第3話:理(ことわり)を超えた力
【アルビオン王国・嘆きの沼】
月明かりだけが頼りの『嘆きの沼』。
エリアーヌは音もなく木の枝から枝へと飛び移り、沼の異変の発生源――小山のような汚泥のゴーレムと対峙していた。
「グルォォオオオオオッ!!」
ゴーレムが直接脳を揺さぶる精神的な咆哮を上げた。
それは物理的な音波だけでなく、直接脳を揺さぶる精神的な叫びだ。常人であればこの一撃だけで恐怖に竦み上がり、戦意を喪失するだろう。しかしエリアーヌは自らの精神を完璧に制御し、その影響をシャットアウトする。
(パターン1、広範囲精神攻撃。パターン2、質量による直線的物理攻撃。単純ね)
冷静に分析しながら彼女は敢えてゴーレムの懐へと飛び込んだ。危険地帯に身を置くことで、更なる攻撃パターンを引き出すためだ。
案の定ゴーレムは、その泥の身体の一部を、巨大な口のように変形させ、強酸性の粘液ブレスを吐き出した。地面がジュウジュウと音を立てて溶けていく。エリアーヌはそれを紙一重でかわしながら、ギルドで調達した素材で作った閃光結晶を投げつけた。
カッと真昼のような光が炸裂し、ゴーレムが怯む。その一瞬の隙を突きエリアーヌは天高く跳躍した。
ゴーレムの頭上、三階建ての建物に匹敵する空中から、冷たい声が響く。
「――裁定の時は来た」
隕石のような速度で落下するエリアーヌ。その踵がゴーレムの巨大な頭部の中心を、寸分違わず直撃した。
ゴシャッと硬い岩が砕けるような鈍い音が、沼地に響き渡る。
「ギッ…!?」
悲鳴ともつかぬ軋みを上げ、ゴーレムの巨体が大きく沈み込み、その頭部に深い亀裂が走った。
だがゴーレムはまだ止まらない。苦痛に満ちた咆哮を上げ、今度は沼の泥そのものを無数の触手のように操りエリアーヌを捕らえようとする。
(パターン3、環境利用攻撃。面白い)
泥の触手をまるでダンスを踊るように華麗にかわしながら、彼女は暴れるゴーレムの背に飛び乗った。
目的はデータ収集。
ゴーレムが彼女を振り落とそうと激しく身をよじるが、エリアーヌの身体はまるで地面に根を張ったかのようにその背に吸い付いて離れない。
そして一瞬の隙を突いて、彼女は先ほどの一撃で生み出した亀裂に狙いを定め、強化された指先で、その核と思わしき、高濃度の魔力を放つ泥の塊を一片、抉り取った。
「グルアアアァァァッ!!」
今までで一番の、魂からの絶叫。ゴーレムの苦痛が瘴気となって周囲に撒き散らされる。
だがエリアーヌは意に介さない。特殊な試験管にサンプルを手早く納めると、懐から小さなガラス瓶を取り出した。
「目的は達した。…あとは、救済を」
この苦しみに満ちた存在を終わらせる。それは彼女の個人的な矜持の問題だった。
ゴーレムが痛みでのたうち回り、巨大な口を開けた瞬間。
その口腔の奥、暴走するエネルギーの源が無防備に晒されるのをエリアーヌは見逃さなかった。
【ガルバラン帝国・帝都の酒場】
同時刻。帝都の、とある酒場。
一人の傭兵が、興奮した様子で仲間たちに語っていた。
「聞いたか? あの《沈黙の厄災》の噂だよ!」
「ああ、あの天変地異みたいな噂話か。どうせ眉唾だろう」
「それが違うんだ! 俺のダチのダチが、南のザルム砂漠で見たって言うんだよ! 灰色のフードを被った何かが現れたかと思ったら、一瞬で砂漠が花畑に変わったって!」
「馬鹿言え、酔ってるのか?」
別のテーブルから、渋い顔の商人が、口を挟む。
「いや、あながち、嘘でもないかもしれん」
商人は、声を、潜めて、続けた。
「その花畑、ちょうど、古代の交易路――『月光の道』の、跡地沿いに、広がってるそうだ。そのおかげで、道に迷った、いくつもの、キャラバンが、その、花の香りを、頼りに、オアシスに、たどり着けた、らしい」
「へえ! 俺が聞いたのは、中央山脈の、『鷲ノ巣街道』での、話だぜ。あそこも、『月光の道』の一部だったよな。なんでも、夜空に、真昼みたいな、オーロラが、現れて、道を、照らし続けてくれた、とか」
「俺の、故郷の村では、もっと、すごいことが、あったぞ」
別の、テーブルにいた、若い、旅人が、興奮気味に、会話に、加わった。
「なんでも、村の、古い井戸水が、ある日、突然、蜂蜜のように、甘くなりすぎて、誰も、飲めなくなったんだそうだ」
「なんだそりゃ。迷惑なだけじゃねえか」
傭兵が、笑うと、旅人は、得意げに、首を、横に振った。
「それが、違うんだな。その、甘い水を、樽に詰めて、近くの街で、売り出したら、これが、大人気で、今では、村一番の、特産品さ。おかげで、貧しかった、俺の故郷は、今じゃ、この辺りで、一番、裕福な村に、なっちまった!」
次々と、上がる、真偽不明の、目撃談。
そのどれもが、常識では、考えられない、現象ばかり。
神の、気まぐれか、悪魔の、戯れか。
ただ、その「現象」だけが、確かな、事実として、人々の間に、広まり始めていた。




