第27話:暴走する才能と、最初の器
【アカシック・ライブラリ】
(…この丸とか線とかが、術式…? 魔法陣みたいなものなのかな…?)
シズの意識は、その不思議な術式の図形に完全に釘付けになっていた。
それはただの絵ではなかった。
じっと見つめていると、その線や円がまるで生きているかのようにゆっくりと脈動し、微かな光を放っているように見える。
それは彼女の知的好奇心をどうしようもなく掻き立てる、未知への扉だった。
(…魔法…)
もしこれを理解できれば。
もし私にもこれが使えるのなら。
意識だけの自分でも何かを変えられるかもしれない。この果てしない静寂と孤独から抜け出す、一歩になるかもしれない。
彼女の胸が、とくんと高鳴った。
それはこの世界に来て初めて感じる、恐怖ではない純粋な「期待」の音だった。
『アルキメデス』
彼女は逸る心を抑えながら、機械仕掛けのパートナーに呼びかけた。
『私、魔法を使ってみたい。教えて』
その決意に満ちた思考に、アルキメデスは即座に、しかしどこか警告するようなトーンで応答した。
『…主。お待ちください』
『え? どうして? やってみたい。やってみなきゃ始まらないよ』
『危険です。あなたの現在の身体情報を再スキャンした結果、極めて憂慮すべき事実が判明しました』
アルキメデスは彼女の意識の中に、一枚の立体的なグラフを投影した。
そこには青く低い丘のような「標準的人間」のグラフと、それとは比較にならないほど天を突き破り、画面の遥か彼方まで突き抜けている、真っ赤な「主」のグラフが示されていた。
『これは生体の魔法粒子マナ親和性、及び許容量を示すグラフです』
『私のグラフだけ、おかしいよ…? 振り切れちゃってる…』
『肯定します。主。あなたは先日の時空嵐ストームに巻き込まれた影響で、その身体の組成レベルが強制的に書き換えられています。結果としてあなたのマナ親和性は、この世界のいかなる生命体とも比較不可能な数値を示しています』
アルキメデスは淡々と、しかしどこか警告するように続けた。
『それは絶大な才能であると同時に、極めて危険な制御不能の爆弾でもあります。今のあなたが知識もないまま安易にマナを操作すれば、十中八九その力は暴走するでしょう。最悪の場合、この書斎の十三層の防御結界そのものを、内側から破壊し自滅しかねません』
「…………」
せっかく見つけた希望の光が、一転して触れることすら許されない危険物だと告げられた。
シズの高鳴っていた心が、急速に冷えていく。
結局自分は、このとんでもない力を持て余し、何もできずに十年もここで過ごすしかないというのか。
(…やっぱり、だめなのかな。私には何もできないのかな…)
彼女の落胆を感じ取ったのか、アルキメデスは言葉を続けた。
『…ですが主。方法はあります』
『え?』
『あなたの意識を接続するための簡易的な『器』を作成します。この書斎で最も強靭な古代合金アダマンタイトで作った、その模擬身体アバターを介してであれば、たとえ魔法が暴走しても被害を最小限に抑えることが可能です』
アルキメデスは彼女の前に、一体の卵のような滑らかな金属の設計図を提示した。
『その模擬体を使い、安全な環境で発動の練習を行うのです。それが主がその規格外の才能を制御するための、唯一にして最善の道です』
「…私の、練習用の身体…」
シズの瞳に再び光が宿った。
そうだ。道が閉ざされたわけじゃない。
目の前には最高の教科書と、最高の先生がいる。
そして今、最高の「練習道具」が手に入ろうとしている。
彼女はふと、一つの疑問を口にした。
『ねえアルキメデス。その模擬体とか、このすごい書斎とかを作った、あなたの前の主…賢者アストラルって、一体どんな人だったの?』
『…我が創造主、アストラル様は…』
アルキメデスの合成音声が、ほんの少しだけ揺らいだ気がした。
『…この世界でただ一人。真理を愛し、そして真理に愛されなかった、世界で最も孤独な賢者でした』
そのどこか哀愁を帯びた言葉。
シズはまだ見ぬその古代の賢者に、強い強い興味を抱いた。
彼が何を見て何を感じ、そして何を遺そうとしたのか。
それを知りたい、と思った。
『…アルキメデス!』
『はい、我が主』
『その模擬体、すぐに作って! そして、魔法の一番簡単な教科書を用意して!』
『私、やる! 絶対にこの力を使いこなせるようになってみせる! そしてアストラルさんが遺してくれたこの全部を、私が受け継いでみせる!』
その力強い宣言に。
1000年の間ただ主を待ち続けた機械人形は。
その赤い光学センサーを、ほんの僅かに嬉しそうに瞬かせた、気がした。




