第26話:書斎の歩き方と、安全の証明
【アカシック・ライブラリ】
『―――よし! まずは、この世界の「歴史」から始めよう!』
シズの意識だけの高らかな宣言。
だが次の瞬間、彼女ははたと思考を止めた。
(…いや、待って。歴史の前に、もっと先に知っておかなくちゃいけないことがある)
彼女は10歳の子供だったが、同時に、物語の主人公たちが安易な行動で窮地に陥るのを、何度も本の中で見てきた読書家でもあった。
「知らない」ことは「危険」と、同義だ。
まず第一に確認すべきは、「安全」だ。
『アルキメデス』
『はい、我が主』
『この書斎と庭園。ここは本当に安全なの? 外から何か変な生き物とかが入ってきたりしない?』
その子供らしい、しかし的確な質問に、アルキメデスは主の非凡な危機管理能力を再評価しながら答えた。
『ご安心を、主。この施設は我が創造主、賢者アストラルが構築した十三層の多重防御結界によって保護されています。物理的、魔法的、いかなる外部からの侵入も許しません』
『もし万が一、結界が破られたら?』
『その際は第二防衛システム、自律迎撃ゴーレム群が起動します。1000年前の帝国軍一個師団の侵攻を想定した戦力を有しています』
アルキメデスは彼女の意識の中に、結界の構造図と、格納庫で眠る禍々しい戦闘ゴーレムたちの映像を投影した。
(…すごい。これなら、確かに大丈夫そう)
ひとまず最大の懸念が解消され、シズはほっと胸を撫で下ろした。
次に彼女が知りたかったのは、「この星のこと」だった。
自分が迷い込んでしまったこの見知らぬ世界。
人々は一体、どんな暮らしをしているのだろう。
『1000年前のでもいいから、国や場所、それぞれの人々の生活が分かるような本が読みたい。服とか食べ物とか、建物とかが載ってるやつ』
『御意に、我が主。該当する文献を検索します』
アルキメデスのその言葉と共に。
シズの意識の前の何もない空間に、きらきらと光の粒子が集まり始めた。
それはまるで天の川の星々が、螺旋を描きながら降り注ぐかのようだった。
やがて光は収束し、ゆっくりと実体を結んでいく。
そしてそこには、数冊の分厚い革の装丁の本が、ふわりと浮かんでいた。
『浮遊帝国時代における風俗文化史』
『古代ガルバラン地方の食文化とその変遷』
『図解:1000年前の建築様式大全』
シズは夢中になってそのページを、思考だけでめくっていった。
そこに描かれていたのはファンタジー小説で読んだような、しかしどこか違う独特の文化。
豪華なドレスを着た貴族たち。
活気あふれる市場の風景。
石と木で作られた、温かみのある家々。
そして最後に彼女は、一つの分野にたどり着いた。
自分の今の状況で、最も必要となる知識。
『…薬とかハーブとか、病気の治療とかに関する本はある?』
『検索します。…該当、多数。どのレベルの知識をご所望ですか?』
『一番分かりやすい、基礎の基礎から』
再び光の粒子が彼女の前に集い、一冊の使い古された革の装丁の本を形作った。
タイトルは『初心者でもよくわかる! 薬草学入門』。
彼女は、その最初のページを開いた。
そこに描かれていたのは、緑色のギザギザの葉っぱを持つ、ごくありふれた雑草のような植物のスケッチ。
そしてその横には、こう記されていた。
『―――最も基本的な治癒魔法の触媒となる薬草、「癒やしの葉」。これをすり潰し傷口に塗布することで、簡易的なポーションとして使用可能』
そしてその解説文の下に。
魔法の力の流れを示す、「術式」と呼ばれる不思議な図形が描かれていた。
(…魔法…。それに、ポーション…)
(…この丸とか線とかが、術式…? 日本で私が読んでた本でいうところの、『魔法陣』みたいなものなのかな…?)
シズは、その不思議な図形をじっと見つめた。
それは彼女がこの世界に来て初めて、「魔法」という未知の、そして心を躍らせる力の存在を、明確に意識した瞬間だった。




