第5話:天才への嫉妬
【アルビオン王国・王都】
『嘆きの沼』が浄化されたという報せは、瞬く間に王都アステルを駆け巡った。
ギルドマスターが半信半疑のまま調査隊を派遣したところ、そこには瘴気一つない穏やかで美しい湿地帯が広がっていたという。Bランクパーティを三つも退けた災厄がたった一夜にして解決された。この異常事態にギルド内は騒然となった。
依頼を達成した《翠玉の託宣者》はその後一度もギルドに姿を見せていない。ただギルドマスターの元には、依頼リストにあった素材の不足分を補って余りあるほどの最高純度の宝石と、丁寧な礼状、そして、一通の、分厚い、封蝋された、報告書だけが、届けられていた。
その、報告書には、「嘆きの沼」の、異変の、原因と、その、対処法について、驚くほど、詳細で、緻密な、考察が、記されていた。
ギルドマスターは、その、あまりにも、高度な、内容に、舌を巻き、すぐに、王国の、騎士団へと、その、報告書の、写しを、送ったのだった。
こうして《翠玉の託宣者》の名は依頼をこなす冒険者たちの間で、畏怖と尊敬の対象として語られるようになった。「不可能を可能にする謎の解決者」として、その伝説は静かにしかし確実に広まり始めた。
【王立アカデミー・食堂】
「…エリアーヌ」
アカデミーの昼休み。エリアーヌが食堂でリナとランチを囲んでいると、背後から冷たい声が投げかけられた。
振り返るとそこに立っていたのは、例の魔法理論学の教師マクシミリアン教授だった。彼の周りには例の貴族の男子生徒たちが、にやにやと意地の悪い笑みを浮かべている。
「あなたのこと、騎士団の方から少し伺いましたよ。《翠玉の託宣者》が提出したという、あの、『嘆きの沼』の、考察報告書。…あれは、元々、君が、私に提出し、私が『妄想だ』と、突き返した、論文だそうですね」
「…はい。何か問題でも?」
エリアーヌは警戒しながら答える。周囲の生徒たちも何事かと遠巻きにこちらを見ている。
マクシミリアン教授は鼻で笑った。
「問題大ありです。アカデミーの一生徒が、許可もなく、個人的な見解を外部に発表するなど言語道断! しかも、あの内容…『古代魔道具の暴走』だと? 君のいつもの、おとぎ話ではないですか。あのような非科学的なデタラメを、さも、アカデミーの、正式な見解であるかのように、ギルドに、提出されたのでは、我々の沽券に関わります」
「そ、そんなつもりは…! 私はただ観測した事実に基づいて…」
「言い訳は結構!」
教授はエリアーヌの言葉を遮る。
「幸い騎士団の魔術師長は私の旧友でしてね。先ほど話をつけてきました。『見るべき点もあるが理論的裏付けのない一個人の空想の域を出ない。論文は一度学園預かりとし、後日改めてアカデミーとしての正式な見解を提出する』とね。…分かりましたか? 君の論文は、もう、誰の目にも、触れません。せいぜいこれからも薬草畑で、おとぎ話でも考えていることですな」
高笑いを残し教授たちは満足げに去っていく。
残されたのは悔しさに俯くエリアーヌと、心配そうに彼女の顔を覗き込むリナ、そして遠くからその様子を見ていた一人の上級生の姿だった。
騎士学部の次期団長と目されるアレクシスは、マクシミリアン教授のやり方に眉をひそめていた。彼は騎士団の魔術師たちから、あの論文がいかに革新的であったかを直接聞いていたのだ。
(…ひどい。あれはただの嫉妬だ。自分たちの理解を超えた才能を、権威で無理やり押さえつけようとしているだけじゃないか)
だがアカデミーの序列の中で彼にできることは何もない。彼はただ拳を握りしめることしかできなかった。
「…エリアーヌ、大丈夫?」
「…うん。大丈夫。ありがとう、リナ」
エリアーヌは無理に笑顔を作った。悔しくないと言えば嘘になる。だがそれ以上に彼女は確信していた。
(…やっぱり、あの人たちには任せておけない)
真実から目を逸らし自分たちの保身しか考えない者たちに、この世界は守れない。
ならば私がやるしかない。誰にも知られず誰にも評価されなくても。
彼女の胸の奥で、夜の仮面を被る決意がまた一つ、硬くそして強くなった。




