと鳴り続ける心臓を必死に抑えつけ、クールな声色を装って応答する。
「…ええ。主犯は制圧済み。そこの二人は被害者です。あとは…お任せします」
捕縛作業で部隊が手一杯になる中、例の若者の一人が人の良さそうな隊員に話しかけていた。
「あーあ母ちゃん、心配してるだろうなぁ…。早く顔を見せてやりてぇ…」
その呟きを聞いた隊員は不憫に思ったのか彼らに優しく声をかけた。
しばらくしてゴードンが若者たちの姿が見えないことに気づく。
「ん? あの若いのはどこへ行った?」
「ああ彼らなら、さっき『ちょっと用足しに』と出ていきましたよ。家族に会いたがってましたから待ちきれなかったんじゃないですかね」
その言葉を誰も疑う者はいなかった。
【王都への帰路】
王都への帰路。
一人になった馬車の中でエリアーヌはついに張り詰めていた糸が切れ、銀の仮面を外した。
その顔は青ざめ息は浅く速い。
カタカタと自分の歯が鳴る音がやけに大きく聞こえる。必死に押さえつけようとしても手足の震えが止まらない。
先ほどの肌を焼くような殺意。鋼がぶつかる甲高い音。死の匂い。
それら全てが今になって現実味を帯びて、彼女の全身を苛んでいた。




