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ヴァーテックス・クライシス ~星屑の魔女と、もう一つの真実~  作者: 輝夜
第四章:天墜の少女

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第25話:賢者の書斎と、少女の決断


【アカシック・ライブラリ】


―――私、死んでなかったんだ。


その冷徹な事実を、シズのまだ幼い心が完全に受け入れるには、もう少しだけ時間が必要だった。

意識だけのこの感覚。温かい光に包まれ、重力も痛みも何一つ感じない、この奇妙な浮遊感。

アルキメデスと名乗る小さな機械人形が、彼女の意識に直接語りかけてくる。

自分が死んだのではなく、意識だけの存在としてこの異世界の古代の書斎に接続されているのだと。

そして本来の肉体は、生命維持を司るカプセルの中で治療を受けているのだと。


あまりにも非現実的で、物語のようなその状況。

もちろん悲しくなかったわけではない。寂しくなかったわけでもない。


(お母さん…お父さん…)


脳裏に浮かぶのは、今朝玄関で「いってらっしゃい」と優しく頭を撫でてくれた、母の手の温もり。

休日にキャッチボールをせがむ自分に、やれやれと言いながらも嬉しそうにグローブをはめてくれた、父の大きな背中。


(…美咲ちゃん…)


明日一緒に食べに行くはずだった、イチゴチョコ生クリームのクレープ。

その約束を、もう果たすことはできない。

当たり前のようにそこにあって、明日も明後日も、ずっとずっと続いていくのだと信じていた、温かい日常。

その全てを自分はたった一瞬で失ってしまったのだ。


胸が、きゅっと締め付けられるように痛んだ。

一瞬だけ涙が溢れそうになった。熱い何かが込み上げてくる。


だが彼女はそれをぐっと堪えた。

ここで泣いていても、何も始まらない。

お母さんならきっとそう言うはずだ。

「メソメソしてないで、しゃんとしなさい。シズは、強い子でしょう?」って。


シズはゆっくりと思考を切り替えた。

見えないはずの自分の小さな手を、ぎゅっと握りしめるイメージ。

「じゃあ、今、何をすべきか?」


彼女の10歳の、しかしどこか大人びた思考が、猛烈な速さで回転を始める。

まず現状を正確に把握する。

パニックは後だ。今は情報を集める。


『アルキメデス』

その思考の呼びかけに、機械人形は即座に応答した。

『はい、我が主。何なりと』

『私の身体は、どうなってるの? ちゃんと治るの?』

『肯定します。現在、生命維持カプセルにて細胞の再構築と再生を継続中です。全ての損傷が回復するまでの予測時間は、地球時間換算で約十年となります』

『…十年…』


長い。あまりにも長い時間だった。

自分が二十歳になる頃。

その頃にはお母さんもお父さんも少し歳をとっているだろうか。美咲ちゃんはどんな素敵な、お姉さんになっているだろうか。

そんなありえない想像が一瞬胸をよぎり、ちくりと痛んだ。

でも、ゼロじゃない。希望はある。


『じゃあその間、私の意識はずっとこのまま、この光の中にいるの?』

『肯定します。主の意識は、この情報集積空間、通称『アカシック・ライブラリ』に接続された状態を維持します』

『アカシック・ライブラリ…。つまり、図書館だね?』

『はい。我が主、賢者アストラルが生涯をかけて収集、記録した、この惑星の森羅万象の記録。その全てにアクセスすることが可能です』


その言葉に、シズの沈んでいた意識が初めてキラリと輝いた。

悲しみと絶望の暗い闇の中に、一条の眩いほどの光明が差し込んだ瞬間だった。


(…そっか。図書館なんだ)

(…しかも、世界の全てのことが書かれている、魔法の図書館…)


それは彼女が今まで読んできた、どんな物語の中の図書館よりもずっとずっとすごい場所だ。

彼女はこの絶望的な状況の中で、自分にできるたった一つの、そして最高の「武器」であり「楽しみ」を見つけ出したのだ。


十年後に自分の身体を取り戻す、その日まで。

この無限の図書館で、この世界の全てを識り尽くしてやる。

そして必ず、元の世界に帰る方法を見つけ出してやる、と。


彼女はまず、アルキメデスに一つのことを命じた。

『お願いがあるの。カプセルの中の私の様子が、いつでも見られるようにして』

『御意に、我が主』

その思考の呼びかけに応じ、彼女の意識の片隅に小さなモニターウィンドウが表示された。

そこには柔らかな緑色の光の中で眠り続ける、自分自身の姿が静かに映し出されている。

傷つき弱々しいけれど、確かに生きている自分の身体。

それが彼女の孤独な戦いを、これから十年もの間支え続ける唯一の道しるべとなった。


そしてシズは、高らかに宣言した。

まるでこれから始まる壮大な冒険に旅立つ、物語の主人公のように。


『―――よし! まずは、この世界の「歴史」から始めよう!』


十歳の少女の、たった一人だけの、しかし誰よりも贅沢で壮大な知の探求の旅が、今この瞬間から幕を開けた。

その瞳にはもう涙の跡はどこにもなかった。

ただ未知の「知識」への飽くなき好奇心だけが、星のように強く輝いていた。


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